『光る君へ』の第1回から登場し、兼家の謀略を実施した道兼の毒で体を壊して退位することになった第64代 円融天皇について『大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)』で見ていきたいと思います。
「安和の変」が鍵となる源高明の娘の明子の兼家らへの思い
(NHK大河ドラマ『光る君へ』で円融天皇(C)NHK)
”安和の変”
『大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)』ではどのように記録されているのでしょうか、それを見ていきたいと思います。
円融天皇は、村上天皇の第五皇子の守平親王で、母は先代の冷泉天皇と同じです。
”安和の変”について
969(安和2)年、藤原兼家らが、左大臣源高明の勢力伸長を恐れ、源高明の娘を妃とする為平親王の立太子を抑え、守平親王(のちの円融天皇)を東宮にし、無き罪をでっちあげて左大臣源高明を太宰府に左遷させた事件です。
関係図にある通り、為平親王が即位し、源高明の娘との間に親王が生まれると源高明による外戚政治が成立する可能性がありました。
(円融天皇らを巡る関係図)
この事件について、大鏡では「大変聞き苦しい、ひどい事件がありました」と記述されています。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』で源高明の娘の明子(C)NHK)
その源高明の違う娘が、詮子が結婚させようとする明子です。そういった意味ではこの明子が藤原兼家に強い恨みを持って描かれているのも納得できるところです。
円融天皇は、969(安和2)年に11歳で即位し、984(永観2)年に退位し、退位した翌年に出家し、991(正暦2)年に33歳で亡くなりました。
『光る君へ』では、兼家の指図で道兼に毒を盛られるなんていう謀略が描かれていますが、大鏡の円融天皇についてのヶ所にはそのような記述はなされていませんでした。