かのんのお部屋 -36ページ目

かのんのお部屋

日々いろいろ思ったことを☆

3年ほど前の事。

ある神社に参拝に行きたくなった。

決して近い神社ではなかったのだが、この時”どうしても”という衝動にかられる。

それは、男性のシンボルを祀る神社。

その筋ではかなり有名な神社で、私も一度だけ連れられて行ったことがある。当時は若く初心であったため、恥ずかしさから、どんな神社だったのか、どこにあったのか、はっきりとは覚えていなかった。

うろ覚えであったため、この神社の正確な場所とそこまでのアクセスを確認するために、ネットで調べていた時のことである。

(あれ?この神社はなに??)

聞いたことがなかったが、女性のシンボルを祀る神社が目に飛び込んできたのである。

行きたいと思った神社とは、少しばかり離れてはいるが、決して行けない距離ではない。非常に興味をもったので、併せて参拝に訪れてみることにした。

まず、女性のシンボルを祀る神社へ。

この神社には、神社までまっすぐのびる幹線道がある。おそらく、参道であろうと思うのだが、私にはこれが参道とはとても感じられなかった。

なぜか?

それは、前から後ろから大型トラックがひっきりなしに通り過ぎていくからである。

今まで訪れていた数々の神社にも、参道が幹線道になっているところはあった。しかし、それは一般車両が走行する至って普通の道路だった。大きな神社では交通量もそれなりにあるが、こんなにトラックばかりが通る道は初めてである。

決して広い道ではないのに、なぜこんなに大型トラックばかり通り過ぎていくのか?疑問に思っていたのだが、調べてわかった。

この神社の裏山に産業廃棄物を処理する場所があったのである。産廃業者の大型トラックだったのだ。

「産廃」という言葉が「参拝」と、さらには、「参道」が「産道」とオーバーラップした。

「産道」を通って「産廃」業者が、女性の宮であるこの神社の裏に廃棄物を捨てにいく。

なんとなく、子宮が汚物で汚されていく感覚を覚えながら、目的の神社へ。

神社そのものは、それなりに立派な造りで大きい。

しかしだ。

何というのだろうか、暗く荒んだ感じが漂っている。神社が汚いとか、荒れているとかではない。宮全体から感じる雰囲気がそんなイメージなのである。知名度がないからか、参拝者も多くはない。

神社という場所は聖域だ。

だから、訪れると身の引き締まる感覚というのが、どこの神社でもあるが、この神社にはそれが感じ取れなかった。

子宮は子供を育む場所である。ここが、女性の宮ならば、どこの神社よりも聖域でなければならないのでは・・・?という疑問を胸に抱いたまま、もうひとつの神社へ向かう。

対照的に、ここはとても立派に感じた。

明るく澄み切った境内には、男性のシンボルがそこかしこに祀られている。有名な神社であるし、ある意味、物珍しさから訪れる参拝者も多いのかもしれないが、神社そのものが賑わっている。

私の感じる神社というのは、こんな感じだ・・・と思いつつ、先の姫宮とのあまりの落差が気になった。

この二つの神社は対になっている、と私は思う。

二社は、現在の行政区分では異なる市町村に建っているが、歴史的に見て、もともと同じひとつの地域であったと考えてもおかしくない位置関係にある。二社は関係ないという方もいるようだが、この地の祖霊とされている神が二社の御祭神であることと、陰陽一対が自然であるという観点から、「対」と考えたほうがしっくりくる、と私は思う次第である。

女性のシンボルを祀る「女の宮」と男性のシンボルを祀る「男の宮」へのこの参拝は、私の中で男尊女卑を連想させるものになった。どうにも、男性優位に感じられ、女性の性が蔑ろにされて掃き溜めのようになっていると感じてしまったのだ。

はっきりしたことは分からないのだが、神社同士の関係性はあまりよくないと聞く。そういうところからして、まるで男尊女卑からくる男女不仲のように私には映ってしまったのである。

こんな風に二社を見る方はいないだろうと思う。

しかし、ツインソウルという関係性から、男女和合の大切さを感じた私には、この二社のあり方が男女のありようを象徴的に映し出しているように思えてしかたがなかった。

「性は聖なるもので生なるもの」という考えからすれば、この二社の関係性は大いに歪んでいる。性の歪みは、世界の歪み。まるで、混沌とした現在の有様を物語っているかのようである。

男性、女性、どちらも尊くて大切なのもの。お互いを尊敬し慈しみ信頼し合ってこその「性」なのではないか・・・この二社の対比からも、男女和合することの大切さを身にしみて感じた次第である。