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かのんのお部屋

日々いろいろ思ったことを☆

友人のお父様が亡くなられたので、葬儀に出席した。会場はよくある葬祭殿で、待合室にて出席者へのお茶のサービスがあった。何気なく空いている椅子に腰掛け、テーブルに置かれていた読み物を手にとる。それは、「やさしくわかる仏教」と称した読み物で8種類ほどあり、テーブルそれぞれ違うものが置いてあった。

私のテーブルにあったもの・・・それは、「般若心経」の解説がかかれた読み物だった。

以前にも記事にしたと思うが、私はツインソウルの彼と向き合いだす少し前、ある夢をみている。

富士山の写真を眺めながら、女性(私?)が問う。

「どうしてこんなに綺麗なのに、神様は綺麗に見せてくれないの?」

もう一人の女性(こっちも私?)が、

「それはね、ありのままを見つめようとしないからよ」


とても象徴的なこの夢を見た後、ビートルズの「レット・イット・ビー」を頻繁に耳にするようになった。その後、本やテレビなど様々な媒体から「ありのまま」という言葉を頻繁に見かけるようになる。

ツインソウルという存在に出逢い、向き合い、自分自身を取り戻す過程で、私は終始一貫して「レット・イット・ビー(ありのままに)」に導かれてきたのである。

この言葉を頻繁に見聞きしていたのは、ツインソウルとの事で悩んだり迷ったりしていた時だったように思う。嵐の真っ只中だった当時、私はどうしていいのか本当にわからず、答えを常に求めていた。そうして得る答えは、決まって「ありのままに」。なんとなく意味はわかるけれど、本当のところはわかっていなかった私だった。

その真意がわかるようになってきたのは、ツインソウルの彼を手放すことができるようになってきてから。「サレンダー」が理解できるようになってきてからのことだった。

最近では、悩むことがあまりなくなったこともあり、前ほどこの言葉を見かけなくなっていたのだが、まさか、このタイミングで「般若心経」の解説を見かけることになろうとは思ってもみなかった。

この解説によると、「物事へのこだわりをなくすこと」が般若心経にはこめられているという。そこには、さらにこう書いてあった。

「悟ることすらこだわらないこと」と。

私はどこまでも「悟る」こと、にこだわっていたのかもしれない。そのこだわりを手放せというストレートなメッセージに内心驚いた。これを私に見せるために、導かれたのだと思う。ツインソウルの彼のことを全て手放したつもりでいたが、まだ手放しきれていなかったようである。心から明け渡した状態というのは、般若心経の教える世界観なのであろう。



囚われない心 偏らない心 拘らない心 
 広く 広く もっと広く 
  これが般若心経 空の心なり    薬師寺管主 故・高田好胤師



 「般若は智慧のことで知識とは違う」といわれます。江戸時代の名僧、至道無難禅師は、「何もない所から出る智慧を般若という」と説明しました。  般若心経には「空」や「無」という文字が多く見られます。これは、「からっぽ」とか「何もない」という意味でありますが、仏教ではそのままでは終わりません。「何もない状態」というのは、「何かが生まれる状態」でもあります。容器に何かを入れるためには「からっぽ」にしなければなりません。  今まで自分をしばりつけていた価値観や経験から自由になるための心のはたらきを智慧というのです。  悩みや迷いのあるこちらの岸(此岸:しがん)から、それらのない向こう岸(彼岸)に渡る、と仏教では説かれます。しかし、じつは彼岸も此岸も同じ世界なのです。つまり、向こうに渡れば今度はこちらが向こう岸になるわけです。そして、このことに気づくための智慧を教えるのが般若心経なのです。

                   インターネット検索サイトより引用