外戚政治で他氏排斥を進めるだけでなく、弟ですら発言力を弱める藤原良房の陰謀がポイント
レビュー
今回の主役は、摂関政治を始めた”陰謀家”の藤原良房
(『まんが日本史』より、弓削道鏡)
桓武天皇の子の嵯峨天皇・上皇時代は比較的に平和だったそうですが、藤原氏にとっては煙たい存在だそうで、その嵯峨上皇が亡くなり、仁明・文徳天皇の後、858年に藤原良房の孫にあたる惟仁親王が9歳で即位して清和天皇となります。母は良房の娘の明子(あきらけいこ)です。
9歳で政務ができるわけの無い清和天皇を支えるのが太政大臣となった藤原良房で、人臣初の摂政となり、摂関政治がここに始まります。
藤原良房は他氏排斥を進め、藤原一門の権勢を確立します。代表例がこの”応天門の変”です。
866(貞観8)年、応天門が炎上する事件が起こります。
(『まんが日本史』より炎上する応天門)
子の基経は、父にその急を知らせますが、藤原良房はこれをチャンスととらえて策謀をめぐらそうとしている雰囲気で描かれます。
清涼殿での会議において、左大臣の源信は陰陽師の占いで理由を聞くことを提案します。
(『まんが日本史』より、右大臣藤原良相、左大臣源信、大納言の伴善男)
伴善男は、占いなどではなく放火犯を捕まえれば、その後ろにいるものが判明するはずだから、放火犯を捕らえることを主張します。
※この作品では描かれていませんが、伴善男と源信は不仲で、以前に伴善男は源信が謀反のうわさがあると言い立てたことがありました。
藤原良房は息子の基経に、弟の右大臣良相が伴善男にそそのかされて何かを仕掛けてくるに違いないと注意したところ、良相と善男は、左大臣源信を放火犯として捕縛して尋問にかけてしまおうと考えます。右大臣良相も娘が清和天皇に嫁いでおり、兄に変わって自らの権力掌握を企んでいました。
これを知った良房は清和天皇に源信の無実を進言して守ります。そのことを知った良相と善男はいったん追及を控えることとなり、左大臣源信の提案の陰陽師による占いを行い、原因が”神の怒り”であるとのことで、伊勢神宮をはじめ全国の寺社にその怒りを鎮める祈願をさせます。
良房は、神の怒りなものかと、誰かがつけたんだと、そして自分も神のおつげで必ず犯人が捕まると聞いたとして、その話を流させます。
そうすると、応天門の放火犯を見たというものが現れ、なんと伴善男の息子の中庸だと証言し、これにより伴善男は伊豆へ、中庸は隠岐へ流されてしまいます。
藤原良房は、これにより伴氏を排斥するとともに、弟の良相の発言力も削ぐことに成功します。息子の基経に政敵を倒せと教えます。
『まんが日本史』の特徴として、事件などについて庶民らに思ったことを語らせることで、この応天門の変については、藤原良房は伴善男らが追い落とそうとした源信を守ったが、一方で流れた伴善男については追い落とされたのは追い落とそうとしたものがいたんだろうなと、それは良房ではないかというような陰謀あふれる平安前期の様子が述べられていました。
同時代頃の世界史
中国では杜甫を尊敬している白楽天が活躍し、社会批判や政治批判の詩を発表しました。
(『まんが日本史』より、白楽天)
ヨーロッパではフランク王国が王位継承問題から、843年に西フランク王国、イタリア王国、東フランク王国の3つに分かれました。
(『まんが日本史』より、三つに分かれたフランク王国)