ストーリーとは別の、もう一つの読み方が本にはある。
コインの表と裏があるように、面白さの裏に潜む作者の意図である。
精神的なモチーフといっても良い。それに同調するかで、感動の深みに違いが出る。
完結編の、それは、ずばり、「覚悟がすべて」であろう。
では、それを導く伏線は何かといえば、人生の岐路である。
そこに立たされた時、人は、右に行くか左に行くかで迷うのではない。
戦うのか、戦わないかである。自分を主張するか、主張しないか。
次のキイワードは、「わたしはわたしでない」であろう。
それに気づいたとき、人は覚悟して動き出すか、現状に満足するか。
それが、人生をかけた選択になる。雌雄の選択である。
進む中での左右の道の選択は、どちらにしろ同じ目的地に着く。
しかしながら、前進か後退かの選択は、自己の存在価値をかけた戦いになる。
太宰治の「晩年」の影は、再び栞子に吉原喜市を通して大きな問題を提起してくる。
そして、今回の主役であるシェークスピアのファースト・フォリオの登場である。
恋するポーシャは感極まり、思わず叫ぶ。「喜び以外の思いは」と、バサーニオへ。
外的な事態に惑わされることなく、本質を見極めること。それが、テーマである。
追伸
栞子の生きる軸は、もちろん、本である。
本を軸に、物語は進行していくが、本をめぐり、人生を狂わしていく。
本の魔力である。智恵子は、本に翻弄される人生を送っている。
人は、何かにこだわり、何かに翻弄される人生なのかもしれない。
それは、仕事であり、趣味であり、妻かもしれないし、夫かもしれない。
そのこだわりが、その人の軸になり、人生となる。
それが、精神的なものであれ、肉体的なものであれ、価値観になる。
生きる上で、最も大切なものは、その人の人生観を形成していく。
形あるものであれば、肉体を鍛えることになる。
精神的なものであれば、心を鍛えることになる。
本の形はあるが、本に求めるものは、形のない言葉である。
言葉とは、イメージであり、想像力を掻き立てる、魔法の記号である。
しかも、救いは言葉からくる。もちろん、精神的な救いである。
本とは、面白い娯楽性を含むが、物語の中に、救いを求めて読める。
そんな読書をしていた、学生時代を思い出す。
また、40歳の時に出会った、手が震える本屋での出会いを思い出す。
本との歴史は、私の精神的な成長の歴史でもある。
そんな出逢いを経験すると、本は命の一部になる。
ビブリア堂の事件手帖は、その意味で、登場人物に同感できる物語である。
| ビブリア古書堂の事件手帖 7/三上延【2500円以上送料無料】
702円
楽天 |
![]()
にほんブログ村 ☜クリックお願いします。順位参加中です。
