『「長篠・設楽原の戦い」鉄炮玉の謎を解く』を読みました。織田・徳川vs武田の戦いが鉄炮玉からどう見えるのか?
鉄炮玉から世界とのつながりが見える戦国時代
<書籍データ>
『「長篠・設楽原の戦い」鉄炮玉の謎を解く』
監 修:小和田 哲男 宇田川 武久
発 行:株式会社黎明書房
価 格:2,000円(税別)
発 売:2017年10月15日
感想・考察など
帯にある通り、織田信長・徳川家康連合軍の鉄炮隊 VS 武田勝頼の騎馬隊という構図の戦いとして語られる「長篠・設楽原の戦い」のその戦場で出土した鉄炮玉の成分を科学的に解析することで、その鉛がどこで産出されたものかなどの調べるという歴史を科学的アプローチで研究するという1冊でした。
鉄炮玉というと、私には丸い鉛玉のしかイメージしていませんでした。それが本書で材質や形状についても、がバラエティに富んでいることを知りました。
材質:鉛、鉄、青銅、合金、石、土
形状:鉛玉3個を穴をあけてより糸でつないだ玉、2個の玉を結んだ玉、四角玉、布で二個の玉を包んだ玉、半円の玉など
鉄炮玉の鉛成分を「鉛同位体比測定法」で科学的に分析すると、その産地を推定することができるそうで、「長篠・設楽原の戦い」のエリアで見つかった銅製・鉛製の鉄砲玉は、日本国内だけでなく、朝鮮半島、中国華南地方、タイと幅広く広がり、南蛮貿易の影響が分かります。鉄砲伝来とキリスト教伝来が世界と大きくつながったイメージするモノの代表ですが、鉄砲玉の材料も世界とつながっていることが分かるものと言えます。
『信長公記』『三河物語』『松平記』『甲陽軍鑑』『当代記』『長篠日記』『菅沼記』など資料の佐那ザマな表現に関する検証や、現地の石碑や地名、田畑に関して江戸時代の検地帳などを生かした検証などを通じて、実際の戦場の状態や馬防柵の立てられ方、そして”鉄炮三千挺による三弾打ち”について本当にそうなのか、どうだったのかという検証が行われます。
設楽原エリアは実は水田がかなり広がっていて、ちょうどこの時期は水田には水が満々とはられ、武田軍は騎馬隊も人も全エリアに広がって進軍するのは不可能であったこと、そこからすると田んぼのあぜ道や田んぼの間の道を通ってくる形でしか進軍できない状態であったこと、織田・徳川連合軍の馬防柵も延々と築く必要はなく、その田んぼのあぜ道や間の道に対して主に設置すれば、十分にその機能を果たせるということで、ずらーーーーと切れ間なく馬防柵がというわけではなさそうということが分かり、よりイメージを具体化できました。
本書の構成
序 章 :鉄炮の戦い”長篠・設楽原”の展開
第 一 章 :戦いの舞台に立つ
研究の視点Ⅰ:戦国時代の多種多様な鉄炮玉の世界
研究の視点Ⅱ:戦国時代の鉄炮玉の鉛同位体比測定法
第 二 章 :姿を現した戦国の鉄炮玉
第 三 章 :決戦は”鉄炮を以て散々に”の戦い
終 章 :三河の「鉛山」に家康文書
大河ドラマの「設楽原の戦い」の回
『三河物語』での「設楽原の戦い」について
『信長公記』での「設楽原の戦い」について