2023年は、大河ドラマが『どうする家康』に備えて年末年始に読む第4弾
『近世日本国民史』徳川家康(一)
関ヶ原の戦い前後をめぐっての1冊
徳富蘇峰の『近世日本国民史 徳川家康(一)家康時代-関原役』を読了しました。
<書籍データ>
『近世日本国民史 徳川家康(一)』
著 者:徳富蘇峰
発行所:株式会社講談社
1981(昭和56)年9月10日 第1刷発行
定 価:880円
講談社学術文庫
もともとは大正11年ころに執筆
考察や感想
豊臣秀吉を読もうと思っていたのですが、持って帰るのを忘れてしまっていたので、飛び越えて徳川家康の所を先に読むことにしました。
タイトルにある通り、徳川家康シリーズになるわけですが、『近世日本国民史』が通史的に展開しているので、いきなり豊臣秀吉死後から関ヶ原という戦国最後のクライマックスから始まり、毛利氏の処分と、島津氏の処分までです。
※織田信長、豊臣秀吉シリーズの所でも徳川家康に関する記述はあります。
徳富蘇峰の評価として興味深かったのが、徳川家康が天下を取ろうと動きはじめたことは今の評価とも変わりないのですが、石田三成らも必ずしも豊臣家のためかというとそうではなく、このときは、関ヶ原の戦いに関わった他の者たちも基本的には自分本位のであったという見方をしているのは、今の歴史ドラマなどの描かれ方とは結構異なる見方だと思います。個人的には、石田三成が豊臣家を守るために、横暴な家康との対決を選んだであってほしいと思いました。
関ヶ原の戦いについては、今も言われている通説通りで、旗幟不鮮明な小早川秀秋に、家康はじれて指の爪をかじり、鉄砲を打ち込んで寝返らせたこと、一度はその小早川秀秋を大谷吉継らが退けるも、小早川裏切りに備えておいた朽木・脇坂らも寝返ったために大谷が崩れ、そして西軍が崩壊するというのは、この当時にも確立されていることを確認できました。
真田信繁については、徳富蘇峰も、真田幸村という表記をしていました。信繁は幸村と名乗ったわけではないはずで、後世の江戸時代の作家が信繁だとまずいから幸村にしたというのが、もうこの時代にも徳富蘇峰にすらしっかりと、真田信繁ではなく、真田幸村が根付いているんだということが確認できました。
西軍に属してしまった毛利氏と島津氏についてはその対照が鮮やかでした。毛利氏h、全然戦わず、あっさりと大阪城も明け渡してしまい無条件降伏のような態でいたために、最後は縋り付くような愁訴のような願いで結局領地のほとんどを奪われてしまい、島津氏は、関ヶ原でも意地を見せ、またしっかりと武備を備え、戦うことも辞さない姿勢を崩さないままに交渉を続けて家康の妥協を引き出して領地を守ったこと、先に読んでいたカルタゴの第三次ポエニ戦争などと合わせて読むと、無条件的な形で相手の条件を待つことは危険であることが示されていると思います。
『近世日本国民史 織田信長(一)織田信長時代前編』は、こちら
『近世日本国民史 織田信長(二)織田信長時代中編』は、こちら
『近世日本国民史 織田信長(一)織田信長時代前編』は、こちら