#345 本レビュー『源平合戦の虚像を剥ぐ』~日本の古典『平家物語』を読むため | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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『平家物語』による「平家物語史観」なるものから距離を取って史実を見てみようと『源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究 (講談社学術文庫)』を読みました。

平家物語史観から離れてみる実際の源平合戦

源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究 (講談社学術文庫)

 

  本書について

武士の成り立ちについて、地方における在地領主が自衛のため武器を持ち、武士になるという従来の通説的な理解ではなく、武士の弓や馬のその扱いは、管弦・和歌・陰陽・医方などの特殊な職能であり、特殊な戦闘技術を身につけた一種の芸能者であったこと

 

武士が地方の農村から発展したという通説に対して、平安後期の武士の武装・武器・武具を詳細に検討した方によると、武士は意外に都の貴族社会において発展したことが明らかになってきているそうで、武具などは専門的工人集団があってこそで、それは京都でなければ成立しないことというのは確かにその通りではないかと思います。

 

源平合戦についても、『平家物語』による「平家物語史観」に囚われて、武士と武士が名乗りを上げて一騎打ちするような戦い方こそ源平合戦の戦い方だと理解してしまってはだめで、それは物語の展開として劇的である必要があるのでその演出としてのスタイルであり、全国各地で大動員され、武士以外も多く参加する戦闘様式になった結果として。すでに『太平記』の楠木正成的な戦い方は行われていたということでした。

 

『平家物語』もすべて読んでみると、確かに武士の一騎打ちというよりも集団戦として描かれているものが多かったことを思い出しました。

 

統治者としての神話創造のためどうしても必要だった奥州合戦

一番印象に残ったのは、第6章の奥州合戦

源頼朝にとっては、義経がどうなろうと奥州藤原氏を討伐する必要性があった。それは源氏の棟梁の「貴種」性を自らに集中し、鎌倉殿と御家人の主従関係を強固なものにするために、ご先祖にあたる前九年の役(1051~1062)で奥州で中央に反旗を翻した「奥六郡の主」安倍頼時・貞任を討った鎮守府将軍源頼義を意識し、その前九年の役をさらに大掛かりに全国の御家人に動員を呼び掛けて大々的に再現することで、その神話を創造し完成させて、新たなる統治者としてふるまう源頼朝の「政治」としての戦争であったことが印象に残りました。

 

先祖の源頼義と同じく先頭に立つ源頼朝、攻め入る際の旗も頼義の時の旗の寸法に合わせ、藤原泰衡の首が届いて勝利が確定しても。頼義が到達した厨川柵まで進んでいったことなど、前九年の役の再現に拘ったこと、そもそも鎌倉入り自体が、頼義ゆかりの地であり、鶴岡八幡宮も頼義が前九年の役ののちに勧請したこと起源にあり、源頼朝は源氏のその貴種の源として、源頼義を意識し、木曽義仲も同じように源頼義の前九年の役を意識していたということは源頼義こそ”武家源氏オリジン”と言っていい存在なんだと思います。

 

頼朝としては、この武家源氏オリジンを頼朝とその子孫に集中するための神話の創造として奥州藤原氏攻めが企図されていた。義経の存在は実際はどっちでもよく、口実として活用するのによかったという程度なんだということになるんだと思います。

 

 

  本書の構成

  第1章:武士再考

  第2章:「弓馬の道」の実相

  第3章:源平の「総力戦」

  第4章:飢饉の中の兵粮調達

  第5章:鎌倉幕府権力の形成

  第6章:奥州合戦

 

<書籍データ>

『源平合戦の虚像を剥ぐ 

         治承・寿永内乱史研究』

編 者:川合 康

発行所:株式会社講談社

価 格:1,100円(税別)

 2010年4月12日   第1刷発行

 2011年12月1日 第4刷発行

  講談社学術文庫 1988

  ※本書の原本は。1996年刊行

 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

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