私が昔好きになっていた男性は、「俺を満足させて」という人ばかりだった。
何にでもそう。俺が俺が俺が。俺が一番、俺が大事。
そんな男性でも、昔の私は満足していた。
が、心は全く満たされていなかった事に私は気がついていなかったように思う。
自分自身を愛せていなかった私は、真からの満足を自分に許していなかった。
「私は幸せになってはいけない、愛されてはいけない」
当時、こんな呪縛を自分に課していたように思う。
幸せになるのに値しないのだから、幸せにならないようにしないといけない。
無意識のうちに、そう思い込んでいた。
こんな状態なので、俺様な男性から粗雑に扱われる。
でも、そこに全く疑問を感じていなかった。
粗雑に扱われて、逆に喜びのようなものを感じていた節もあったというのだから救いようすがない。
しかし、心の奥底では、粗雑に扱われて嬉しくなど思っていなかった。
…本心ではなかったのである。
だから、どこかで男性に抵抗している自分がいた。
自分を傷つける男性に無抵抗でいられなかったのだ。
男性という生き物は、私を傷つける。
そうやって抵抗していたように思う。
全くもって、可愛げがなかった。
今更ながら、自分が自分であって自分でなかったと思う。
自身を愛する事を中心に考えるようになり、この考え方は変わった。
私は幸せになるに値する人間なのだ。真からの満足を得るに値する人間なのだ。
こう心から思えるようになって、自分の男性感が大きく変わったことに気がついた。
女性を大切にし、女性を守り、女性を満足させることに心をくだける男性でないと全くといって言いほど魅力を感じなくなったのである。
俺様な男性は男性として成熟していないということ。そんな男性は論外。
女性のなんたるかをわかっていないお子様な男性など、こちらから願いさげだ。
自分を愛する事とは、自分の中の男性性と女性性が円満な関係を結べることだと思う。
私が俺様男性ばかりを引き寄せていたのは、私の中の男性性が成熟していなかったからである。
強すぎる女性性が男性性の自立を奪っていた。
成熟していない男性性をもつ私が、現実の世界で成熟していない男性を引き寄せるのは至極当然の事だったのである。
私が真から満足できなかったのも、自分の中の男性性でもって女性性を満足させていなかったからだ。満足できない部分を、他の誰かに満足させてもらおうとしていた。
自分自身を心から愛する方向に変わってからと言うもの、自分で自分を満足させるようになってきている。他の誰かに頼ろうとしなくてもよくなった。
真から満足した行動が自分の力でとれるようになってきたのである。
私は私を満足させられるという達成感、喜び、自信。
(あぁ、世の男性はこんな風に女性を喜ばせたいのだろうな。自分が愛する女性の笑顔を見ていたいから頑張るんだ。それが、男性の喜びであり自信なんだ)
そう、ストーンと実感した。
理屈でなく、そうなんだと感覚でわかった。
私の中の傷ついていた男性性が成熟してきたのであろう。
それとともに、強すぎる女性性が影を潜めるようになってきた。
自らしゃしゃり出なくなり、一歩ひいて物事を見るようになったのである。男性を信用して任せるという事ができるようになった。男性に流されるまま言いなり・・・という訳でもなく、自分の意志をもって男性に任せる感覚を抱けるようになったのだ。
私の中で、男性の言うことを素直に聞く女性がいる感じである。
世の中を生きていく中で唯一の指針は、自分の中の男性性と女性性の関係性なのかもしれない。
おそらくであるが・・・
真の自立とは、男性性と女性性の統合を言うのなのではないかと思う。
それが、人間にとっての柱立てなのだろう。
自立した柱を立てられた人同士の関係性。
それは、天国そのもの。
神の世界とはそんなものではないかと思う次第である。