#154 織田信長、今川義元の両雄そろう~『桶狭間戦記 3』を読む | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

歴史をもっと知りたい!
本を読めば広がる光と闇を楽しんでいます。
歴史と読書記録。積読などをアップしながら、日本史や世界史を問わず歴史の考察などを発信します。

織田信長ものし上がり、ついに桶狭間の戦いの両雄が戦国大名として揃い踏みとなる歴史マンガ『桶狭間戦記』の3巻

すでに戦国大名の今川義元
戦国大名にのし上がった織田信長

2巻のラストで、尾張の守護代家臣で父の織田信秀が死に、その葬儀で位牌にお焼香を投げつけた織田信長と、その出来事に関心を持ったすでに戦国大名の今川義元という状況でした。

 

この3巻では、織田信長がいかにして守護代の家臣から、下剋上により尾張の戦国大名にのし上がるのかが描かれています。

 

話は、桶狭間の戦いの9年前の天文20(1551)年、弾正忠家新当主となった織田信長(18歳)から始まります。その信長には、通説ではのちにそのうつけな振る舞いに還元するために腹を切った平手政秀が付き添っています。

 

織田信長は、津島の津島十五家筆頭堀田正貞のもとに、父の金の流れをつかむべく訪れ、教えを乞うために土下座をします。

信長は土下座をする相手は

我の土下座は死にゆく者か 我が殺す者のみ

と言い放ちます。

『桶狭間戦記』を読んでいく上で、この信長の土下座が大きな意味を持つカギとなる仕草です。

 

信長は、次男三男らを親衛隊の馬回りとして取り立て、そして「今川仮名目録」を読んで、統治者としての戦国大名像を模索します。ただ読み込んで過程で「今川仮名目録」では戦国大名として統治して国は足りないという思いを抱きます。

 

一方の今川側では、織田家家臣の鳴海城主山口父子が今川方に走り、そのうつけの行動を軍師太原雪斎の耳にも入り、雪斎も信長を意識することになり、今川義元も戦国大名としての在り方を信長に見られている意識を持ちます。桶狭間へと向かう機運がほんの少しですが醸成されていく感じがします。

 

山口父子との戦いに織田信長はその親衛隊の馬回りを活用して兵数的な不利な状況ではありますが十分な戦果をあげますが、主家の織田大和守の援軍を無視したため、織田大和守に信長は土下座をします(読者に対しての殺してやるサイン)。

 

その後、織田家中で謀反が続かなかったことから、今川義元と雪斎は織田信長の危険性を感じ、信長を支える平手政秀を取り除くべく、両家などを行き来する商人を使って、平手が織田家のお金を自らの懐に納めているような話を流し、信長は横領につき成敗を言い渡し、平手はその今川義元の話に乗せられてしまった織田信長に諫言するために腹を切り、信長は平手に今川義元を超えることを誓います。

平手の切腹に、今川義元と軍師雪斎の策を絡ませるのは虚々実々の駆け引きとして面白い発想だなと思います。

 

織田信長も、今川義元が使った手を使い、守護の斯波氏を自らの手を使わずに尾張下四郡を治める守護代の織田大和守信友に排除させ、その斯波氏の息子の依頼を受け大義名分のもと、叔父の織田信光とともに天文23〈1554)年に守護代の織田大和守信友に腹を切らせます。ここで織田信光に信長が加勢の感謝に土下座をします(信長の殺すサイン)。このやり口をしった今川義元と雪斎は、より一層信長を意識することになります。織田信光は同年12月下旬に家臣により殺害されてしまいます(信光は信長の差し金と感じています)。ついに信長が尾張下四郡を支配します。

 

このとき、駿河の今川家では、軍師の太原雪斎(59歳)が最期の仕事として、武田信玄、北条氏康との甲相駿三国同盟を実現させるべく、三英傑の三者会盟の「善徳寺の会盟」を天文23(1554)年3月に実現させます。ここで面白いのが、今川の家臣らは武田や北条と同盟して、織田だけなら国を保つのも容易だと発言に対して、雪斎は

 「尾張侵攻を選んだは、武田北条より強敵が故」

と、雪斎が織田信長の力量を危険視するほどに評価しているのが注目です。

雪斎は、翌、弘治元(1555)年に60歳にして亡くなります。今川義元独り立ちです。

 

尾張では、尾張下四郡の支配者となった織田信長と、上四郡の守護代織田伊勢守信友、そしてその信長の織田弾正忠家内での争いが熾烈になり、伊勢守信友は信長の生母とともに信長の弟信行を弾正忠家当主に画策し、信行は一度反乱するも敗れ、二度目の反乱のときにはその家臣の柴田勝家が信長に知らせたことにより、永禄元(1558)年に信長自身により殺害され、弾正忠家の内紛が終わります。

上四郡の守護代織田伊勢守信友は、永禄元(1558)年に息子の信賢に追放されます。その信賢は、翌永禄二(1559)年春に信長に降伏、織田信長26歳にして尾張統一を成し遂げます。

 

検地と「今川仮名目録追加」を行い、シン・戦国大名となった今川義元

「今川仮名目録」では足りないことを気付くも義元・雪斎の策で平手を失い、義元超えを誓って尾張統一を成し遂げた戦国大名の織田信長

1560年の桶狭間に向けてすすみゆく両雄がクロスオーバーする感じの3巻でした。

 

 

 

 

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村