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かのんのお部屋

日々いろいろ思ったことを☆

以前、ある体操をして、呼吸が一時的に深くなった事がある。あの時の得も言われぬ爽快感は忘れられない。意識しなくても、するすると息が入っていく気持ちよさ。何度も何度も呼吸をして、呼吸がこんなにも気持ちが良いものなのか!と体感。それと同時に、私の日常がとんでもなく息苦しいものなのだと痛感する。

 

 

そう、文字通り、息が苦しい。

私は、日常的に呼吸が浅いのである。

 

 

今から10年ほど前、ある整体師の下を訪れた。

 

彼は私の身体を整体して、【呼吸】の浅さを指摘。

 

 

身体について深掘りをする以前だった事もあり、何故そう言われるのかよくわからなかったのが正直なところ。ただ、これが問題の核心なのだろうという直感があった。

 

それまでも数々の施術者に身体を診てもらってきたが、私の身体を診てこれを指摘したのは、当時この整体師だけだった。野口整体をベースに他流派の整体をかけあわせ、武道という観点からも身体を診るのが彼の整体の特徴である。私の友人は、彼に投げ飛ばされた事により身体の症状が治ってしまったというからすごい。私は、友人のように投げ飛ばされなかったのだが、この理由を彼はこう答えた。

 

「あなたは我が強いから怪我をする」と。

 

技をかけられるとき、彼に身を委ねきる事が一番重要なのだという。

 

現在は「委ねる」事が出来るようになった私であるが、これを理解し実際に行動に移せるようになったのはここ数年の事である。それまでは、頭ではわかっていても行動に移す事はどうしてもできずにいた。

 

委ねるとは、信頼して身も心も相手に任せきる事。しかし、これは相手への信頼がなければ到底出来る事ではない。信頼が出来ないと感じた時、相手に対して警戒心を抱き、恐怖で不安になり、保身から自己の心配をするため、どうしても抗うかたちになる。意識的に相手を信頼しようとしても、無意識で信頼していないと、どこまでも抗う態度に出てしまう。

 

整体師が表現した【我が強い】とは、無意識で彼に抗う状態を指して言ったのだろう。言葉を返せば、素直ではないと言うことになる。

 

 

整体をする際、身体を弛めるように言われたが、弛めているはずなのに身体が弛みきっていないと指摘される。どうやっても、これ以上弛める事ができない私をみて、彼はポツリとこう言った。

 

「諦めてください」

 

この言葉どおり諦めた途端、一気に力が抜けた。抗う事で無意識に身体を緊張させていたのだと思う。それくらいに、不安でしかたがたなく、恐怖を感じていたのである。

 

 

以前、ある方を介して、守護霊のメッセージを受けた時にも、守護霊からこんな事を言われた。

 

 

楽になさい。何も強張ることではない。
私は、そなたの一部でもあるのだ。何もかも知っておる。

 

 

なんと、私は自分の一部でもある守護霊に対しても緊張で身体を強張らせていたのである。無意識だったので、言われて非常に驚いた。守護霊は自分がこの世で一番信頼できる存在である。その守護霊に対してさえ、抗っていたいとは!それほどまでに、私の不安と恐怖は強かったという訳なのである。

 

 

身体が緊張すると【息を詰める】形になる。

 

 

「息が詰まる」(いきがつまる)は、ひどく緊張したり場の雰囲気を重苦しく感じることで、精神的に「息苦しくなる」状態を言葉にしたものです。「息が詰まる」は慣用句としてではなく体調を表す言葉としても、「呼吸がうまくできない」「息ができない」などの意味で使われます。

 

                                 インターネット検索サイトより引用

 

 

この慣用句どおりの身体になっていた私は、まさしく【呼吸】が上手くできていなかった。この状態を意識し始めたのが交通事故後からになる。呼吸が問題の核心なのだと直感したのはこのためだ。

 

 

そんな訳で、整体師に呼吸の浅さを指摘され、まずは吐く事を意識するように言われた。

 

しかし、である。

 

とにかく、吐けないのである。吐くことがとても苦しいのだ。ただ吐くだけという簡単な事のはずなのに、苦しくてやめてしまいたい。

 

この10年の間、何度も何度も挑戦しては挫折し、また挑戦するという繰り返し。だが、どうしても乗り越える事ができないままだった。

 

 

そんな状態だった私に、スポーツトレーナーはこう指摘した。

 

「あぁ、これでは息を吸ってばかりになりますね。苦しいと思います」

 

ここで、吐けないのには身体的な原因があるのだと知る。吐くという簡単な事さえ出来ないのか・・・とどこか自分を責めていた私は、この指摘に心底救われた。

 

トレーナー曰く、横隔膜が上がってしまった事が大きな要因らしい。

 

 

人間は恐怖を感じるときに横隔膜が縮み上がる 

 

 

これは、古武術研究家である甲野善紀氏の言葉なのであるが、私の身体はまさしくこの状態だった。常に恐怖を感じているから横隔膜が縮み上がってしまったともいえるし、横隔膜が上がってしまった事で恐怖を感じるようになったともいえる。

 

どちらにせよ、心と身体が密接な関係にあるのがよくわかると思う。

 

 

呼吸の問題点を指摘してくれた整体師は、体育会系の方よろしく「努力が足りない」という類の言葉を私に対して投げかけていた。出来ない原因を説明し、解決する術を教えてくれていたら・・・と思うのだが、彼にはそこまでのスペックがなかったのかもしれない。

 

身体を弛めてくださいという言葉をかけられれば、【弛めなくては・・・】、努力が足りないという言葉をかけられれば【努力しなくては・・・】私はとにかく一生懸命に頑張ってしまう癖がついているため、そういった意味でも身体を緊張させやすいのである。

 

だから、リラックスを提供する方々にとって、相手の立場に立つ優しさを兼ね備えている事はかなり重要なポイントなのではないかと思う。

 

ただし。

 

この【優しさ】は厳しさの裏付けがあってのもの。優しすぎれば厳しさが欠け、厳しすぎれば優しさが欠ける。過ぎても、欠けてもこれは成り立たない。ここでも中庸が大切になってくる訳だ。

 

 

実はなのであるが、【中庸】な状態の施術者には医師も含め、一度もお目にかかった事がない。これは、優しさや厳しさといった事だけでなく、知識的にも技術的にもである。どこか偏っているため、本質からズレていると感じてしまうのだ。

 

本質からズレていると、身体の立て直しもズレていく感が私にはある。

 

残念ながら、現在お世話になっているトレーナーも同じで、微妙に感じるところがあるのだが、それでも継続して診てもらっているのは、今のところ私が頼れる施術者がこの人しかいないと感じているからだ。

 

専門的な知識や技術を持ってはいても、人間の身体を本質から理解して指導できる方というのは、なかなか居ないという印象が私にはあるが、気のせいだろうか?

 

 

今のところ、コアと丹田は同義と私は捉えている。

今のところというのは、この事を完全に理解できたとは言い難いからだ。

 

 

これに関して、トレーナーに質問してみたのだが明瞭な答えはなかった。彼は、鍼灸師の資格をもってはいるが、東洋医学的な話題をどこかオカルトチックな感覚で捉えている節があり、そもそも丹田に興味がない感じだ。

 

 

私には、オカルトでもなんでもなく、どこまでも現実的な事なのだが・・・

 

 

丹田を理解できる方は、武道を嗜まれている方に多い感覚がある。しかし、これも武道をやっているからといって誰でも丹田を理解できている訳ではない。丹田そのものを知らない武道者もいる。

 

 

また、スポーツの世界でも、丹田の重要性はあまり知られていない感覚がある。スポーツの世界では丹田というよりコアと捉えている感があるが、コアですらその重要性はあまり理解されていないと私は感じる。私の思い違いだろうか?

 

 

さて。

 

この10年の間、呼吸についても深掘りしていったのだが、調べれば調べるほどよくわからなくなった。呼吸法とひとくちにいっても、色々な方法があるからだ。スポーツの世界でもドローインという呼吸法があるし、一時期、美木良介氏の提唱するロングブレスも流行った。ラテラル呼吸を提唱する方もいたし、ヨガにもいくつか呼吸法がある。丹田を意識していたので、もちろん丹田呼吸というものがある事もわかっていた。

 

呼吸のやり方もそれぞれで、鼻から吸って、口から吐くとか、鼻だけで呼吸をするとか、それは特に意識しなくていいとか、吸う時にお腹をふくらませると言う方もいれば、凹ませるという方もいる。お腹を意識するかと思えば、胸を意識するという方法もあったり、吸う時と吐くときの間に息を止めて、丹田に意識を下すというやり方もあった。

 

トレーナーからは、吐くときも吸う時もお腹は凹ませない呼吸を提示された。これは、逆複式呼吸のようだが、腹式呼吸もするようにと言われてる。

 

とりあえず、トレーナーの方法をやってみてはいるが、しっくりきているとは言い難い。

 

私にあった呼吸法があるはずなのだが、それがどれなのか・・・実はよくわからないのが本音なのである。

 

 

そんな折、たまたま入った書店で、強く惹かれた本があった。

 

【白隠の丹田呼吸法】である。

 

腹圧・呼吸・重心を下げる・・・トレーナーの指導の数々が丹田を意識させていた事もあり、色々と思い出しつつ読んでみたのだが、これがとても興味深かった。

 

 

白隠という方は臨済宗の僧侶。臨済宗といえば、曹洞宗と並ぶ禅の宗派である。この白隠禅師の生涯とそのエピソード、彼が罹った禅病やその症状、どうやって治したのか・・・などを医師である著者が詳しく説明してくれているのがこの本の大まかなあらすじである。

 

 

白隠という人物がどういった方だったのかは、丹田を掘り下げていく中で知ってはいた。彼はこの道ではかなりの有名人である。ただし、彼が罹った禅病という症状が具体的にどういった形で身体に現れていたものだったのかは、この本を読むまで知らなかった。驚いたのは、私の症状とよく似ていた事である。

 

禅病を治す手立ては、どんなに腕のよい医師でも持ち合わせていなかったという。彼が生きていた当時は、鍼灸や漢方といった方法が一般的な医術だった訳で、これではどうする事もできないのだと言うことになる。なるほど、と思った。私自身がこの身をもって、それを証明しているではないか。

 

ならば、どうすればよいのか・・・というのが、この本の主旨になる。

 

 

丹田を深掘りしていくと、白隠禅師以外にも様々な偉人が出てくる。何人かの偉人の写真を見て、下腹が発達している感覚があった。現代の価値基準では、スタイルが良いとは思えないのだが、これがどうして、見た目にも安定感があり、非常に強健に見える。実際に、偉人達は精神的にもブレがない、かなりの傑物だったらしい。

 

これは【ひさご腹】というらしく、仏像などによく見られるもので腰や腹に重点をおく東洋では、理想的な体型なのだという。明治以前の日本人には、胎の据わった方がゴロゴロいたというから、おそらく昔の日本人はこんな身体つきの方々が多かったのだろう。筋肉を意識する西洋的な身体の鍛え方では、こうはならないらしい。これは、甲野氏がおっしゃる事と同じである。

 

甲野善紀が語る武術的身体の哲学──逆三角形が正解とはかぎらない | GQ JAPAN

 

 

件の本には、ひさご腹と上虚下実の関係性について書かれていた。この呼吸法をすることで、丹田が充実し下腹部に張りが出てくるらしい。これが、ひさご腹のようだが、私が心底驚いたのはここで上虚下実という言葉が出てきた事である。

 

この言葉は調和道丹田呼吸の創始者が作った造語らしい。私は、東洋医学を学ぶ上で知った言葉だったため、そこから派生した言葉だと思っていたが違ったようだ。

 

真偽のほどはさておき、そもそも私が求めているのは【上虚下実】という体質になる事である。これは、その1でも説明した通りだが、この本にある丹田呼吸法を実践する事でそれが可能だとはっきり謳っていて驚いた。他の呼吸法では、そこまで説明がされていなかったからである。ようやく、自分にあった呼吸法と出会えたと思った。

 

 

呼吸法を実践する事によって、腹圧が高まり、インナーマッスルも活性化する。それにより、上手く使えていなかった内転筋にスイッチが入り、ハムストリングスが使えるようになるだろう。そうなれば、バランスのとれた身体の使い方ができるようになるし、四肢を上手く使えるようになる。重心が下がり、体幹で動けるようになるので、今までとは全く違った動きができるようになるはずだ。使えていなかった筋肉が使えるようになり、使いすぎていた筋肉への負担が減る。

 

さらに、上虚下実になる事で【冷えのぼせ】という体質からおさらばできる。脾の力を発揮できるようになるはずだから、代謝がよくなり、免疫力も上がるだろう。夏に足元が熱すぎる事もなくなり、冬に足元が冷えすぎる事もなくなる。のぼせないから、ホットフラッシュという症状も出にくくなるだろう。

 

とにかく、下肢が強くなり、あらゆる私の症状【未病】が良くなる事は間違いない。

私がずっと求めてやまなかった身体の状態に、ようやくなれるという訳だ。

 

体質が根本から変わる事で、人生がガラリと変わるだろう。

これならば、私の身体の奥底に巣食っていた恐怖を乗り越える事ができると思う。

 

 

最近になって、この本に書かれている丹田呼吸の実践動画をたまたま見かける事になった。動画に映っているのはかなり老齢の方で、白幽禅師や呼吸法、上虚下実などについて訥々と語り、ひたすら実践をする姿が配信されている。

 

本の字面だけでは、もうひとつわからない呼吸法のやり方を、動画でもって実際にやって見せてくれるのは大変にありがたい。正直、すごく目をひく動画ではないが、私にとっては非常に価値がある。

 

この動画が配信され始めたのが今年の春ごろから。説明しながら実践に移り始めたのが2か月くらい前の事になる。私には、このご縁が必然の事のように感じた。

 

呼吸について、まだ正解が見えたとは言い難い。吐きづらさに関して克服が出来た訳ではないからだ。以前よりはだいぶ吐けるようになったが、呼吸法をするのにやはり苦しさが伴ってしまう。

 

本当は、冒頭に述べたような呼吸が理想なのである。あの時は、深い呼吸が何も考えずとも自然にできていた。それが、一時的にしろ体感できた訳で、あの爽快感は忘れられない。あの状態ならば、呼吸法を意識しなくても良い感じがする。

 

ただ、現在の私は意識しないと呼吸ができず、呼吸法を実践しなければ理想の身体の状態になれない。これは、理想の状態にしようと強制的に努力しているのと何らかわらない。言ってしまえば、中庸ではないのである。

 

それでも、まずは、トレーナーからの指導も含め、この呼吸法を実践していこうと思っている。やってみた結果、また色々な事が見えてくるだろう。

 

長い長い時間をかけて、ゆっくりと自分の中心へやってきた。

ようやく、その大元へたどりつこうとしている感じが私にはある。

目指していた、中庸の状態まであと少しといったところだ。

 

呼吸法を実践する事で、何が見えてくるのか。その過程を楽しんで観察していきたいと思う。