ある日、ネットで出会った文章に心を奪われた。ゾウリムシが28℃で「幸せだ…」とつぶやく(?)話から、幸せや家族、自由について語るその言葉は、まるで私の心の奥を照らすようだった。
私は未成年の子どもを持つ別居親だ。子どもに会えるのは数ヶ月に1回、ほんの短い時間。それでも、その一瞬が私の「28℃」になる瞬間がある。この文章を読んで、幸せは何か、親としてどう生きるかを改めて考えた。別居親として葛藤しながらも、自分の幸せと子どもの笑顔を追い求める日々を、今日は綴ってみようと思う。
幸せは状態である
「幸せは状態である」。この言葉に、思わず頷いた。ゾウリムシが28℃でウゴウゴ動かず穏やかになるように、私も子どもとの時間で心が落ち着く瞬間がある。面会は多くない。数ヶ月に1回、短い時間でも、子どもが笑う姿を見ると、「ああ、今、幸せだ」と感じる。
別居親の生活は、いつも心が25℃や30℃に揺れる。会えない時間に「もっと一緒にいるべきだった」と後悔したり、世間の「親ならこうあるべき」に縛られたり。でも、この文章にあったように、幸せは無理に追い求めるものじゃない。子どもと過ごす一瞬や、日常の小さな喜びで心が整うとき、私は確かに「28℃」にいる。
家族の再定義
文章には、父親の子どもへの愛情には「所有意識」が潜む、という指摘があった。胸に刺さった。別居親として、子どもに会えない時間が長い分、「もっと近くにいたい」という思いが、どこか「子どもは私のもの」という感覚に繋がっていたのかもしれない。でも、子どもは私のものじゃない。彼/彼女には自分の人生があり、私はその一部を共有する「ゲスト」のような存在だ。
数ヶ月に1回の面会で、子どもの成長に驚き、笑顔に癒される。その瞬間を「期限付きのイベント」として心から楽しむことが、別居親としての私の幸せだと思う。いつか子どもが大人になったとき、「お父さん/お母さん、いつも楽しそうだったね」と言ってくれたら、それでいい。そんな親子関係を、これからも大切にしていきたい。