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かのんのお部屋

日々いろいろ思ったことを☆

7年前、ヨガのポーズをとっていた時に「私は中心を目指している」という言葉がよぎった。

 

中心とはどこなのか?

 

身体のブレを感じながら中心を意識していた時の事だったので、「中心」とは単純に身体の軸の事だろうと思っていた。

 

この言葉がよぎったのは、ツインソウルとのことで右往左往していた時期でもある。激しい感情の嵐を体験しながら、とことん自分自身を見つめる展開になっていて、面白いことに自分の意識が中心に向かっているのを感じていた。

 

二極から両極へ向かう感覚である。二極の差がなくなってきたと言ったらわかり易いだろうか。私は、これを観音意識だと感じていた。

 

そこから更に年月がたち、ツインソウルの彼が脳の病で倒れることになる。彼の病がどんなものか知りたくて調べることになった脳の世界。しかし、思った以上に興味深い脳の世界を垣間見ることになり、その面白さにどんどんはまっていった。以前書いた「運動神経」の話はそこから得た知識と私が実際に体感してきた事をすりあわせたものである。

 

「腰椎と仙骨をつなぐインナーマッスルが上手く使えていない」

 

理学療法士の先生にこう指摘された事で、自分自身の運動音痴の原因が紐解けたのは、記事にもかいたとおり。しかし、実はもうひとつ重要な事をこの先生の言葉から感じ取っていた。

 

東洋医学・武道・古典芸能・禅・ヨガなどでは非常に重要視されている、「丹田」である。

 

身体の中心軸には「上丹田」「中丹田」「下丹田」がある。それぞれ、「額」「胸」「腰」あたりにあるらしいが、実際に見たり触ったりはできない。この中でも一番重要といわれるのが「下丹田」。「臍下丹田」または「気海丹田」と呼ばれ一般的に「丹田」というとここを指す。

 

「丹田を意識して」

 

以前から、ヨガや呼吸法の実践で私はこれを何度となく指摘されていた。もちろん、意識はしてみるのだが・・・ドーンと霞がかかったかのようで意識ができない。腹に力がないのは承知していたが、意識すら出来ないとはどういうことであろう。それが何故なのか、もうひとつわからなかった。

 

古武術家の甲野善紀氏によれば、昔の日本人は効率的な身体の使い方が出来たという。そのためには「丹田」にのみ力をこめ、あとは力をぬいておくのだとのこと。

 

(私が追い求めていた「中心」とは「丹田」のことだったのか!)

 

理学療法士の先生の言葉で、ヨガで感じていた事がようやく理解できたと思った。

 

さて。

 

自分の身体の使い方が真逆だった私。肚の力が抜けた状態で外側の筋肉をガチガチに固めていたため、理学療法士の先生からはこんな事を言われていた。

 

「僕が今まで見てきた中で一番固い身体です。褒めるところがどこにもない。全身の筋肉をゆるめないと」

 

私はこの時、こんな事を思っていた。

 

(いやいや、肚に力がない状態でゆるめたらマズイのでは・・・?)

 

思い浮かべたのは、「クタクタ人形」。土台を押すとクニャっと全て力がぬけて崩れおちる人形のおもちゃだ。ここまで崩れおちる事はないかもだが、肚に力がない状態でゆるめると一本筋が通っていない人間になってしまう感じがどうしてもする。

 

確かに、ゆるめる事が大事なのはわかる。しかし、闇雲にただ緩めれば良いというわけではない感じがするのだ。私が求めるのはそれではない。

 

”丹田を信頼して、身体を預けられるようにする”

 

私が目指すのはこれなのである。

 

先生はマッサージでゆるめることを勧めていたが、これでは根本的な解決にはならないと感じていた。ゆるめることを他人に任せるという事がどうにも依存に感じて仕方がないのである。リラックスは自分でするものではないのか?と。

 

自分の身体は自分でゆるめる、それで本格的に「丹田」を意識しだしたという訳だ。

 

若い頃は、思考と行動のズレが酷く、考え方も行動の仕方も地に足がついていなかった。自分というものがなく、頭でっかちでフワフワした生き方をしていたように思う。生きているのに生きていないような、虚無感というか心許なさがあった。

 

最近、思考と行動のズレが少なくなってきたと感じるのは、地に足がついてきたからであろうと思う。さらには、意識が「丹田」へ向いたことにより、さらに深く深く根をのばしている感覚がする。私は、生きているという充実感がある。

 

おそらく、自分自身に「焦点」があってきたのだろう。

 

現在、どうしたら「丹田」に力をこめることができるのか?ということに意識が集中してる。しかも、その集中度合いが今までとは違う。今までも意識をしたことは何度となくあったし、集中を試みた事もあるのだが、ことごとく続かなかったのが現実。頭でわかった事を「肚に落とす」までいっていなかったと思われる。

 

今、まさに肚に落としつつある。

しかも、かなり深くに落としつつある感覚がするのである。