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今まで、アルコホーリクス・アノニマスを参照しながら、依存症(主にアルコール依存症)について書いてきました。
私自身が色んな依存症を転々をしてきたこともあり、依存の種類が多々あっても、根幹の部分はどの依存症でもそんなに変わらないのではないかと思うようになっていました。
また、クリニックや自助などに繋がり、色んな話を聞くほど、表現や表面は多種多様であっても、根本の部分は似ているような感覚を受けました。
過去か現在かに簡単に助けを呼べない状況の人が多く、何かにすがらないと生きていけないような。。。
そういう意味では宗教は楽になるための1つではないのかなと思っています。
その宗教が苦しめる場合もありますが、拠り所、依存場所にはうってつけだと思います。
他人を苦しめたり、犯罪に関与しているのであれば、社会的に良くは無いですが、自分が信じる者にすがる気持ちも分からなくはないのです。
宗教とは関係なく、何かの依存症になっているというのは、何かの信者に近いものを感じるからです。
私が一番問題視している1つである恋人依存も恋人を信仰しているのと変わりないと思うからです。
(一番問題ある1つにしたのは、自他共に病的依存と気付きにくいからです)
依存している間は身体共に安定しているが、依存というのはする方もされる方も疲れるので、これを一生同じ相手に出来ることはそうそうありません。
また、相手が物であれば、病的依存と気付きやすいがお金を使うか、犯罪に走るかで、良い結果にならないことが多いです。
人付き合いも、物付き合いも互いに負担にならないのが良好であって、強迫的・衝動的に何かを言ったり(やったり)、言えなかったり(しなかったり)するのはある一種の依存なのかなと感じています。
相手の為と相手のせいにする行為も見聞きします。
相手の為に何かをするのは良いことですが、それが、どちらかの負担になるのであれば、「ため」でなく「せい」になる事象だと思うのです。
本当に負担かどうかはその時は分からないことも多々ありますがね。
アルコール依存症の本を参照したのは、治すための手順が書かれていたためです。
これを万人がやって万人が治るというものではなくても、1つの指針となると思ったからです。
私自身はアルコール依存にはなったことはありません。
それでも、参考になることはいっぱいありましたし、アルコール依存者の話もためになることもありました。
どうしても、(アルコールを)飲むのを止められませんと訴える人も、どうしても万引きをしてしまうと言う人も私にとってはあまり変わらないし、自分で制御出来ない何かがあって、根本に今現在解決出来ない何かがあるんだろうとも感じました。
そう思うと、依存症の根本解決という意味ではどの依存症でも大差はないのではと思うようになりました。
みんな苦しんでいて、どうにか抗おうとし、どうやれば楽になるのか模索しているような気がしました。
周りを見ていると依存症と理解して苦しんでいる人も依存症と理解せずに苦しんでいる人もいて、何か解決するきっかけになればと思い書いてきました。
読めば回復するものでもないですし、良いと言われてることをしても回復しないかもしれない。
それでも、知らないよりは知った方がいいと思うのです。
私が今まで出会ってきた(見聞きした)依存症者たち
アルコール依存症、窃盗症(クレプトマニア)、買い物依存症、宗教依存症、性依存症①(エッチ、恋人、恋愛、ペドフィリアなど)、性依存症②(痴漢、盗撮、強姦、近親相姦など)、ギャンブル依存症(パチンコ、競馬など)、ソシャゲ・ゲーム依存症、スマホ・携帯依存症、氷食症
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