以前、蓮の花を間近でみる機会があった。
大きく生い茂る緑の葉の上に、ポン、ポンと咲いているように見える蓮の花には、不思議な存在感がある。緑とピンクの優しい色合いのもと、厳かに凛と咲きほこる様。そのじつ、その下には泥水に這う太い根がある。上と下では、まるで別世界。その絶妙のバランスの上になりたっている様が、何というのだろう、非常にありがたさを感じさせるのだ。
蓮の花は、綺麗な水では上手く育たないらしい。泥が濃ければ濃いほど、大輪の花を咲かせることができるのだそうだ。下に泥があってこそ、その素晴しさはより一層ひきたつ。泥水の上に成り立つ蓮の花をみて、「極楽浄土」とはこんな感じなのかもしれないと思った。
「愛」を伝える存在になりたい・・・
常々、私はそう思っていた。言ってみれば、観音様のような存在を目指していたと言ってもいいかもしれない。
以前、この事を知り合いに話したところ、「今のあなたではまだその域に達してない。もっと経験が必要だ。それをこれから経験していくことになる」と言われた。言われた時は、「まだまだ経験が足りてないんだ(T_T)」と思い、これから先に待ち受けているであろう、その経験を思い途方にくれていた。
ちなみにこれを言われたのが、2009年の夏頃のこと。この年、占星術界で「カーディナルクライマックス」が話題になっていた。天秤座に入室する土星の運行。噂には聞いていたが、実際の時期にさしかかっても、さして気にも留めていなかった。
ところがなのである。
時を同じくして、ツインソウルの彼との本格的な向き合いが始まる。ここから私の中での一大転機が始まった。とても悩み苦しみ、その思いでどうにかなりそうな数ヶ月を過ごしたころ、ふと「カーディナルクライマックス」を思い出すことになる。
2009年の秋、天秤座に入室する土星とあわせてある小さな出来事があったのだが、それがツインソウルの彼との深いコミュニケーションの始まりだった。調べていくと、彼との関係性がものの見事、この星の運行に合致していることに気がつき、「カーディナルクライマックス」とは、何ぞや??と、興味をもつことになった。これは何か大きな意味があるぞと思ったのだ。
地球から見て遠い天体が活動宮に入って角度を形成する
ことを「カーディナル・クライマックス」と呼び、2008年から
2015年までがその時期に該当するのですが、2010年の
夏にひとつのピークを迎えるのですね。
昨年の10月に、カーディナル・クライマックスはわたしにとって、
Beginning for new LOVE--新しい愛のあり方の始まり、と
いうことを書いたのですが、その思いは実際に星の活動が高まるに
つれて、本当にそうだなあ、と、しみじみ感じています。
いま、ここへきて、改めて人間の仕事のほとんどは自分を愛する
ことだけだと、はっきりと感じます。
過去にとらわれるのではなく、未来を憂うのでもなく、いまここに
いる、わたし自身の100%を受け容れることが、深い愛と充足に
満たされて生きることになりますね。
そして、そういう視点……人間が常に愛と深い充足感をもった
視点で、普通に生活しながら暮らしていくことができる、という
ことを教えてくれるのが、今回の星の配置だと思うのです。
世の中はままならないことも多く、時に生きづらく、時にとても
つらいことも苦しいこともあって、怒りや悲しみや恐れの感情が
高まることもあります。
だけれども、その根源にあふれるほどの愛をわたしたちは
もっていて、その源泉は決して尽きることがありません。
自分の人生を選択し、クリエイトするときがやってきました。
愛と充足に満ちた人生を生きるのか、
あるいは苦しみや恐れと共に生きていくのか。
それを自由に選べる時代がきたということが、わたしに
とってのセレブレーションです。
インターネット検索サイトより引用
小泉マーリ氏という占星術家が書かれたこの記事を読んで、漠然と捉えていた「カーディナルクライマックス」に対する答えをもらったと思った。
それは「愛」、それもただの愛ではなくもっと大きな愛。
ツインソウルの彼との間で苦しみ悩んだことが結果として、私に「本来の愛」とはどういうものなのか、ということを教えてくれていた事実。ツインソウルの彼は、これを教えてくれる為に私の前に現れた存在である・・・その時にはっきりと認識をした。
もちろん、これは占星術の範疇に留まらず、様々な視点から多角的に捉えた結果認識するようになったことである。私が彼を「ツインソウル」と確信するようになったのは、こんな経緯があったのだ。
ツインソウルの彼との経験がなければ、現在の私は間違いなくいなかった。この機会を逃していたならば、私は今でも鬱屈とした虚無な人生を生きていたことであろう。なんと有難いことだろうか。
本来の愛を理解しはじめた少し後、流れから北海道へ導かれていった。そこで出会った方々が口々に「観音」というキーワードを口にしていた。私自身が、「観音」だと。
「ピンクなんですよ。そう、このカードのイメージです」
と、ピンクの蓮の上に立たれた観音様のカードを指し示してくれた。ピンクとは「慈愛」「無償の愛」などを意味する色である。ツインソウルの彼との濃い経験から私が学んだのは、「慈愛」であり「無償の愛」。
あぁ、なるほど・・・と思った。
観音様のようになりたい、この私の願いはツインソウルの彼との濃い経験となって、私にその境地とはどんなものなのかを教えてくれていたのだ。さらに、その後につづく出来事全てが「観音」に関連していたこともあり、その思いは確信へとなっていった。
観音意識とは、二極のバランスそのものではないかと私は思う。
陰と陽。善と悪。女と男。光と闇・・・この世の中には二極に別れるものがたくさんあるが、それらをバランスさせ一つに融合していく感覚が、ツインソウルの彼と出逢ってから生まれた。どちか一方ではなく、どちらも必要でかつバランスがとれている感覚を常に感じるようになったのだ。ここにポイントがあるように思った。
以前、師が「善だけでも、悪だけでも世界は滅びる」と言っていたが、当時は、この意味が本当にわかっていなかった、と今更ながらに感じる。善悪はどちらも必要だと頭でわかっていながら、善をふりかざし悪を憎む、正義感の強すぎた私だった。自分にとって「悪」と思える事や人に対して、鋭い刃を向けていた自分自身が確かにいたのだ。事の本質が何もわかっていなかったがゆえの自分の浅はかさ・・・恥ずかしいことこの上ないと思った。だから、私の知り合いは「経験が必要だ」と言っていたのだろう。
泥の中から美しい花をさかせる蓮の花が、何故にあんなにも有難く見えるのかわかったきがする今日この頃。いつか、大輪の蓮の花を咲かせることが出来る自分自身になりたいと思う。
