私は体育という教科が一番嫌いだった。
何故に嫌いだったのか?と言えば、皆と同じように動けなくて、身体を動かす楽しさを体験できなかったからである。身体を動かす事が嫌いだったのではなく、皆についていけなくて、徐々に自信を無くしていったという感じだ。苦手意識ばかりが強くなり、最終的には一番嫌いな教科になっていった。
理学療法士から身体を動かす事が下手であると言われて、だから体育が苦手だったのか!と納得するまで、私は自分の努力が足りていないのだと思っていた。
お笑い芸人の博多大吉さんが、けん玉の指導を受けていたのをテレビで見た事がある。基礎からプロが教えていたのだが・・・大吉さんだけ他の方々と動きが違う。初めは笑いをとっているのかと思っていたのだが、何度やっても出来ない。そのうち身体ごとあさっての方向にブレ始めたのを見て、これは!と思った。彼は運動が苦手なタイプだ!と直感したのだ。
彼の経歴を知らなかったので調べてみたら、やはり運動が苦手だとある。あの身体能力で、学生時代はバスケットボール部(高校は強豪校)に所属していたというから、部活ではさぞ苦労された事だろう。
なぜ、彼の身体能力がテレビを見ただけでわかったのか?
それは、私の身体能力も同じだからである。
その道のプロと言われる方々に基礎から教えてもらったとしても、私も彼のようになる。言われたとおりにやっているはずなのに、皆と同じようにならない。同じようにやろうとすればするほど緊張から変な動きになる。
これは、間違った動きを脳が覚えてしまっているためであり、おそらく、彼も上手な身体の動かし方を知らないまま育ってしまった方なのだろう。
人間にとって、運動の基礎となる動きを覚えるのが幼少期になる。赤ちゃんはハイハイをして動き回り、四肢の連動性を学んでいく。その後、立って歩き始め、成長するにつれて様々な遊びの中で、走る・跳ぶ・投げる等の動きを少しずつ覚えていく。これが脳へと記憶されていき、運動神経の成長になる。
外遊びの時間が長い幼児ほど運動能力が高い傾向にありますが、一方で4 割を超える幼児の外遊びの時間が1日1時間(60分)未満となっています。
幼児期は、6歳までに大人の約8割程度までの神経機能が発達すると言われており、タイミングよく動いたり力の加減をコントロールしたりする、運動を調整する能力が顕著に向上する時期です。
この運動を調整する能力は、新しい動きを習得する際に重要な働きを担い、児童期以降の運動発達の基盤を形成するという重要な意味を持っているのです。
インターネット検索サイトより引用
記憶にあるだけでも、私は外遊びをあまりしておらず、家の中でおとなしく本を読んでいるような子供だった。親と一緒に外に出て遊んだという経験が私にはほとんどないが、これは生母の死と無関係ではない。一人っ子で兄弟もいなかったため、家の中でも遊び相手がいない。その上、引っ越しが多かった。この当たりが原因で、外で遊ぶ事に苦手意識をもってしまったのではないかと考えている。博多大吉さんも、小さい頃に何らかの事情があって身体を動かす事に制限がかかってしまったのではないだろうか。よくわからないが、私はそう推測する。
このように、出来ない子供には出来ないでいる原因があるという視点をもって接してあげて欲しい。その原因を見極められる資質が先生方にあり、時間をかけて指導できれば、出来ない子供でも出来る子供についていくことは可能だとは思う。しかし、出来る子供も出来ない子供も一律に同じ事をさせて教育をするのが現段階のシステムである。出来ない子供は少数であり、そちらに時間をかけている暇はおそらくないだろう。これでは、落ちこぼれてしまう子供が出るのは避けられない。
さて。
運動が出来る方々に、私が指導を受けると大体こういう事を言われる。
【出来ないのは自分の努力が足りないからだ!もっと鍛えろ!もっと!もっと!】
指導される方々は、小さい頃からバリバリにスポーツが出来ていただろうし、体育系の部活等で実際に努力もされてきていると思うのだが・・・
出来るからこそ、出来ない人の苦労がわからない。だからだろうか、自分と同じ土俵で頑張りを求めてくるのだ。私は、これに心底辟易している。
一度、出来なくなってみたら良いのに・・・と何度思った事だろう。
上から目線でマウントをとってくる方も多く、中には大丈夫だからと言って、とんでもない事を私にさせたりする方もいる。彼らの大丈夫は、私の大丈夫ではない。これを登山で経験して死にそうな目にあった。山の厳しさを知る上では貴重な体験だったが、あの恐怖は一生忘れないだろう。
以前の私は、こういった事に気が付いておらず自分の努力が足りないのだと本気で思っていた。だから、スポ根よろしく、必死に身体を鍛えていたのだが・・・これが間違った方向性だと知ったのは、理学療法士のアドバイスによる。
【あなたの身体は硬すぎる。もっと身体を弛めてください】
鍛える事で身体の外側をがちがちに固めてしまい、結果、使えない身体に自らしていた事に気が付かされた瞬間だった。体育教師の言うとおり、運動が出来る方々の言うとおり、素直にやってきた事が全て間違った努力だったとは!そこに、多大な時間と労力をかけてきたとは!何という事だろうか。
こういう経緯があり、自分の身体と真摯に向き合いながら、身体についての勉強を進めていったのだが、やはりここはプロのお世話になった方が良いと思うようになっていく。直接身体を動かしながら指導をしてもらわないとわからない事があるからだ。中途半端な知識では、私の身体を立て直す事は難しいのである。
プロと言っても誰でも良い訳ではない。
私の目標は【自分の身体を、効率よく思い通りに動かせる】ようになる事。それには、身体の基礎の基礎を診てくれる先生でないと無理だ。そう思って、探している中で出会ったのが、柔道整復師と鍼灸師の資格をもつ、スポーツトレーナーである。
彼は、私の身体を診て直ぐに腹圧の低下を指摘した。もともとの身体の癖に加え、事故による後遺症が大きく出ているという。これらが起因して、横隔膜が上がってしまい、身体の支点が上がってしまったらしい。身体の基盤となるところにダメージがあるため、普通にする動作のひとつひとつが、微妙に間違った動きになっているのだという。
トレーナーの指摘が全て身に染みる。確かにこれでは思うように身体が動かせない。筋肉への負担もアンバランスになるのは必然だ。
トレーナーが指摘しているのは、いわゆるコアになる。コアと聞くと体幹を思い出される方も多いと思うが、トレーナーが指摘するコアとはインナーユニットと呼ばれる、もっとも身体の土台になる場所の事を言う。ちょうど、鳩尾から骨盤のあたりだと思ってもらえば良いだろう。
コアが崩れた状態で、筋トレや体幹トレーニングをやっても効果はあまり出ない。逆にトレーニングをすることで故障を招いてしまうので要注意だ。私は、人生においてこれをずっとしていたのである。
身体の動かし方をひとつひとつ脳に覚えさせる指導は、まさにリハビリそのもの。時を同じくして、ツインソウルの彼も病に倒れ、彼は言語機能でリハビリをすることになった。退院した現在は、仕事も含め、生活全般でリハビリ中だと聞いている。おそらく、彼も私と同じように自分自身ととことん向き合っている状態なのだろう。
色々あったが、これもまた私の魂が全て設定してきた事になる訳で、何も無駄はない。コアという人間にとって、もっとも大切な場所にダメージを持たせる事で、人間の身体を深く掘り下げて学べる事も織り込み済みだったのだろう。自分の身体で体感できるので、分かりづらいコアをより深く理解できるという訳だ。
そんな訳で、現在、コアを鍛えるための指導をしていただいている段階。先生曰く、徐々に横隔膜が下がってきているそうだ。トレーナーと出会う前に比べると、少しずつだが身体に変化が出ている。
以前感じていた下山での下肢への違和感もなくなってきた。
これに関して、「コルセットを巻けば登山は続けられますよ」と言われただけで、その後の処置も具体的な運動指導もされなかったのが整形外科。「身体を弛めるため、マッサージを続けるように」と言われたのが理学療法士の営むマッサージ店。
どちらもコアへの働きかけはしていないのがわかる。
整形外科の先生はコアを鍛える指導をする代わりに「コルセット」を巻く事をすすめ、理学療法士はマッサージで全てを解決しようとした。これでは根本解決にはならない。彼らの指示に従っていたら、依存から抜け出せなくなっていただろう。
中庸は、依存では成り立たない。
ちなみに、コアを鍛えるために必要になってくるのが呼吸になる。呼吸とひとくちにいってもこれがまた深い。これに関しては、長くなるので、次回の記事に譲るとする。