TRF(FC限定)⑦ | quarters

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いろんなライブの記録。二丁目の魁カミングアウト・きのホ。・ONIGAWARA・ RAG FAIR・ズボンドズボンなど。

なんかgdgdだったけどそれもRAG FAIRらしいっちゃRAG FAIRらしいんだよな。ダン天はラグ一のお騒がせ曲だったし、昔から。


ご挨拶。健「1999年にRAG FAIRを結成して、」って殆ど内容は同じだったんだけど、健「RAG FAIRは僕らだけのものじゃありません。みんなのものです。そしてRAG FAIRは僕にとって第2の家族になりました」

今までは「家族だと思ってます」って言ってたんだよ。でも最後の最後に言い切ってくれた。「これから先このつながりが切れることはありません」って。


言い終わって、目を少し細めて、ぼそりと呟くように。



「愛してるぜい」



万感の思いをこの小さな声に詰めたようだった。息が止まってあたし死ぬかと思った。そして右目のコンタクトは落ちた。


お客さんも気持ちの収拾着かなくなっちゃって次の礼央ちゃんは健ちゃんに手を向けたりしてました。すっごく良い顔でにこにこ笑いながら。
礼「歌丸さんと喜久蔵さんみたいですけど(笑)」え、何が?(笑)

礼央ちゃん鼻声だった。礼「ゲームセンターでぽこぽこ叩かれる…」って懐かしいねぇフリフリPV。

「RAG FAIRで人生変わった」って。礼央ちゃんがラグで泣いてくれることが本当に嬉しかったです。それくらい、礼央ちゃんにとって価値あるものにしてくれてありがとう。


かとさん。皆さんが居てくれたから今日まで来れたと。

かのたそ。納「歌えることが当たり前だと思ってました。だってみんな来てくれるんだもん。でも今回の震災があって、歌えるって、すごいことなんだなって思いました
これから6本に分かれる道も追いつけ追い越せで、だけどやっぱりどこまで行こうとこの6人は仲間なんだって話をしてくれました。


くむー。活休前最後のライブが抽選になって、見たい人が来れないことになってしまって…ってそういうことまで気を揉んでくれたことが本当に嬉しい。奥「ファンクラブなんてまさかねぇ、自分が入るならともかく、入ってもらう側になるなんて思ってなかったから」経過はどうであれ、今日一つの会場でライブができて良かった、って

震災の話も。奥「知ってる人も多いと思いますが、岩手と宮城に12日間行ってきました」ラグのCDが全部流されてしまった子や、こんな遠くからライブに来てくれてたんだって思う子に会って、改めてたくさんの人に支えられてたんだって思ったって。
今日来てくれた人も来れなかった人も、少しでもRAG FAIRの音楽に触れてくれた人みんなに感謝を。


あーもう記憶が散乱しててつながらない。


最後はリーダー。洋「健一くんも言ってましたが、1999年に結成して、最初はただ趣味の延長でやってて、ストリートでやってても『今日は2人止まってくれた』『今日は100枚ビラが掃けた』とかだったのに、それが“待っててくれる”ようになって」

洋輔さんにとってお客さんが“居てくれる”ことがどんなに特別なのか、あたし初めてライブ見た時から知ってた。ずっと“居てくれて”“来てくれて”「ありがとう」って言ってた。それこそ一番古い記憶。


洋「時に苦しんでもがきながらやってきました。別に僕はミュージシャンを目指していた訳でもないし、音楽を追求する音楽家でもないし」それでもやってこれたのは待っててくれたお客さんのおかげだと。


洋「満足するかと思ったけど全然しませんでした。まだまだこの6人でできることがある。でもそれはすごく高いハードルだから」少しの間、それぞれ持ち寄る武器を磨くんです。
洋「これがThat's RAG FAIRだ!って、『ああ、あの古い方ね?』って言われるような新しいThat's RAG FAIRを作れるように」

上等だ。そんな宣言、次のステージまで絶対忘れてやらないからな。