#654 『枕草子』第114段に登場した藤原宣孝~『光る君へ』を楽しむため | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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光る君へ』でまひろの父為時と仲が良く、のちにまひろの夫となる藤原宣孝ですが、第13回の派手な格好での御嶽詣でについて、実は、清少納言が随筆『枕草子』で書いています。

剛腕に加えて、外戚として権勢を確立するために、幾重にも張り巡らせる天皇家との婚姻の網

(NHK大河ドラマ『光る君へ』で御嶽詣で帰りの派手な藤原宣孝(C)NHK)

 

  『枕草子』第114段に登場した藤原宣孝

第1回から、藤原為時の友人として家に訪れる藤原宣孝、まひろの婿取り探しなどのまひろが望んでいるかも関係なく動き回っていますが、この藤原宣孝も、為時も、道長らと同じく藤原北家の一門です。北家が最上級の貴族から、中下級まで幅広く広がっているのがよくわかります。

 

藤原宣孝は、為時とは違って如才ない方だったんでしょう。蔵人やら、検非違使やら、各地の国守などの役職を得ている方で、実はまひろを妻にします。

 

そんな藤原宣孝がド派手な格好で御嶽詣でをしたエピソードが『光る君へ』の第13回「進むべき道」で出てきますが、この話については、清少納言が随筆『枕草子』で書いています。

(NHK大河ドラマ『光る君へ』の清少納言(C)NHK)

 

右衞門佐宣孝(=藤原宣孝)といひたる人は、
「あぢきなきことなり。ただきよき衣を着て詣でむに、なでふことかあらむ。かならずよも、『あやしうて詣でよ』と、御嶽さらにのたまはじ」
とて、三月晦、紫のいと濃き指貫、白き襖、山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て、隆光が主殿助には、 青色の襖、紅の衣、すりもどろかしたる水干といふ袴を着せて、うちつづき詣でたりけるを、帰る人もいま詣づるも、珍しうあやしきことに、
「すべて昔よりこの山に、かかる姿の人見えざりつ」
と、あさましがりを、四月朔に帰りて、六月十日のほどに、筑前守の辞せしに、なりたりしこそ、
「げに言ひけるにたがはずも」と聞こえしか。
これは、あはれなることにはあらねど、御嶽のついでなり。

と記録されています。

 

<現代語訳>

吉野の御嶽詣(金峯山詣)の際に、藤原宣孝は、「世間並みの清き衣装で詣でたところで大した御利益などあるまい。金剛蔵王大権現様も、必ず『粗末な身なりで参詣せよ』と決しておっしゃるまい」と言って、自身は、濃い紫の指貫・白い狩衣・山吹のとても派手な衣を着て、主殿助である息子の隆光には、青色の狩衣・紅の衣・手の込んだ摺り模様の水干を着せて行きました。

 

宣孝ら一行の姿を、吉野から京に戻る人たちも、吉野に向かう人たちも珍妙奇態なことだとして
「一体全体、昔からこのお山で、こんな身なりの人は見かけたことがない」とあきれかえったそうです。

 

しかし、宣孝らが下山して京に戻ると、筑紫国の国守が空き、その後任に宣孝が任じられたということで、「なるほど、言っていた通りだ」 と評判になりました。

(NHK大河ドラマ『光る君へ』でド派手な御嶽詣のおかげで筑紫国の国司となれたと伝える藤原宣孝(C)NHK)

という風に描かれています。この段が、のちに紫式部が『紫式部日記』にて、清少納言に筆誅と言ってもいいレベルの批判をすることになる一因と言われています。

 

藤原宣孝のド派手な御嶽詣でについて

 

藤原宣孝、ド派手御嶽詣で筑紫国の国司をゲット

 

 

 

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