#21 のちに中華統一を成し遂げる秦の始まり ”秦本紀”その1 ~史記から見る中国の歴史 | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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キングダムでおなじみの秦王朝についてその1

『史記』の本紀の秦についてです。

本紀にあるということは、中国で一時代を築いた王朝であるということになります。

分裂した国の一つの場合は、史記では、世家というところで、それぞれのことが述べられます。

キングダムでおなじみの趙、魏、斉、楚などは、世家にて記載されています。

 

その1は、その秦が国として成立するまでです。

  秦の先祖=帝顓頊(せんぎょく)の苗裔(びょうえい)

顓頊:五帝の一人、黄帝の次の帝で、黄帝の孫

五帝の血を引く高貴な家柄ということなんでしょう。

 

大業:女脩(じょゆう)が玄鳥の産み落とした卵を呑んで身ごもり生んだ

大費:大業と女華(小典の娘)の子 柏翳(はくえい)とも

 帝舜時代 禹とともに治水に当たり、その功より、「皁游そうゆう 黒い旗)」を舜より賜る

      家畜を多く繁殖させることに成功し、「嬴(えい)」氏を賜る

 子ども2人 大廉(だいれん)と若木(じゃくぼく)

若木(費氏の祖)系統

費昌:若木の玄孫

夏の桀王のときに、商(殷)に従い、湯王の御者となって、桀王を破る。

 

大廉(鳥俗(or鳥賊)氏の祖)系統

孟戯:

仲衍(ちゅうえん):体が鳥、頭が人間

 殷の9代目帝太戊たいぼう 殷の中興の祖)が御者とし、妻を与える。

 仲衍の子孫は殷に仕え、功労をあげ、諸侯となる。

中潏(ちゅうけつ):仲衍の玄孫

 西の蛮族の西戎(or戎or犬戎)のところ、西方の辺地を領地とする。

蜚廉(ひれん):中潏の子、殷の紂王に仕える。紂王が討たれた後、自殺する。

       紂王が討たれた後の行動で、天帝よりその忠誠をよろこばれ、石棺を賜る。

悪来(あくらい)悪来革:蜚廉の子、殷の紂王に仕え、周の武王に紂王とともに討たれる。

 →女妨(じょぼう)→旁皋(ぼうこう)→大几→大駱→非子

  すべて造父の趙氏を称する。

季勝:蜚廉の子

孟増(宅皋狼 たくこうろう:季勝の子、周の成王に気に入られる。

衡父(こうほ):孟増の子

造父(ぞうほ):衡父の子、趙氏の始まり

馬使いがうまく、周の穆王(ぼくおう)に気に入られる。

 周の穆王のときに、徐の偃王の反乱を鎮圧し、趙城をもらう。

非子(ひし):悪来の子孫 犬丘に住む。

 周の孝王に仕え、家畜を多く繁殖させることにより、秦の地を賜り、秦嬴となる。

→秦侯→公伯→秦仲(しんちゅう)

秦仲(しんちゅう):周の宣王時代に、西戎討伐の命を受けるも、西戎に殺される。

荘公:秦仲の5人の子の一番上、5人で西戎を破り、秦仲の旧封などを得て、西垂(西方辺地)の大夫(領地をもった貴族)となる。

世父(せいほ):荘公の長男、祖父の敵の西戎を討つ。

周初期の諸侯国の分布図でも分かる通り、秦は西の端に位置しています。

西戎とあるのは、中国は自分たちの世界を中華と考え、その中華の外側の東西南北の蛮族とみなし、西側の蛮族を西戎と表現します。ここでは犬戎がその西戎にあたるのではないかと思います。

 

秦は中華世界の西の端にいて、その外側の蛮族の西戎を討伐することを殷王朝の下においても、周王朝の下においても命じられています。

 

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