この記事は霊感・霊視占いサイト『花咲き山』ホームページ内の『えび助BLOG』で2020/8/18に公開されたものです。

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晄鈴先生と出会う前のまだ若かった私は、宗教は限りなく詐欺に近いと考えており『信じる人を否定はしないが、自分は信じない』というスタンスをとっていました。

葬儀に関しても、残された人間が、気持ちの区切りをつけるための儀式であり、残された人間がやりたければやればいい、死んでしまった人間には、関係がないと思っていました。

晄鈴先生は、そんな私に『宗教とは別の側面から見た葬儀の意味』を教えてくれました。

本日は、昔話にはなりますが、昔、私が晄鈴先生から教わったことをお伝えします。

晄鈴先生は、葬儀に関して、

 

亡くなった方にとって、葬儀とは『今世、自分がどのように生きたか』を振り返る儀式です。

人は、亡くなれば魂となり、自分の葬儀の様子を見ることになります。
自分の葬儀には、どれだけの人が参列したか。
自分の葬儀に参列した人は、どのような顔をしているか。
その様子から、魂は様々なことを感じ、反省し、今世を終えるのです。

葬儀とは、亡くなった方にとって、今世での最後の学びあり、かつ、今世での学びの総まとめです。
だから、亡くなった方にとって、葬儀は必要なのです。

 

ということをおっしゃいました。

当時、人は1人で生きていけるのが理想だと思っていた私は、誰も来ない自分の葬儀の様子をイメージし、自分の考えに改める部分が多いことに気づきました。

人付き合いが苦手な私の葬儀に、多くの人が参列する。
そんなことは、ないでしょう。
それでも、やはり、参列してくれた人には、心から悲しんでいてほしい。
今は、そのように思っています。

(おまけ)
晄鈴先生の話を聞いて以来、葬儀に参列する際は、故人が見ていると思い、
『ありがとうございました』という感謝の言葉を伝えるようにしています。
私が今世を終えるとき、最後にかけてほしい言葉だと思っているからです。

みなさんには、最後にかけてほしい言葉はありますか?

 

 

この記事は霊感・霊視占いサイト『花咲き山』ホームページ内の『えび助BLOG』で2020/8/17に公開されたものです。

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私は、昔から、なぜか『根拠のない自信』をもっていました。

まったく経験のないことでも、自分にはできると思い、挑戦する。
当然、失敗することの方が圧倒的に多いのですが、一度失敗しても、練習が足りなかっただけ、時間をかければ自分にも必ずできると思っていました。

なぜ、私が『根拠のない自信』をもっていたのかは、分かりません。
生まれつきかもしれないし、もしかすると、幼いときに『あなたはできる』と周囲の人間から暗示をかけられていたのかもしれません(笑)

実際、私も塾講師として経験があるのですが、子どもに『あなたは優しいね』と言い続けると、本当に、思いやりのある優しい子どもになります。
逆に、周囲の人から『お前は何もできない。ダメだ。』と否定的なことを言われ続けると、本人もそう考えるようになります。

これは、子どもだけに限った話ではなく、大人でも同じだと思うのですが、実際どうなのでしょうか。

晄鈴先生に意見を聞いてみました。

晄鈴先生は、

 

えび助さんのおっしゃったことは、間違っていません。

私も、常日頃からお伝えしていますが、『言霊』という言葉もあるように、人の発する言葉には大きな影響があります。
『自分』がある程度固まっている大人でも、周囲の方からかけられる言葉によって、人格は変わります。

言葉は、一種の『呪い』です。

 

とおっしゃっていました。

では、自分を否定するような『ネガティブな呪い』を受けた方は、どのようにそこから抜け出せばよいのか。

この問いに、晄鈴先生は、

 

自分を肯定してくれるような、ポジティブな言葉をかけてもらうのが1番ですが、実際、自分を否定されるような環境で育った方が、自分でそのような状況をつくることは難しいです。

なので、まずは、自分で自分を肯定する。
自分のよいところを見つけ、それをノートに書き出してみるとか。
そうやって少しずつ『呪い』を弱めていく必要があります。

しかし、実際、これもすぐに効果があるわけではありません。
長い年月をかけて、少しずつ、前に進むしかないのです。

『言葉の呪い』はそれだけ、強いものです。

 

と答えました。

おそらく、ポジティブな言葉を受け育ったであろう自分は、自分に自信がないという人に対して、当然のように、
『自分が、自分を信じずに、誰が自分を信じるのか。』
『自分を最後まで信じられるは、自分だけだ。』
と返答してきました。

今思うと、酷なことをしていたのかもしれません。

(おまけ)
教育に関する研究結果に、
『子どもの人生に影響を与える要素のうち、家庭が約7割を占める』
というものがあります。
つまり、学校や友達などその他の要素より、家庭の影響が圧倒的に大きく、家庭環境が悪ければ、そもそも、学校などの教育環境を改善しても意味がないということです。

しかし、この研究には続きがあり、ごく一部の優れた教師は、家庭の大きなマイナスの影響を打ち消すことができるとなっています。
では、そのような優れた教師は、その他の教師と何が違うのか?
これも研究されていますが、未だに答えは出ていません。

もしかすると、『言葉』なのかもしれませんね。

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本日のテーマは、
『子どもが罪を犯したときの親の責任』
です。

現在、刑法では、子どもの年齢に関係なく、親に刑事責任は発生しないことになっています。
刑法では、親と子は分かれているというわけですね。

では、民法はどうかというと、民法では、子どもが成人(現在20歳)するまでは、親は賠償責任を負います。

つまり、子どもが成人するまで、親は一部責任を負うが、成人してしまえば、子どもが犯罪を犯しても、法律上は一切の責任はありません。

私個人の考えを述べれば、子どもの犯罪に関する責任は、すべて、子どもに負わせるべきだと考えています。

損害賠償も、子どもが支払能力をもった際に、子どもに支払わせればいいと思います。
自分のやったことなのだから。

この考えを、晄鈴先生はどう思うか、聞いてみました。

晄鈴先生は、

 

これは、犯罪に限った話ではありませんが、自分のまいた種は、自分で刈り取るべきだと思います。

ただ、親にまったく責任がないとは思いません。

自分の育てた子どもが犯罪を犯した。
これは、親自身がまいた種の結果です。
親は、例え、法的な責任を追求されなくとも、子どもと一緒に責任をとる姿勢であるべきです。

人、1人をこの世に生み出すことは、それだけ責任のあることです。

 

とおっしゃっていました。

『案ずるより産むが易し』という言葉がありますが、実際は、産んだ後が、より大変ですね。
では、大変な手間をかけて、重い責任を負い、子どもを育てた先に、親は何を得るのでしょうか。
『親の心、子知らず』という言葉もありますが、親になったことがない私には、まだ分かりません。
いつか、親になったときに、分かるのでしょうか。

(おまけ)
民法の一部が改正され、2024年4月1日から成年年齢(成人年齢)が18歳に引き下げられるそうです。

【参考】法務省:民法の一部を改正する法律(成年年齢関係)

 

成人式はどうなるのだろうと思い、調べたところ、成人式は今までどおり、20歳で開催すると決めている自治体が多いようです。
18歳は高校3年生ですが、近年の成人式の荒れた様子をみると、高校生の時点で成人式を開催した方がよい気がします。

ちなみに、私は、成人式には出席していませんが、いつの間にか、しっかり大人になっていました(笑)

 

この記事は霊感・霊視占いサイト『花咲き山』ホームページ内の『えび助BLOG』で2020/8/15に公開されたものです。

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本日、YouTubeで、晄鈴(こうりん)先生と一緒に『不動霊場』に参拝する動画を公開しました。

 

 

 

晄鈴先生の参拝の様子をお伝えすることが、主な目的だったのですが、お経を唱えている最中に少しトラブルがありました。

この場を借りて、お詫びいたします。
次は、最初から最後まで、しっかり撮影しますね。

動画内にもありましたが、参拝した際に、晄鈴先生が願いを込めて、銅板を奉納しました。
銅板の文字が見えずらく、何と書いてあるのか気になった方もいらっしゃるのではないかと思いますので、このブログ内で補足しておきます。

銅板には、
『コロナ退散 カンマンボロン』
と書かれていました。

『カンマンボロン』とは『大日如来・不動明王』の意味で、『大日如来・不動明王様のお力で、コロナを退けてください』という意味で書いたようです。

また、『カンマンボロン』について、調べていて知ったのですが、日本アルプスの一角『瑞牆(みずがき)山』に、弘法大師が、梵字で『カンマンボロン』と文字を彫った岸壁があるそうです。

 

(出典:日本アルプス登山ルートガイド

 

いつか、YouTubeの撮影で訪れたいですね。
登山経験のない晄鈴先生と私では、撮影どころではないかもしれませんが。

(おまけ)
収録はできなかったのですが、
『晄鈴先生が大師堂でお経を唱えている際、近くの霊が、晄鈴先生に話しかけてくる』
ということがありました。
(当然、私には、お経を唱えている晄鈴先生しか見えていませんでしたが。)
先生曰く、お盆月なので、仏様に救いを求めた霊が、寄ってきたのだろうということ。

人が、最後にすがるのは、やはり、神仏なのですかね。

 

この記事は霊感・霊視占いサイト『花咲き山』ホームページ内の『えび助BLOG』で2020/8/14に公開されたものです。

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みなさんは、子どものとき『勉強』は好きでしたか?

塾講師をしていた、私の経験では、子どもたちのほとんどが、勉強は嫌いです。

では、なぜ嫌いなのでしょうか?

大人になってから、何かを勉強された方は、そのときのことを思い出してほしいのですが、何か目的があって勉強したのではないですか。
例えば、やりたい仕事があり、必要な資格を取るために勉強するなど、基本的に、学ぶことは、手段であって目的ではないはずです。

学ぶこと自体に楽しさを感じる方以外にとって、目的をもたずに学ぶことは、退屈でしょう。

つまり、目的が曖昧、もしくは、目的がないにもかかわらず、勉強を強いられることが、子どもが勉強を嫌いになる理由です。

以上が、先生として、学ぶ意欲のある子どもたち、学ぶ意欲のない子どもたち、色々な子どもたちと関わる中で、私が、出した答えです。

では、ここで少し視野を広げてみましょう。

鑑定士の先生方は、常日頃から、
『人は、人生を通して、たくさんのことを学ぶ必要がある。』
とおっしゃっています。

では、その目的は何なのか?

晄鈴(こうりん)先生に聞いてみました。
先生の答えは、

 

人によって、学ぶ内容は異なりますが、目的は同じです。

人は『色々な感情を知る』ために、学んでいます。

人の感情は、言葉では表せないくらい複雑です。
例えば、悲しいという感情1つをとっても、
『大切な人を失った悲しみ』
『人に裏切られた悲しみ』
『病気や怪我による、痛みを伴った悲しみ』
すべて、まったく、異なります。

また、『大切な人を失った悲しみ』でも、失った人が、親か、子か、配偶者か、さらに、生前どのような関係であったのかでも、感情は異なるでしょう。

えび助さんは、よく、
『人は人の思いを察することはできても、人の気持ちを、完璧に理解することは、できない』
とおっしゃいますよね。

それは、ある意味当然です。
感情は、無数にあるのですから。

 

でした。

人は『色々な感情を知る』ために、人生を通して、様々なことを学んでいるとのことでしたが、『知るために学ぶ』というのは、答えになっていない気がします。

知った先に、何があるのか?

この質問に対する、晄鈴先生の返答は、

 

それは、私もはっきりと分かりません。
神様にお伺いしても、おそらく、返事はないでしょう。

個人的には、色々な感情を知った先は『色即是空』なのではないかと思っています。

でした。

『色即是空』とは、般若心経の一節で、

『この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、本質は空である』

という意味です。
(以前、覚えた般若心経の和訳が、思わぬところで役に立ちました)

目指すことろは『色即是空』・・・。
考えるほどに意味が分からないですね。
もしかすると、そもそも、考えて、理解できるものではないのかもしれません。

(おまけ)
晄鈴先生もおっしゃっていましたが、私は
『人が人の気持ちを完璧に理解することは不可能だ』
と考えています。

誰かに自分の気持ちを完璧に分かってもらいたい、誰かの気持ちを完璧に理解したいと思うことは、自分の首を締めることになる気がしますので。