かのんのお部屋 -35ページ目

かのんのお部屋

日々いろいろ思ったことを☆

「母さんが優しい人だったと思っているだろう?・・・そうでもなかったんだよ」


あるとき、ふと口にした父のこの言葉で、自分の中に「理想の母親像」というものがあった事を認識することになる。「母」とは、優しく大らかで女性らしい存在・・・と、亡くなった母を勝手なイメージで捉えていたのだ。

(え?優しくなかったの?じゃぁ、どんな人だったの?)

父や親戚から細々と伝え聞く生母は、私のイメージと明らかに相反していた。何かが違う・・・このとき、薄らと違和感を感じたのを覚えている。

この違和感が、私の家族の問題点を暗示していたとは、この時思いもしなかった。疑問に思うことも、考えることもできなかったと言ったほうがいいかもしれない。

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以前、私の生母方の実家は「男尊女卑」が当たり前に行われていた、と何度か記事にした。戦前生まれで九州男児だった祖父にとっては、「女は男に従うもの」という考え方が至極当たり前であったのだろうと思う。この考え方が、生母と叔父の人格形成に多大な影響を及ぼしたのはいうまでもない。

「男尊女卑」ということもあったが、それに加え、第一子だった生母は両親から厳しく躾けられていたようだ。かたや、6歳下の叔父は待望の男子として非常に甘やかされて育ったらしい。口だけ達者で頼りにならなず、男のプライドだけで生きているような叔父に対し、長子として姉として、弟のぶんまで頑張るような”頼りになるしっかりとした、気の強い女性”。それが、生母の本当の姿だったようである。

そんな生母が選んだ伴侶、つまり私の父は、寡黙で優しいタイプの男性だった。あまり強く自分を主張する性格ではない父より、生母の方がいささか強かったのであろうと思う。そんな父が、後妻として娶ったのが、私の育ての母になる女性だった。母は、父との結婚の前に別の男性と結婚していたが、子供ができなかったことで離婚、その後、父と再婚した。つまり、父も母も再婚同士ということになる。

母は、家事より仕事をしている方が好きな自立タイプの女性。男勝りで気が強く、女性特有の甘さはほとんど感じられない。非常に厳しい人で、全てを包み込むような大らかな愛を感じられる人ではなかった。

私は、小さい頃から生母と育ての母とを無意識に比べていたのだと思う。厳しい母を目の当たりにするたびに、(死んだお母さんだったら・・・)と理想の優しい母を思い描いていたのである。亡くなった生母に理想の「母像」を見出していたのは、このためだろうと思う。だから、生母も母とさして変わらない気の強さをもった女性だったときいてショックを受けたのだ。

ちなみに、この母の父も戦前生まれの九州男児。話を聞く分では、やはり男尊女卑のそれだったようである。祖父は働いてはいたが、家計は火の車。そんな家計を支えるため、妹たちを進学させるため、母は進学もせず必死で働いてきたのだという。

きっと、小さい頃から我慢をして過ごしてきたのだと思う。思い切り甘える事ができないまま過ごしてきたのだろう。女性として愛される術をしらないまま育ったのだと思う。

母を見ていると、生きていくことで精一杯で、どこか「女」を諦めている感じがする。婦人科系の病気に悩んでいたのも、子供ができなかったのも、離婚することになったのも、根本はそこだったのではないだろうか。

ところで、である。

私の父が縁を結んだのは、どちらも”しっかりとした気の強い女性”だった事は、察しの良い方ならお気づきだと思う。無意識のうちに、そういう女性ばかりを呼び寄せる何かを、父がもっていたのであろうと推測する。

父を一言で言えば、”文句を言わずに働いてくれる、真面目で優しい男性”だ。文句をいわないので、従順なタイプかと言えばそうでもなく、内に秘める感情はそれ相応のものがあったように思う。ただ、口下手で物静かなタイプの人だった。

父と母の間には子供ができなかったため、父・母・娘(私)という家族構成になる。母は、血のつながらない娘を育てるため、必死だったのだろう。もともとが男勝りなタイプであったのに加え、血が繋がらないという負い目から、ことさらに厳しく私を躾た。この母の背中を見て育ったため、私も同じく「気が強くてしっかりした女性」になったのは、不可抗力だったと思われる。

そんな女が二人もいる家庭。自然、女性優位な雰囲気が出来上がってしまったのはお分かりだと思う。そう、「男尊女卑」ならぬ「女尊男卑」のような家庭になっていたのである。

当時、父のことを”弱く不甲斐ない男”と、どこか見下していた私だった。だから、”しっかりした男性”を求めていくことに。だが、そうやって求める男性とは、ことごとく上手くいかず、以前記事に書いたとおり、ツインソウルの彼に出逢うまで、報われない恋愛を何度も繰り返していたのである。

今思えば、上手くいかなくて当たり前だった。

生母との死別という精神的な痛手と併せて、母同様に男勝りな可愛げのない女性に育ってしまった私は、「強い」男性から見下されないよう頑張り、「弱い」男性を見下して生きてきたのである。自分の歪んだ基準で男性をみていたため、「男尊女卑」⇔「女尊男卑」という、支配コントロールの中にどっぷりはまっていたのだった。

男女の和合とは、ほど遠いところで右往左往していたのである。

ツインソウルの存在が、私をそこから抜け出させてくれた。彼が存在しなければ、私はいまだその世界で悩み苦しんでいただろう。

自身の経験から、支配コントロールに気が付くのは容易ではないと考える。自分の日常が当たり前すぎて、疑問を持つということがなかなかできないからである。

しかし、その不自然さに気がつくことが出来たとき、新たな道が現れる。男女和合という、愛の世界への道がひらけてくるのである。

世の中のトラブルの根本は、男女不和が原因のように思う。
歪んだ性から生まれるのだと思う。

円空が、最後に「歓喜天」を彫ったのも、男女和合による衆生一切の救済も願いに込められていたのではないか?と私は考える。

男女和合こそが、世の中を救うことができる・・・

そう、強く思う次第である。