体調が悪化し始めて直ぐのころから、周りに病院受診を勧めら続けてきた。
傍からみても体調が芳しくないのがわかるくらいだったのだから、心配をしてくれてのことだったと思う。
ただ、心配はありがたかったが、信頼をしてほしかった。
【体調悪そうだね、病院へ行ってみたら?】までは良い。問題は、ああしろ、こうしろ、あそこへ行けなど、手出し口出し攻撃から、何がなんでも受診させようと躍起になる方々だった。
病院に受診をするというのも、私は自分自身で決めたかった。
誰かに流されて受診するのは、若いころのあの苦い経験だけで十分だ。自分自身が心から納得した状態で病院は選びたかったし、受診もしたかった。
若いころの経験から、西洋医学にトラウマを持ってしまったがゆえに、私にとって病院受診は簡単なことではなかった。それでも、勇気をもって自ら一歩踏み出すまで、そっとしておいてほしかったのだ。そんな私の気持ちなど知る由もなく、そっとしておいてくれない方々に心がザワザワして、哀しくなった。バセドウ病の関係もあるかもだが、それがイライラになり怒りにかわっていった。
彼らは、良いことをアドバイスしているつもりなのだと思う。病院受診を勧めること自体は、悪いことではないから余計にそう思うのかもしれない。それに素直に従って当たり前と思っていたことだろう。だから、自分自身が相手の領域に土足であがりこんでいることに気が付いていない感じだった。私はここに怒りを募らせたのである。
従わない私に、彼らは【全く素直じゃない】と言わんばかりの態度をとってきた。トラウマの原因になった医師と同じ態度だ。
素直じゃないと言われ、私が悪いのか・・・?と悩んだ時期もあったが、今は違う。
彼らが、無意識下で【自分のいうことに従え】と脅していると気が付いたからだ。
そして、これはこの方々の問題だと気が付いたからだ。
本質からずれていない状態や事柄には、基本的に素直に従う。
安心して身を委ねられる感覚があるので、何が起きても大丈夫という確信がある。
私自身が納得できなくて大いに惑わされるのは、本質からずれているときだ。
それが、若き日の病院体験でもある。
ということは、あの医師は本質からずれた方だったということになるだろう。やたらと検査が多かったのも、病院経営において儲けが先にたっていたからではないだろうか。患者を診ているようで、無意識のうちに患者を商品のように扱っていたのかもしれない。
アマチュアはもとより、プロと呼ばれる人であっても本質からずれた方は多いと感じている。それは人だけでなく、技術的なことにおいてもしかりだ。
そういった意味で、おそらく当時の西洋医学では私を納得させるものがなかったのだろうと考える。私が東洋医学にはまっていったのは、古い歴史と深い智慧があり、自然の法則に則った本質をベースに体系づけられていたからこそだと思う。インドのアーユルヴェーダも同じものを感じる。
ただし、西洋医学・東洋医学の良し悪しをこれだけで判断するのは違うだろう。特に、緊急性のあるもの、外科的な分野などにおいては西洋医学の方が格段に優れている。どちらも、その特性を知り、上手に活用することが大事なのだと思う。
時代がすすみ西洋医学も発達し、技術も薬も良くなっていると聞く。今回の経験で、緊急性がある疾患については、特に西洋医学の薬は絶大な力を発揮する・・・と実感。その分、副作用もあったりするが、ありがたいことに私はほとんど出ていない。
素直に医師の指示に従うことができたのも、自分自身が納得したうえで受診できたからであり、納得がいく原因が特定されたからに他ならない。これは【今の時点】だからこそ、その恩恵を存分に享受できているのではないだろうか。
手出し、口出しが激しく、私が自分の思い通りにならない状態を【素直ではない】と表現していた方々は、みな一様に支配的だった。そうしてまた、依存的でもあった。自分自身を顧みず、お節介を焼いていた。
それは、自分自身が安心するためであり、心の底から私を思ってのことではなかったのが残念だ。よほど私が信用ならない存在に思えたのか・・・と思うと、哀しい気持ちになる。私のことを言うまえに、まずは自分自身を立て直してほしいと何度思ったことだろう。
自分のペースを乱されないように、私は私自身を護っていく。
そう強く思わされた出来事であった。
まだまだ大いに乱されて、自分を見失いかけることもある。
これについては、思うところがあるのでまた別記事に書くことにする。