かのんのお部屋 -5ページ目

かのんのお部屋

日々いろいろ思ったことを☆

精神的に【自立】を意識しだした頃、ある女性からこんなアドバイスをいただいた。

 

「一人で山に入るというのは、全てが自己責任なのよ。何があっても自分で何とかしなければならないの。低い山で良いから、一度一人で山に登ってみなさい。自立が体感できると思うわよ」

 

命懸けのダメダメ登山から山の危険性を肌で感じ取っていた。体力的な事も含め、自分の実力不足が身に染みていたので、基礎的な事を学ぶため山岳講習会に参加。そこで、登山でも【自立】が必要なのだと教えられた。体力・知力・気力、この3要素をバランスよく満たす事が自立につながると知り、以来、自立に焦点において登山の経験と勉強を積んでいく事になる。

 

・・・その事を語った時に受けたアドバイスが冒頭のものだった。

 

登山をさせて頂くようになって驚いたのは、【自立】を意識して登っている人が存外少ないという事だ。体力と少しばかりの山の知識があれば、確かにある程度の山は登れる。ただ、【誰かが何とかしてくれる】という意識でいると山では非常に危なくなってくる。この意識のまま登山をしている方が多いと感じるのだ。

 

体力的な問題点を抱えていた私としては、登山をすると危機意識を感じる事が多々ある。どうしても【自立】が必要だと直感したのはこのため。スキルアップも必要だとは思ったが、何より自分で自分の身を守るために必須だと思った。

 

【身の丈にあった登山】とは良く言うが、【身の丈】とは自分の実力範囲内という事。自分の実力を過信していると遭難の浮き目にあいやすい。

 

【自立】を意識して登っていない方々は、実力以上の登山をしている事に気がつきにくいと思う。それは、自分の実力ではなく他人の実力に依存したものだからだ。依存は危機意識を希薄にしてしまう。希薄になった危機意識に遭難の危険性が潜んでいるので要注意なのである。

 

アドバイスを受けた当時、単独登山など到底考えられなかった。実力不足を認識していた事もあるのだが、一番は山の醸し出す圧倒的な雰囲気に恐怖心を感じていたからになる。

 

恐怖心に耐えられなくて誰かと一緒に登る事しかできなかったため、自立の第一歩として私がリーダーを務めるかたちの二人登山を実行した。これはこれで、かなり良い経験になったし、それなりに自立の体感もできたのだが・・・単独登山とは少し違う。やはり、いつかは一人で登ってみないと・・・そう密かに思っていたのである。

 

そんな最中、ひょんなことから、単独登山の流れがやってきた。

 

それは、山岳講習会への参加表明をした事からになる。当日、参加をするメンバーで講習会場近くの山を登ろうという案が持ち上がったのだ。登山をする山は地形図講習の折に登った山。私でも登ろうと思えば登れる低山である。

 

ただ、この提案への参加表明には気が進まなかった。午後から行われる講習会の前に【軽く】登りましょうと誘う男性メンバーの言葉にどうしても違和感を覚えたからだ。

 

ゆくゆくは登山ガイドを目指したいという夢をもつ、登山に関して意識がとても高いこの方。他県に住んでいながら山岳会員になったという異色メンバーでもある。

 

山岳救助を担うこの山岳会は、彼にとって知識を吸収する格好の場所なのだろうと思う。ただ、意識が高い彼の熱さについていけないなと感じる場面が多々あり、私は彼を尊敬しながら警戒している状態が続いていた。

 

正直なところ、彼と一緒に登りたいと思えない。一緒に登れば自分が大変になるのが目に見えていたからである。なんでそんな事もできないのだ??と蔑むような圧が重荷になり登山を楽しめないからだ。

 

さらには、何をするにも行動を一緒に取りたがる山岳会メンバーが少し鬱陶しいと感じていた。講習会では、私は私の考えで動きたいし、参加した他の方々と交流を持ちたいと思っている。だが、行動を一緒にするとそれが出来なくて窮屈でしかたがない。これがずっとストレスだったのだ。

 

一計を案じ、私は別行動をとる旨をメンバーに伝えた。

 

私を気にせず、彼らだけで登山を楽しんでくれればいいし、この方が出発時間や移動方法、寄りたい場所など自由に選択できるので好都合だ。これにより、気持ちに余裕ができたと感じた。

 

ここで、ふと閃いた。当日、一人で登ろうかなと。

 

登った事がある山なので感じはだいたいわかる。ここは、バラエティーにとんだコースが複数あり、コースの選び方次第では初心者でも登る事が可能だ。手ごろな山ということで、登っている方も多い。そういった意味で安心感もある。

 

すぐに情報を集めて、実際の登山口の位置確認と駐車場の確認、登山口から駐車場までの移動時間などを下見にいった。ついでに、立ち寄り湯と講習会場の位置、そこまでの移動時間も重ねて調べておいた。

 

しかし、調べただけでは片手落ち。一度、実際に登ってみなければならない。何故ならば、当日のメインはあくまで【講習会】だからだ。ここに遅刻するなど言語道断なわけで、どれくらいで登って降りてこられるのかを確認しなければならない。それによっては、計画の変更も視野にいれる必要がある。自宅から車で二時間はかかるので、移動時間も加味して自宅の出発も考えなければならない。

 

という訳で、先日、登りに行ってきた。

 

当日は晴れ。少し雲があるくらいでスッキリとした天候。予定した通りに自宅を出発し、予定範囲内で現地に到着。駐車場に無事停められたし、登山口へも難なくたどり着く事ができた。ここまでは、下調べの成果が出ている。

 

問題はコースだった。

 

情報からもコース状態からも一番登り易そうなコースを登ったはずだったのだが・・・思いの外難航した。確かに途中までは想定内で順調そのものだったのである。非常に登り易くルートが整備されていたのだが・・・頂上に近づくにしたがってむき出しの岩盤が増えてきた。

 

「このコースは大変でしょう?ここから頂上まで岩盤が続くので気をつけてくださいね」

 

通りすがりの登山者にそう言われ、驚きを隠せなかった。

 

(あれ?一番登り易そうなルートを選択したと思ったのだけど・・・?)

 

ここが岩山である事は想定内だったので、頂上近くは岩盤が出てくることはわかっていた。これは地形図講習で登った登山コースで体験済み。しかし、あの時のコースより岩盤が多い気がする。

 

それこそ、這いつくばって登らないといけないような箇所が複数あり、恐怖した。何とか全身を使い登ったのだが、これを下るのは怖すぎる。一番大きな岩盤のところで、上から降りてきた女性二人連れがいた。見た感じ、一人は登り慣れているが、もう一人は登り慣れていない。その女性がこうぼやいた。

 

「これを下るの?怖い!!どこから降りれば良いかな・・・」

 

確かにと思ったので、こう声をかけた。

 

「確かにこれは怖いですよね。私もどこから登るか考えています」

 

「ですよね~(+o+)」

 

もう一人の女性が

 

「どこからいっても同じだよ。強いて言うなら左側かな」

 

「えーっ!どっちからでも同じに見えるよ??」

 

(私もそう思う・・・)

 

「いや、こっちの方が距離が短いもの」

 

(なるほど、確かに)

 

お先にどうぞ、と言われたので距離が短いという側を登りながら、こう声をかけた。

 

「怖いと感じるならば、お尻から降りるか、体勢を変えて岩に張り付くかたちで降りると良いですよ。その方が、却って下を見なくて良いので降りやすいです」

 

「なるほど!そうか、そんな方法があるんだ(+o+)ありがとうございます」

 

「いえ、私も怖いと感じる時は、そうしますので(笑)」

 

私が声をかけたのは、彼女の恐怖が伝わってきたからだ。私が恐怖を感じた時、寄り添ってアドバイスをして下さった方々がいた。適格なアドバイスは心底力強く有難い。

 

彼女がどうやって岩盤を降りるかは彼女次第。彼女には相方がいるし大丈夫だろう。これ以上のアドバイスは無用だと感じ、私も前に進もうと思った。彼女にかまけている場合ではない。

 

この時、ふと思った。

 

あぁ、これで良いのだと。これくらいの距離感でコミュニケーションをとるくらいで充分なのだと。相手が求めてきたり、必要だと感じるならばアドバイスをすればいい。それ以上をしようとするから、迷惑がられる訳だ。

 

登山慣れしていたり、バリバリ登れる中堅の登山者はついつい出来ないと感じる人達に過度なアドバイスをしがちだ。これを、山岳会メンバーは「うざい」とぼやく。

 

マウントしながら上からのアドバイスをする人達が実際いる(かなり多い)ので気持ちもわかる。私などは知らない事が多いので、知見を広めるチャンスとばかりに耳を傾けるが、ある程度出来る人たちからすれば余計なお世話と感じるだろう。

 

そういう彼らも無意識にマウントしながら上からのアドバイスをしていたりする。先輩の背中を見て学んでしまったのだろうか??こうやって、マウント合戦が行われるのが皮肉にも山(マウンテン)というのが笑えない(;^ω^)

 

ちなみに、適格なアドバイスは相手に寄り添うが、過度なアドバイスは相手の成長を妨げる場合があるので要注意だ。失敗を経験させ、自ら学ばせる、これも大事なことなのである。

 

頂上へ到着したのはお昼時。頂上にはお弁当を食べる年輩登山者団体がいた。ぱっと見たところ、それなりに経験が豊富そうな方々の集まりだ。

 

(うわぁ、何だか居たたまれない(;^_^A)

 

”あの人は、山の力量はどれくらいか?”

 

上から下まで、そう値踏みをするような好奇の視線にさらされながら、軽く飲料を飲み、行動食を食べ、脚の筋膜リリースをしたのち、下山を開始する事にした。

 

ここで、どうするか迷った。当初は同じルートで下山するつもりだったからだ。だが、さきほど登ってきた岩盤を下るのはキツく感じられる。なので、ルート変更をしようと思ったのだ。

 

頭の中には、ある程度のルートが入っているし、どこから降りても何とかなるように下調べはしてある。ここは登山道が整備され、道標がしっかりしているのでまず迷う事もない。一番難易度が高いルートは避けている筈だし、大丈夫!なんとかなると判断するに至る。

 

とりあえず来た方向とは反対側に歩いていった。この段階ではどのルートに進むか決めていない。何となく行きたい方向へと進んでいく。大きな分岐にきて、ルートが2つあらわれた。地形図を見る限りでは左が良いかなと思うが、右も大丈夫そうだ。悩んだ末にウォーキングと同じ方法をとってみる事にした。

 

再開したウォーキングは事前に歩くルートを決めず、道角ごとにどちらに進むかをオーリングで聞いていくという方法をとっている。自分自身、いわゆる守護霊に聞くというかたちをとるのだ。

 

すると、今まで自分が開拓してきたルート以外に、こんな道があったのか、こういくとここへ出るのか、こうやって道が繋がっていたのか、こんなところにお社があったのか・・・等々、沢山の発見があってこれがなかなか面白い。この方法を登山でも取り入れてみることにしたのである。

 

テスト結果は、私が思い描いていた左のコースを示すかと思いきや、右のコースを示す。一瞬迷ったが、素直に従ってみる事にした。岩場はそれなりにあったが、最初のルートよりは切り立っていない分、安心して下山ができる。だからといって、楽な道と言う訳ではない。一歩一歩、ゆっくり慎重に着実に自分のペースで降りていき、なんとか登山口まで到着した。

 

下山して、駐車場へ向かう道すがらに全体のコース案内盤があったので、自分が歩いた道のりを確認していた。そこへ、一人の男性登山者がやってきたので声をかけた。

 

「今日はどちらのコースをとられたのですか?」

 

「こことは反対側です」

 

そういって、地形図を示して見せてくれた。それは私が以前に地形図講習で歩いたコースだ。

 

「あぁ、なるほど。私は〇〇ルートで登りました。このルートは初めてだったのですが、あそこは岩盤が凄いですね。もっと歩きやすいコースかと思っていましたよ。結局、岩盤を下るのが怖くて、下山では△△ルートで降りてきました」

 

「〇〇ルートはここでは2番目に難易度が高いルートですよ。△△ルートもその次に大変なルートです」

 

この山で一番難易度が高いルートは初めから外して、一番歩きやすいルートをとったつもりだったのだが・・・まさか、2番目・3番目に難易度が高いルートを歩いていたとは思いもせず、かなり驚いた。大変だったのは気のせいではなかったのだ。

 

この後、駐車場に戻り、そこから車で20分ほどの立ち寄り湯へと向かう。ここは、講習会場から10分足らずのところにあるため、当日、利用する予定にしている。

 

登山で疲れた筋肉を湯舟で揉みほぐしながら、講習会当日の登山はやめておこうと決めた。今回のコースタイムでは、登山と講習会を1日でこなすのには無理がある。やってやれない事はないが、かなり早くに自宅を出る必要が出てくるため、状況的に厳しい。平地と違って山は状況や時間が読みにくいため、ここは無理をしないほうが賢明だと思った。

 

当日は、山の麓の街をウォーキング→立ち寄り湯→講習会というスケジュールで行こうと思っている。出来れば、どこかで山ごはんを作る時間があると良いがこれは状況次第となるだろう。

 

・・・・・・・・

 

こんな感じで一人登山を初経験する事になった訳である。

 

身体が完全ではない事もだが、コースに関する判断ミス、コースタイムの見積もり間違い等甘さが光る所があったため、100点満点とは言い難い。

 

それでも、と思った。

 

登山中、多少の恐怖を感じてはいたものの、一人で責任をもって全ての行動ができたのだ。これは、大きな成長である。無理をせず、余裕をもって行動をする自分なりの基準が判断できるようになっていた事も大きい。今までは、周囲に流され行動しがちだったのが、自分軸で動き、自分を信じるという、ゆるぎない自信がついていたのを感じたのである。

 

自分を信じ、自分で判断し、自分で責任をもって行動する。

これが【自立】というものなのだなと体感していた。

 

「自立がどういったものかが体感でわかる」

 

まったくもってその通りだと思った。

 

 

西穂高に一人で登山が出来るくらいのレベルの人が【自立した登山者】なのだ、と講習会では教えられたが私は思う。

 

本質的なところでは、山の高低は関係ないのではないか、と。

 

高低が関係するのは、【自立】の大きさ度合いなのであって、今の私はこの【自立】度合いで良いのだと思う。これをベースに少しずつ大きくしていけば良いのだ、と。

 

 

登山がまさかの【自立】の手助けになるとは、始めた当初は思いもしていなかったので驚いている。ただ、これは導いて下さった方々の力も大きい。

 

おそらく、普通にハイキング程度の登山をしていたのでは、ここまで到達しえなかったであろうからだ。さらに言えば、身体能力が低かったのも幸いしている。そうでなければ、ここまで自分の身体と向き合えなかったであろう。

 

命懸けの登山をした事も、山岳救助を担う山岳会に入れられた事も、正直、非常に厳しかった。何故、私が?というシチュエーションが多々あったのも事実だ。だが、これも全て、【魂の自立】という高見に到達させるための導きだったと考えると合点がいく。

 

魂の導きとは、かくもありがたいものなだなぁ・・・

 

甘やかさず、厳しくしてくれてありがとう。

その事に、深く感謝をしている次第なのである。