ツインソウルの彼と向き合いだした当初、彼との間に、お互いを思いやり、愛し愛される関係性を垣間見た。「真実の愛」とよばれる理想の男女関係だ。それが彼となら築けると直感で思った。
彼から感じる優しさと心地よさは、今まで好きなってきた他の男性には感じたことがないもの。この人は何なのだろう?もっと知りたい!そう思うのに時間はかからなかった。
だがそれは、あくまでも「垣間見た」だけ。
当時の私では実践レベルで真実の愛を育める状態ではなかった。男性をまるで理解していなかった当時の私が、相手を思いやり、愛するなどどうして出来ようか。「男とは、女とはこういうもの」という自分の勝手な思い込みで関係を築こうとしていた為、コミュニケーションは上手くとれない。理想の関係性を感じたはずなのに、ケンカはするし、すれ違いばかりだった。
何故なのだろう?どうして?
後に、「男性心理」を学び、男心が全くわかっていなかった!と猛反省することになる。私のとっている行動は、逆に男性を遠ざけるものであり、男性の自信を喪失させるものだった。今まで良かれと思ってとってきた男性への対応が間違っていたなんて・・・驚愕の事実を突きつけられ、今までの自分のあり方に向き合わざるを得なくなった。それは、心の奥深くまで及び、自分の感情を見つめ、子供の頃の満たされない想いに寄り添い、家系間に横たわる負の連鎖に気が付くに至る。
これは、どこまでも自分の問題。自分自身を愛すること。
とことん、自分を愛さなければ・・・
いつもいつも、周りに気を使い、自分は後回しだった。生まれてからこのかた、自分を愛したことがあったのだろうか?上手く出来ない自分を責め、叱咤し、頑張り続きてきた私だった。今までどれだけ、自分自身を疎かにしていたのだろう。ないがしろにしていたのだろう。
甘えたいのに甘えられず
泣きたいのに笑い
頼りたいのに頼らず
欲しいのに欲しくないふりをする
一事が万事そんな感じで、自分の感情を抑えて、周りに気を使っていた。周りの目を気にして、自分を気にしていなかった。
自分自身を愛していないと、自分自身をないがしろにするような人間関係を招く。不思議とそういう人ばかりを好きになる。辛く当たられ、傷つけられ、束縛され、責められ、自分自身を大事にしてもらえない。この関係性にほとほと疲れ果て、いつしか好きだった気持ちも色褪せる。例え、その人と別れても、またそういう人を好きになる。今度こそ、と意気込んでお付き合いするが、やはり幸せになれない。何故だかわからないけれど、それが恋愛というもの、男女の関係、自分はこういう運命なのだと思い込む。愛し愛される関係なんて、自分には無理なんだと。
この「好き」という感情、ツインソウルの彼と出逢って錯覚だったと気がつかされた。私の「好き」は依存からくるものであり、苦しい関係性を呼び寄せるものだったのだ。無意識にそういう人を呼び寄せていたのである。
これに気がついて抜け出すのは容易ではなかった。何故ならば、どこまでも無意識だったからである。無意識な「思い込み」を表面に引きずり出して意識させるというのは、かなりの痛みを伴うものだ。見たくない自分自身の闇を見なければならないからである。だから、そこに触れないように生きている人も多いのが現実なのだ。
それを、いともあっさりと引きずりだしてくれたのが、ツインソウルの彼の存在であり、その言動だった。彼の存在がなければ、意識の底にうもれていた「思い込み」に、こんなに早く気付けなかったと思う。もっとも、乗り越えるのは簡単ではなかったが。
自分自身の闇が表面に引きずり出された時、壮絶な苦しみにあった。死んでしまうかと思うくらい激しい心の葛藤の日々。それを乗り越えられたのは、愛の力だった。ケンカしても、すれ違っても感じることができた、ツインソウルの愛が私を支えてくれた。
思い返せば、ツインソウルの彼とのやりとりは、思い込みの壁の存在に「気づく」→「抜け出す」の繰り返しだったように思う。沢山の思い込みを抱え、本来の自分自身を生きていなかった私だった。ケンカをしたのも、すれ違ったのも、この壁を突き崩すためであったのだろう。
いまでは、そんな壁があった事が不思議に思えるほど。そうやって、彼との関係性が変化していったのである。私が、彼との間に垣間見た「真実の愛」という関係性そのものに近づいて行っている感じなのだ。
壁を突き崩すという作業は、「自我の死」というものであったのかもしれない。「かくあらねばならない」と言う偽りの自分自身からの解放であったように思う。本当の自分自身になるための、ステップだったのだろう。
「偽りの自分自身を脱ぎ捨て、本来の自分自身に戻る」
ツインソウルの彼と出逢ったのは、このためだったのではないだろうか?そんな事を思う今日この頃の私なのである。