すこし前のこと。
美輪明宏さんのコンサートにいく機会があった。
それは、私の住む地元で開催されたコンサートだった。
しかも、それが私の誕生日に開催されるとのこと。
「こんなチャンスはない、絶対いきたい!」
と思っていたらば、なんと誕生日プレゼントとしてチケットを頂くことになる。こんなこともあるんだ・・・と神の采配に感謝したくなった。
15年ほど前にも一度拝見した事があるが、美輪さんのコンサートは舞台演出が素晴らしい。動く絵画と言ったらいいだろうか。いや、ひとり舞台と言ったらいいだろうか。コンサートの枠をこえた、その舞台演出に魅了される。
そこに、美輪さんご本人のお芝居を交えた歌が加わり、それはもう言いようのない空間が出来上がる。美輪ワールドは、現実とはかけ離れた異空間。
ご本人もそれを意識されているようで、『世知辛いニュースが飛び交う世の中ですが・・・皆様にひと時の癒しを』と述べられていた。
美輪さんはコンサートで、様々な唱歌・歌謡曲・シャンソンを披露したが、やはり一番印象的だったのは「ヨイトマケの唄」と「愛の賛歌」だろう。
どちらも、テーマは「無償の愛」。
美輪さんという方の人生感は、この「無償の愛」そのものだと私は思う。
無償の愛というのものは、口で説明するのは非常に難しい。条件付きの愛は理解できても、無条件の愛はなかなか理解しがたいものだからだ。条件付きの愛、すなわち情愛を超えたところに無償の愛というものは存在する。無償の愛とは、許す愛でもあると思う。それは、相当の痛みと苦しみを体験しなければ、簡単には理解できないものだと私自身の経験から思う。
美輪さんご自身も、波乱万丈な人生を経ての今があり、その人生哲学を聞けば辛く苦しい体験から確実に「無償の愛」を学び取ってこられた方なのだとわかる。無償の愛を心底理解されている方なのだと私は思う。
だから、美輪さんが歌う「無償の愛の唄」には、底から突き上げるようなエネルギーがあるのだろう。
美輪さんという存在そのものが、愛なのだ。だからだろうか、その姿は衆生の一切の苦しみを聞き入れるという「観音様」そのものに私は見えてしまう。
【観音様とは、観音菩薩】
菩薩とは、如来・仏がすでに悟り切ったものであるのに対して、現在悟りを求めて努力している存在であり、仏と我々凡夫の間に立って導いてくれる存在である。
インターネット検索サイトより引用
http://www.arawazu-kannonji.or.jp/kannon.htm
「悟りを求めて努力する存在」・・・この一文を読んだとき、観音様が非常に身近に感じられた。観音様といえど、悟っている訳ではないという事実を見たからだ。そうなんだ、私達と同じなんだと。
違うのは、悟りにむけて努力をしながら、私達を導いてくれる存在ということ。
私が、美輪さんに観音様を見たのはこういった意味があるのだ。
美輪さんは歌とお芝居を通して、私達に「無償の愛」を降り注いでくださっているのだろう。そんなステキなコンサートを拝見することができて、本当に良かった。
私に、このコンサートを見させてくださった全ての存在に感謝する次第である。
美輪さんの無償の愛を受けたひとりとして、私もまた愛を伝えていけたらと思う。
http://www.cinra.net/interview/201403-miwaakihiro?page=2
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「恋」と「愛」の違いを知っているか? 美輪明宏氏インタビュー