2023年大河『どうする家康』を楽しむために、小手伸也さんの演じる大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書いた『三河物語』を読んでいこうと思います。第6回は「五代目 松平長親」
松平家五代目、北条早雲(伊勢新九郎)の来攻を阻む
松平長親墓(大樹寺)
先祖代々お慈悲、ご武芸がすぐれていた。お命が危ないにお会いになったことでは右にでるかたはないだろうとのこと
その理由は、北条早雲(伊勢新九郎)の西三河侵攻
伊勢宗瑞像(小田原城所蔵)
この伊勢新九郎長氏(北条早雲)が、今川氏親の名代として、駿河・遠江・東三河の軍勢1万余で西三河に攻め入る。岩津城まで攻め寄せますが、岩津殿は戦い上手でしっかりと守り、伊勢新九郎らも諸軍勢をもてあましてしまった。
松平長親は、相手が大軍(1万余)でこちらは小勢(500ほど)のため大変な戦いになること、死ぬ覚悟であることを家臣らに伝えます。
家臣らも、自分たちも妻子を顧みずに、主君の長親様の前で戦死して、三途の川のおともができることは、弓矢とりの面目この上ないと申し上げ、長親も感涙を流し、わずか500余の軍勢で安城城を出発すると、伊勢新九郎も小勢であることを喜んで兵を出し対決することに
長親らは小勢ながらも一丸となって戦い、伊勢新九郎の本隊が逃げ始めてしまうまで戦った結果、伊勢新九郎は馬回りのものだけで吉田まで退却してしまったため、今川方の軍勢も吉田に引き返して撃退に成功しあっため、国内で長親に逆らう者はいなくなった。
その後、次郎内膳殿に櫻井城を、三男新太郎殿に青野城を与え、息子の信忠に安城城をお譲りになり、亡くなられた。