人生と旅・読書 村上春樹感 アメリカ放浪記 -3ページ目

人生と旅・読書 村上春樹感 アメリカ放浪記

人生と読書は切り離せない、体と心のような関係です。人生は旅であり、また、読書も旅です。徒然なるままに書いていきます。コメントお待ちしています。

科捜研の女をご存じだろうか。沢口靖子主演のドラマである。

京都府警で科学捜査研究員として、活躍し難事件を解決していく。

その16の7「爆弾配達人」に出てくる言葉に、思わずうなった。

 

最も忘れられない、嫌な思い出が生きる軸になるというものであった。

誰にも、深く傷ついた思い出や、忘れたい過去が、一つはある。

それは、文字通り、頭からなくしたいものである。

その出来事を、生きる糧とするというものである。

 

これは、逆転の発想である。自分にとって、マイナスな出来事を教訓として、心に持ち続けるというのは、、口で言うほど簡単なことではない。

何とかして、克服しよう、あるいは、忘れようとするのが人間だと思う。

消化しきれなければ、精神的な異常をきたすであろう。

 

悩み、もだえ、苦しむ中に、その出来事と折り合いをつける。

いや、その出来事を基礎として、自分を作り上げていく。

そんな強さを、持ち合わせているだろうか。

逃げ出さずに、目をそらさずに、向き合えるであろうか。

 

向き合えば、涙も出るし、感情的になり、恨みも出てくる。

その恨みを糧として、自分がどれだけ成長できるかが、カギである。

これができれば、無敵になる。普通の人間ならば、くじけるだろう。

感情的でない性格でも、心にトラウマはある。

 

その体験をもとに、暗い気持ちで生きるか、前向きに生きるか。

昇華させる手段は、それぞれ人により違うであろうが。

それを肥料にできるか、あるいは、そのアクに負けてしまうか。

 

土門刑事が新米神原刑事の、刑事としての軸について語る。

「何があってもぶれない軸。落合刑事の強烈な毒に最初に出会って、

信用し、裏切られ、そして亡くなったこと。すべての事実を飲み込んで

糧としたとき、刑事としての軸ができる。」というのであった。

 

これを普遍化して、人間としての生きる軸ととらえたらどうであろうか。

人生を生きる上で、ぶれることのない、軸を持つということである。

それは、その人の行動規範であり、人生哲学になる。

それにより、その人の、生き方が決まり、価値観も生まれてくる。

 

誰しも求めている、人生観。それは。

精神的なものか、肉体的なものか。

心情的なものか、心霊的なものか。

相対的なものか、絶対的なものか。

自己中心的なものか、他己中心的なものか。

 

その人の基準により、守備範囲が決定する。

その人の水準により、レベルが判明する。

どれだけの人を幸せにでき、喜びを与え、幸せに出来るか。

その人の人生観の軸の広さと深さにかかっている。

 

ここで、自分にとって、必要かどうかの検定法がある。

それは、それを受け入れたとき、救済感があるかである。

別な言い方をすれば、心が軽くなるか、重くなるかである。

つまり、幸福感を感じるか、義務感を感じるかである。

 

教えには、まったくの悪なるものはない。

あるのは、その広さと、深さである。

自分がそこに当てはまるか、そして、満足できるかである。

合っているものに会えたなら、心が震えるから、判るはずである。

 

気持ちが明るくなり、満たされたなら、あなたの人生観として、取り入れるべきものであり、生きる糧となる。

高尚な教えであり、頭で理解できても、心が満たされなければ、あなたにはふさわしくないのである。

 

また、初めは喜んでいても、成長するにつれて、違和感が出てきたならば、その教えからは、卒業ということである。

教えには、個性があり、長所と短所がある。また、レベルの高低もある。それぞれ、学びつつ、自分を見つめていくといい。

 

それにしても、沢口は、女優一筋に演技を追及している。

無邪気な研究員役だが、20年近く務めるのは、並大抵のことではなく、ドラマが事実になっていく。

 

つまり、架空の人物が、現実化していく。「フーテンの寅さん」化である。

科捜研の女は、もはやドラマではなく、現実の中で起こっている、ノンフィクションになっているのである。

 

とすれば、沢口もまた、女優ではなく、榊マリコと同一化し始めている。

天職ともいえる、その役は、彼女を愛してやまないファンの支えになっている。

 

彼女の真実探求への貪欲さに、ほれぼれするばかりである。

 

 

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