12月は2週間おやすみを頂いて日本で休暇を楽しんできました。向かった先は宮城と山形で、高知県に住んでいる両親とも合流して、温泉・日本酒・山形牛・海鮮三昧をしてきました。日本ならではの細やかな心遣いがお料理にも細部にも行き渡っていて、「あぁ、これが日本よね」と雪見の露天風呂に体を沈めて思いました。

自然の恵みが非常に溢れている国ですが、それは時として自然の力の前には人間の非力さを知らしめしてくれることに繋がったりします。
今回家族旅行の先に宮城県を入れたのは、地域経済に多少なりとも貢献しよう…という思いからでした。もちろん3月11日の直後には、会社のマッチングギフト(個人が寄付した同額を会社も寄付するという仕組み)をフル活用して、American Red Crossを通じて寄付もしました。私が本当にしたい貢献は、お金をあげたり物をあげたりという貢献よりは、むしろ、被災した方々が何かを自力で生み出して行ける様なサポートをすることなのです。例えば、地域の産物を買う、新しい収入の糧を得られる様なスキルを身につけるための費用のサポートをする。。。そういったことをしていきたいのですね。その方がお金が活きるからです。

もちろん、全てを失ってしまった人達にとって「最初の一歩」のための基盤整備は必要です。それこそ最初の一歩です。でも、そこからは一日も早く自活できるための後押し…が、周りにいる人の出来ること、すべきことなのじゃないかなと思います。

そういう観点から「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(http://fumbaro.org/) には注目しています。ほぼ日刊イトイ新聞に始められた西条剛央さんと糸井重里さんの対談が載っていて(http://www.1101.com/funbaro/2011-06-17.html )、構造構成主義の学者である西条さんがその枠組みを利用して、欲しい人のところに確実に物が届く様にするプロジェクトを動かして行ったという経験が語られています。そして、年末には仮設住宅に入っていないみなし仮説や半壊の家に住んでいる方々にもサポートが入る様にこたつとホットカーペットのプロジェクトを組織して、1万家庭以上に暖かい思いをしていただくことに成功しています。
そんなことが出来たのも 「目的」と「状況」を見つめて「方法」を考えるというパターンでプロジェクトをたちあげて、「何かしたいけれど何をして良いのか判らない」という気持ちだけはある人達を迅速にまとめたからだと言うことです。

会社組織の場合、「何かしたいけれど何をして良いのか判らない」人達より、「何となくしないといけないことはわかってるけど、そんなにやる気も起こらない」という人の心に火をつけてまとめて行くというのが現実だと思うのですが(笑)、こういうプロジェクトの場合は「次何をすればいいんですか?」って先を見通さずに「やりたい、やりたい」人が沢山集まって来るから、また違う苦労があるのだろうと思います。

さて、東北から戻って来て…

まだ、生活基盤の整備のところでもまだまだな人達がいる…ということで、「ふんばろう」のプロジェクトの人達が非難宅で必要としている物資をAmazonでリストしています。その「現地の人が本当に必要としているもの」を彼らがフィルターした後に掲載している「欲しいものリスト」から毎月一つ選んで送ることに決めました。

そして、どう関わるかまだ判らないのですが、ふんばろうの活動はSNS(FB)で展開されていますので、そこでの流れを見ながら一緒に流れに乗ってみるか、別に流れを作ってみることを考えるか…そんなことを思った年の瀬から新年でした。


毎年thanksgivingの時にクリスマスカードを書くのですが、一通のメールを加えることにしています。大体その一年を振り返って何をしたか何を考えたのかをまとめるのですが、特定できないところでまとめてみたいと思います。

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またこうして季節のご挨拶をしたためる時期になりました。

2011年は皆様にとってどんな一年だったでしょうか。

も ちろん3月11日のあの震災が誰の心の中にも一番の衝撃として刻まれていると思います。ほぼ地球の裏側にいて、私はテレビやニュースだけしか見ていないの に心的トラウマを受けていて、最初はそれに気がつきませんでした。二週間位して、初めて「あぁショックを受けている」と認識ができました。これをきっかけ に人生や生き方等いろいろと考える機会となり、意識して今迄と違う行動を起こす様になりました。

2011年は、私の勤める会社が世界中にあると実感した一年でもありました。2010年末に買収したのビジネスの世界展開の責任者として、約60カ国に展開されていた買収先のビジネスを当社のビジネスに転換する業務に従事しました。最初、そんなに大きくない買収先の会社が世界中に販売店契約をしてビジネスを広げていたということに面食らいましたが、それ以上にそのほとんどの国に私の勤める会社のビジネスパートナーが居て、世界に展開する企業というその大 きさを再認識しました。このビジネスのお陰で世界中の同僚と知り合いになり、メールのやり取りだけではなく、実際に出張で顔を合わせることも出来て、親し い同僚も増えました。世界は広いけれど、人はそんなに違わない。それが実感できました。この担当をしたことで最も楽しかったことの一つです。

まとめてみますと、生きる事の意味を考える機会を得て、人との出会いの大切さを実感し、感謝する一年でした。

2012年も引き続き、善く生きるという意味を考え感謝しつつ、立ち止まる事なく行動する年にしたいと思っています。皆様の来る年、沢山笑って様々なことに感謝できる幸せに満ちた年となりますよう願っています。

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 2012年皆様にとって良い年でありますように

日本の休暇中に「女性登用を考えている会社」と、カジュアルに面接をする…という予定がありました。
もちろん、男女雇用均等法が施行されて20余年たって、「そろそろうちも真剣に女子社員の活用を…」と考えている会社ですから、よっぽどのことがない限り食指は動かされないことは明白でした。

女子社員の活用 というのは すなわち、男女の別なく働きやすい職場を作る…ということで、「女性枠」を作るというのは、それに至る一歩であったとしても、まだまだハイキングで言うなら登山口にすら到達していない状態です。

でも、何事も経験ですから、お話はしにいってみよう…と思ったのでした。

ところが、面接の日が近づいて来ているのにリクルート会社からは一向にスケジュールの最終確認が来ません。
「これはなしになるかなぁ?」と思いつつ、時々メールを確認して休暇を楽しんでいたのです。

結果からすると「仕切り直し」ということになりました。

何故キャンセルになったのか…と言うところの理由は相手の会社の都合…という以外判りません。
「これは良い」と思った人が現れたのであれば、良かったね…と思います。
経済状況が不透明になってきたから、冒険するのやめる…って考えたのだったら、その会社に働く人にとって残念なことだなぁと思います。

性別や年齢に関係なくみんなが信頼をベースに活躍できる職場…これを作りたいというのが私のキャリアの後半戦の目標なので、それを実現する道のりはまだまだ続きます。


14日から日本に遊びに来ておりました。
今日で日本を発ってロサンゼルスで一泊し家に帰る予定です。

ロサンゼルスで一泊の理由は、羽田発ロサンゼルス行きが夜中出発深夜着なので、そこから乗り継ぐとなるとアメリカの国内線がRed eye(深夜便)になるからです。もちろん深夜便でもいいんですが、さすがに疲れるので、エアポートホテルで一泊することにしました。

休暇中は東北家族旅行(宮城・山形)と東京で友達に沢山会いました。本当にリフレッシュになりましたし、それまでずっとしゃべると出ていた咳が止まったのも感謝です。

アメリカでは25日のクリスマスのほうが日本で言うところの元旦みたいな感じなんですが、皆様残りのクリスマスと年末・年始楽しくお過ごしくださいませ。

家に帰りつくまで気持ちを抜かず、残りの休暇を楽しみます
レイキで手をあててもらったことのある人なら説明なしでレイキの何たるか…は判ると思うのですが、レイキが何たるやというのを知らない人にとっては、「何ぞや?」という感じですよね。漢字で書くと「霊気」ですからなにやら怪しげでもあります(笑)。

一応正統派の説明は「宇宙に無尽蔵にあるエネルギーであり、それに繋がって肉体・感情・精神・霊性の向上を目指す」ということになります。こんなことをはじめての人に言うと余計引かれそうです。

なので、一般的に初めての人には、私は「レイキを受ける人の自分のヒーリングパワーを促す、リラクゼーション法」といった説明をすることにしています。
やることは手を当ててぼ~っとすることだけです。でも、確実にエネルギーの感化が起こります。

これをサイエンスしている人が実は沢山います。多くの場合は、レイキの医療への応用で統計的手法を用いて効果を調べるというものです。その一方、Jim Oschmanと言う人は物理的にレイキを科学しています。いくつか論文も出ていますし、Googleで引けば出てきます。

それをざっくりまとめると…

心臓の拍動は電気的に行われており、この電気的活動が磁気も生み出す(電磁気のエネルギーですね)。心が穏やかな時には心臓の拍動のぶれが少なくなり、心臓から発する電磁気も安定したものが発生する様になる。

まだ、微弱なある周波数の電磁波が細胞の中のある反応を引き起こすことがだんだんと知られて来ており、鼓動から生じる電磁波にもこの周波数が含まれている。周波数が安定していれば、それだけ同期・同調が起こりやすくなる。

すなわち、心を穏やかにして安定した周波数の電磁波を心臓から発生させている人が他の人に近づくとその周波数に同調・同期が起こり、その周波数によって、体内の生化学反応が惹起される… ということの様です。


それと、もうひとつオシュマンさんの記述では見たことないのですが、「シューマン共振」というものとレイキを結びつける記事もたまに見かけます。シューマン共振というのは地球自身が磁石ですから電磁波が生まれる訳で、世界のどこへ行ってもその周波数のエネルギーが満ちています。その周波数は高僧の瞑想状態の時の脳波(α波)の周波数と一致しているそうで、レイキはこのシューマン共振と同調することによって安定をもたらすのではなかろうか?という議論です。

いずれにしてもいくつかのサイエンスな事実をつなげてある「仮説」ですが、これらを読んだ時「確かにね~」と思いました。
そのエネルギーに同調できれば距離関係なく繋がれますものね。

これらの仮説が立証されるのはいつか判りませんが、とりあえず私はこの程度の「仮説」でも十分納得しました。これらの仮説の好きなところは、距離が関係ないことと、レイキをする人というのは「ヒーラー」じゃなく、レイキを受ける人の自己治癒機能が活性化される…という部分をある程度説明することが出来るところです。

そう考えると携帯とか地球はどんどん天然ではない電磁波が溢れて来ています。何かそれらが大きな力に反応しているかも知れないですよね。
木曜日に仲良しの同僚とお昼ご飯を食べてきました。彼女とは6年前位まで同じ職場で働いていたんですが、そこからは別々の職場へ…。でも時々連絡を取り合っては一緒に御飯を食べたりしています。

非常に几帳面でしっかり者の彼女は曲がった適当なことが嫌いです。仕事のことでも、「この辺でいいじゃん」という質の低い同僚は許せません。常にそういうストレスを抱えているので、楽しそうに仕事をしている…という話は聞いたことが…振り返るとないんですよね。本人もそれは非常に自覚していて、「自分の性格と職場の環境がミスマッチだ」という結論を下しています。とはいえ、おいそれと違う職場に異動することも出来ず、ストレスの多い日々を送っています。

それに加えて、一番上のお嬢さんが今度結婚することになり、親としていろいろ忙しい様子ですし、一番したの子はまだ小さいので課外活動の送り迎え等もしなければなりません。更にはお姉さんが若年性のアルツハイマー病を患ってしまい、長期療養施設に入ってもらっているのですが、彼女がその面倒を見ているという状況です。そして、以前お母さんが倒れた時も彼女が面倒を見て最期を見届けたのでした。

仕事でのストレスと家庭内の全ての厄介事を一手に引き受けている…そんな彼女なのです。

それだけストレスが溜まる日常ですから、当然体の方も悲鳴を上げ始めます。最初、そばのアレルギーが出ました。次にアトピー、そしてグルテンにアレルギーになり、今度はホルモンが低下し、コレステロールの値が低すぎる状態になって来ている…と、お昼ご飯を食べながら彼女はいいました。

「明らかに体の調子がぼろぼろなんだけど、病気じゃないの!」
彼女は憤慨していました。そうなのです。西洋医学では、様々な体内のバランスが仮に崩れていても、病名にはまらないと「健康」になっちゃいますからね。
「病気と健康の間には大きなグレーゾーンがあるものね」と私は言いました。「明らかに体調は良くないけれど、病気じゃないってところだよねぇ」

「体調を良くするためには何だってするよ!ヨガとかも週に2回やってるし、呼吸法だってやってるもの」
律儀な性格ですから、それだけ忙しいのに毎日フィットネスセンターにちゃんと通っているのでした。

彼女に以前一度だけレイキをしてあげたことがあります。その後、アルツハイマーを患ったお姉さんが不眠と妄想で苦しんでいる時に2回レイキをしてあげて、マッサージベッドで眠ることが出来るところまでサポートしてあげたこともあります。

私は彼女の体調が下降気味であるという話を聞いた時に、薬を仮に処方されても根本的な解決がない限りダメだろうな…と思いました。明らかに体が悲鳴を上げているのです。彼女自身が変わらなければいけません。私は自分自身受けたことはないのですが、とっさに「ヒプノセラピー」という言葉を思い浮かべました。けれど自分がよくわからないことをお勧めする訳にもいきませんから、もう一回レイキしてみる?という話を持ちかけました。
そして、土曜日の今日レイキをしに彼女の家迄出かけることになりました。

実は、彼女とお昼ご飯を食べて職場に戻る車の中で「これだ!」と思ったことがあったのです。
彼女のお姉さんの話をしていました。彼女にはお姉さんが3人います。4人姉妹の末っ子である彼女が何故お母さんもお姉さんもケアしていて、他のお姉さん達がしないのはなぜか?という話をしていたのです。
「ニューヨークの姉は医師で、私に病気のお姉さんの薬の処方が正しくないって怒鳴るのよ!」
医師の姉がいて、その人は手を出さず、献身的に看病している彼女を叱るのだというのです。
「それってすごく理不尽。」
「でしょ?だから私『そんなに不満だったらそっちに送るから好きな様に看病しなさいよ』って言ってやったの。」
彼女も憤慨していました。そして、彼女は続けました。

私なんて、どうせ大したことないちびっ子だと思ってるんだろうから」 と

この言葉で私は謎が解けたと思ったのです。

何故私が「ヒプノセラピー」とふと思ったか…というのも、繋がりました。彼女は姉妹の中で唯一弁護士にも医師にもならなかった子供でした。末っ子で、「良く出来た姉達」の下でみそっかすとして扱われてきたらしい…というのは、他の場面の彼女の会話からも明白でした。おそらくは親や姉達に認められたくて、でも認められなくて…という心の渇きを持って育ってきているのです。だから、一生懸命他の人に尽くしてしまう。自分が体を壊す程一生懸命頑張っているから適当な人を見ると許せないのです。

私はこう言いました。「今から言う言葉を忘れちゃダメ。時々思い出してね。」と

Love is not conditional.
You are loved because of what you are.  You are not loved because of what you do for us.
あなたが皆に愛されるのはあなただから。私たちに何かをしてくれるからその代償として愛してるんじゃないのよ。 と。

そして、土曜日になりレイキをしに出かけました。

レイキをする時は出来るだけ自分の念を入れない様にします。そうしないとレイキの流れがブロックされるからです。普段は本当に手の感覚だけ感じてぼ~っとするのですが、今回はレイキを流す対象をイメージすることに決めていました。

彼女に手を当てさせてもらいながら、私は彼女のインナーチャイルドに向けてレイキを流すイメージをしました。すると、小さな彼女が一生懸命掃除したりして、ちょこまか動いているイメージが浮かんできました。そこで、「沢山働いたね。少しゆっくりしようか」と話しかけ、ベッドの中に小さな彼女を入れて、ゆっくりと頭をなでてあげながら「ゆっくり落ち着いておやすみ」と言うイメージで、レイキの白い光が寝室を満たして行く…そんな風にレイキを流してみたのです。

インナーチャイルドの癒しは自分で見つけてあげなければ、本当の癒しはやってこないと思います。だから私はそれを彼女に言わないことにしました。
そのうち彼女が見つけられる日がくると良いと思います。

そして、もうひとつ気づきがありました。この2ヶ月風邪をひいたのがきっかけで鼻炎と咳喘息を起こしていて、抗生物質も最初に処方されたものが効かないし、しゃべると咳が出るし…レイキしても良くならない…で、結構辛いのですが、

「これって私の体がそろそろ悲鳴あげてもいいっすか?って言ってることか!」と気がつきました。
過去の体調不良のパターンを見ると、根詰めて働いてプロジェクトが成功して「ほっとする」と、出てくるんでした…。仕事のピーク時には精神が体の悲鳴を押して、体が我慢してるんですね。精神が「ほっとして」弛緩すると、体が「もう黙ってられない!」と暴れ出す訳です。

ということで、今日は朝一番に自分に「ありがとうね~。」と、自分の体に感謝しながら忙しかったし大変だったけどあんなこともこんなことも楽しかったよね~と回想しながらレイキでセルフヒーリングをしばらくしました。折しも休暇で温泉にもいきますし、我慢してきた体のケアを私も友達のことだけじゃなくて、自分にも当てはめてやってこようと思います。

彼女の不定愁訴が私の不調への対応の回答を促した…これまた感謝なことなのでした。

月曜日に担当ビジネスのアップデートをして、非常によいミーティングを持てたというのは数日前に書きました。
今日はディビジョンの四半期毎のミーティングがありました。事業部の全員が出席する大きな会議です。時間的に可能なヨーロッパ・カナダ・南米も繋がっていました。様々なビジネスの成功等を讃え合い、最後に事業部のトップからの総括と来年の重点項目の話がありました。

ちなみに今年のプライオリティの一番手は私が担当している仕事のところで結果を出す…だったんですね(汗)。まぁプライオリティで、美しい結果と来年に向けての橋渡しがうまく出来ているので、プライオリティとしての責任は果たしたと思います。その結果を事業部のトップが話した時に、私の名前ともうひとり、社内のシステムや人事関係の統合を担当したマネージャーの名前が呼ばれ、感謝されました。ちょっとでも言われるとうれしいですよね。

そして、来年のプライオリティのNo. 1も引き続き私の担当している仕事のところで結果を出す…というものでした。まぁ判ってましたよ。どこよりも伸びしろがあって、それが理由で買収したんですからね。2012年も楽しく頑張って行きたいと思います。

さて、そのミーティングが終わり、私がオフィスに戻ってくると電話に伝言が入っていました。もうひとり名前を呼ばれたマネージャーからでした。

車の中から電話をかけて来ていたのですが、すごく楽しそうにはしゃいだ声で
「ディビジョンミーティングで名前が呼ばれて本当によかったよね!少なくとも我々の名前とあのビジネスを繋いで覚えてくれてたってことだもんねぇ!ほんと、おめでとう。来年もがんばろうね!」というメッセージが残っていたのです。

彼はよっぽど名前を呼ばれて褒められたのがうれしかったのですね。
「あぁ、私こんなに彼程喜んでなかったなあ…」と思ったのと同時に「彼も事業部のトップに認められる機会があってよかったな」と思いました。


実はこれには伏線があるのです。

半年程前のことです。買収してからも半年…というタイミングのことでした。買収先の海外勤務社員を先に会社に統合しよう…という話になりました。そこでそれと同時に、統合やビジネスの展開を担当している彼や私の仕事の権限ももう一度定義し直そう…という話になりました。実はこの事業部の悪い癖で、最初にしっかりと組織や責任を考えないでとりあえず「保険」の様に同じ担当に複数の人をかぶせたりするのです。そこで、被り合う人達の間で押し合い引き合いになって本来の仕事に専念できなくなってしまうのです。

当時私は出来るだけ横やりを入れられない様に、本丸のお上達に対しては気配を若干殺して海外でやりたい様に判断し、仕事をばりばりとこなしていました。そこへ来て「担当の定義しなおし」という話題があがって来たのです。正直うんざりしました。

当時の事業部のトップは、買収前のビジネスの伸びを買収・統合の作業によって鈍化させるのを極度に恐れていました。そして、買収先の人達を過度に重用していたのです。買収先の人達は彼らのやり方が「このビジネスをする上で正しい方法だ」と思っています。そして事業部のトップが重用するものですから、「買収先の文化や組織にある程度適応して行かなければならない」という心構えも謙虚さもなかなか生まれない土壌になっていたのです。けれど実際は買収先のやり方が全て正しい…なんてことはあるはずありません。我々の同僚で買収先と一緒に仕事をする担当になった人達は会えば、「信じられない!買ったのは私たちなのに、なにあのお高くとまった態度!」と文句の嵐が吹き荒れていました。

そんな扱いにくい環境の中、彼も私も買収元の社員として、その辺のお高くとまっている人達をうまく懐柔しつつ、「新しい文化に適合してどんどん活躍したい」と心を切り替えた人達と一緒にばりばりと仕事をしていたのです。彼は私と違って別に気配を隠そうという意志はさっぱりなかったと思います。けれど、「正しいことをする」まさに仕事の鬼で、「寝てる時間あるの?」という位仕事に生きている人です。ですから、「社内広報活動」は二の次になり、本丸のお上からは結果的に余り見えない状況になっていたのでした。

彼が寝る暇も惜しんで身を粉にして働いているのは現場を知っている人からしたら誰の目にも明白な事実だったのです。しかし、彼は衝撃的なことを事業部のトップから言われていました。買収先で一番お高くとまっている人が「仕事が多すぎて困る」と文句を事業部のトップにこぼしていたのです。彼らの言うことは全て聞く状態だった事業部のトップはこともあろうか、その文句を言った人のおそらく3倍は働いている彼に「少し仕事を助けてあげて頂戴」と言ったというのです。お上の中でも彼の直属の上司はさすがに彼がその文句たれより遥かに忙しく働いていることを知っていました。直属の上司は「この場で口答えするな」という目配せをして、彼が反論するのを抑えたのです。

そして、事業部のトップは同じ様に私のやっていることも見えていませんでした。海外のビジネスは買収先の担当者が完璧に仕事をこなしている…と考えていて、ビジネスの統合や事業展開の準備は全く見えていなかったのです。もちろん直属の上司にはきちんと伝えてありました。けれど、それは私の上司が「状況に振り回されている」状態で、結局私が説明しても理解しないというところで断絶が起き、事業部トップに対してきちんと説明が出来ないのでした。

かくして、我々の役割も再定義されることになったのです。

彼は事業部のトップにお高くとまった文句たれの仕事を手伝ってやれ…と言われたことが余程衝撃的だった様でした。私もそんなこと言われたら、完全に「ちゃぶ台をひっくり返していた」と思います。(文脈から外れますが、「ちゃぶ台をひっくり返す」って英語でなんて言えばいいのかなぁ…と、日本語で思う度に考えます)そこをぐっと我慢した彼でしたが、貢献が全く認識されていない…というのはやっぱりやりきれないことです。

そして私は「どうせ何やったって批判されるんでしょ?ならやりたい様にやるわよ!」と思って始めていますから、「認識されていない」という時点で「まぁ、気配隠してたし…それにどうせ、気配隠してなかったってわかんないでしょ?」と冷めた様に見えてその実不満たらたらだった訳です。

こうして、「例えお上に認められなくても自分のプロとしての根性とスキルで結果を出す」と二人でデュッセルドルフの日本の居酒屋で杯を傾け合いながら慰め合った日々があったのでした。

役割の再定義はもちろん我々が定義を決めました。我々の直属の上司たちは「中身は良く説明できないけど、とりあえずなんかうまく進んでるみたいだから本人が言っている役割で定義しておけばそれでいいか?」と思ったのだろうと思います。

そこから半年が過ぎて…。
多くの本社サイドの人達が、買収先から排斥され結局担当を外れていったのですが、我々はしっかりと地盤を築いて一歩一歩進んで行きました。時折、その文句たれから私の上司に「仕事を急ぎすぎる」という私に対する非難が来ていた様ですが、さすがに上司も「それだけ高いスタンダードで仕事してるってことよ」と相手にはしませんでした。

今週はじめののアップデートで、我々がどんな人達と一緒に仕事をし、どんなものを作り上げ、結果を出したのか…まとめてみせてあげたことで、我々が社内広報活動を行わなかったけれど、その時間も惜しんで結果を出すために頑張っていたのかを理解してもらえたのだと思います。それに買収してから1年も経って、さすがに事業部のトップも買収先の判断が全て正しいといった偏重はもはやしなくなっていました。

その間私は「そういう評価にこだわるのはどうでもいいや」と思える様になっていたのですが、彼の方はまだ「仕事の貢献が認められている」と自信が持てていなかったのかもしれません。だからこそ、今日の賞賛は殊の外うれしかったのでしょう。

私はアップデートでやっぱり写真を沢山載せて良かったな…と思いました。




レイキをテーマにした季刊誌を購読し始めたのですが、その冬の号に

Vanishing Twin Syndrome の女性の手記が載っていました。Vanishing Twin Syndrome訳すと「消える双子症候群」となります。
彼女はこの症候群の中でも稀なケースのFetus in fetu(胎児内胎児)として双子の姉妹と共生していたのだそうです。

この胎児内胎児というのは受精卵が双子として成長して来たのに、何かの拍子で成長スピードに差が出て、成長の遅い胎児の方が成長の速い胎児の内側に取り込まれてしまい、共生関係が成立してしまうものです。

大体の場合、大人になって腹部や背中の痛み等不都合を感じて「双子がいる」という事実を発見すると言うことの様です。結局のところはその胎児を手術で体内から除去する必要があります。

この著者は双子が自分の体の中にいて除去しないといけない、あるいは除去したという経験は非常に心身を蝕むと説明しています。
「何故私が生き残って双子の片割れは生き残れなかったのか?」答えのない問いを頭の中で繰り返し、過食、不眠等様々な不調が襲ったということでした。

まぁこの手記がレイキの雑誌に載っているということはここまで書いたらお分かりだと思いますが、筆者はレイキでそういった心の傷を癒すことができたそうです。


私にはもちろん双子はいませんが、もしも同じ遺伝子・細胞から生まれて来た片割れがいるとして、その片割れが自分の成長のために消えて行った…としたら、それはとてもショックなことだろうと想像できます。

そして、彼女はレイキで生き延びられなかった双子の片割れの供養をし、成仏(彼女のいるべき場所に戻って行った…と英語ではかいてありますが)してもらったということでした。

すごく寂しいけれど、でもとても温かい別れだったのではないでしょうかね。


この数日YouTubeで懐メロ(笑)ビデオをいろいろ見ては、「いいなぁ」なんて思ったりしています。これは古いものが良いのではなくて、経年変化に打ち勝って来た名曲が必然として残っているだけに過ぎません。

中島みゆきの「時代」から、関連ビデオで今年の地震のビデオが沢山出てきました。あの津波にショックを受けていた中で多くの人が「時代」を想起してビデオを作り、BGMに選んだんですね。

確かに言葉を失いショックを受けている自覚すら持てない二週間を過ごしました。起きていればNHKのニュースをつけて、ネットでもニュースを探して余りに強烈にニュースにひき付けられ続けるので、同僚から「テレビを見たらダメ」という禁止令が出た程です。それでテレビから離れたら、なんだかやっと「あぁショック受けてる」という自覚を持てる様になりました。その後も立ち直るのにかなり時間がかかり、その深刻度に自分で驚いた位です。

そんな時からまだ1年も経っていない訳ですが、あの時の気持ちを少し忘れかけていたなということをとあるビデオを見て思いました。


この手のビデオも星の数程あがっていますが、改めて見直してみて、「強く優しく礼儀正しいことを誇りに思う」「みんなで頑張る」ってことはもう少し覚えていなきゃいけないんじゃないかと思いました。

ユーロの経済が非常に不安定になっていて、これも経済の津波を引き起こすかもしれない…と、世界が緊張し、日本はこれから頑張らなきゃいけない時なのに、将来のビジョンを語って元気を出させてくれる様な政治も行われない、直ぐに収束することはない地震・津波の復興…新たな憂鬱が沢山出て来ていて、つい下を向いちゃいそうになります。

でもね、そういう激甚災害に見舞われた直後、私たちは確かに「強さと優しさ」を一緒に感じた時期があったのです。
しらけたことを言うのが時流に乗っている…って感じはあの瞬間はなかった。

そんな素直な強さを大きな代償を払って思い出したのだから、それを簡単に手放してはいけない………そうじゃないでしょうかね?。