ネットで配信されている動画にカードリーディングをするものがある。
複数の選択肢の中から自分が気になるものを選んでいくタイプのものだ。
心身の焦点があってきた事により、自分の直感も以前に比べてだいぶ信頼できるようになったので、こういった動画でも結構な精度で選択が出来るようになった。リーディング内容も、なるほど!という結果で自分でも驚く位である。
ただ、もうひとつ自分の直感に自信を持てない時があった。一発でこれ!という迷いのない時もあれば、ものすごく迷ってしまう時もあるのだ。
迷いが生じる事があると、やはり占いの類だし・・・とリーディングの内容をどこか信用しきれなくなってくる自分がいる。
直感だけでは心もとないと感じたので、たまたまネットで見かけたセルフオーリングテストを導入してみることにした。普通一般に行われるオーリングテストではなく、これは言葉どおり、独りで行うオーリングテストになる。
まず、動画を選ぶ。
自分の気になる動画を直感で選択するのだが、ここでオーリングテストを行う。
直感で選んだ動画が本当に見るべき動画なのかを確認するのだ。
テストで見るべきという動画のみその先へ進む。
動画内の選択肢も同じく、まず気になるものを直感で選ぶのだが、ここでは念のため選択肢全てにおいてオーリングテストを行う。見るべき選択肢を確認するのである。
すると、面白い事がわかってきた。
気なる動画を選択する段階で、動画の表題などに囚われて選択をしてしまう時がある事がわかったのだ。配信元の方からすれば、たくさんの方々に観ていただきたいのが本音であろう。だからだと思うが、趣向をこらして目につきやすくするような編集がなされている。
私が選択に迷う時、表題に囚われすぎて直感ではなく頭で考えてしまっていたようで、それが全体の1~2割ほどあると分かったのだ。観る必要がないのに動画を選んだ場合、その先の選択肢で迷いが生じるのは必然である。その状態で無理に選ぼうとする事から大いに迷ってしまうという訳だ。おそらく、自分の直感に自信が持てなかったのは、この囚われによるものだろうと思う。
それと、観る必要がある動画でも選択肢が一つとは限らない事もわかった。観る必要があるものが複数、もしくは全部という事もあったりする。選択肢が一つだけという思い込みがあると、やはり迷ってしまいやすい。
この方法をとるようになり、リーディング結果が格段に信用できるようになった。
テーマが同じものだった場合、リーディング結果がほぼ同じになるのだ。リーダーはもちろん違うし、使うカードも占法も違うのにである。例え、リーダー、カード、占法が同じであったとしても、その時の状況でカードの出方も違えば、読み取り方も違ってくる。当たり前だが、一言一句同じではないないのに、不思議と伝えられるメッセージの方向性が同じになるのである。
質問するテーマを変えて、色々な動画で試してみたりしたのだが、本質的な結果にブレがなくなった。現在の私自身が直感で感じている事と内容がリンクしているため、とても重要な事を伝えてきていると感じている。
しかし、誰がそれを伝えてきているのだろうか?
動画の表題には、高次元の存在等からのメッセージとかあったりするのだが、おそらくそうではない。メッセージは私の内側からきていると感じているので、守護霊からのものであろうと思う。
最近読んでいるあるブログがある。
ここのブログ主の方から、自分の守護霊と繋がる重要性を示唆いただいた。
以前から、当たり前のように守護霊の存在は信じていたし、繋がっていると思っていたのではあるが、この方がおっしゃる【繋がる】はもっと密だ。自分と守護霊の結びつきを強固にすると言う事なのである。
自分にとって一番信頼できる存在が自分自身の守護霊なのだそうで、その守護霊に自ら歩み寄っていく事が何よりも大事であり、それが結びつきを強固なものにするらしい。高次の存在に繋がるより、まずは自分自身の守護霊と繋がる事。それができていないと、変なものに繋がってしまうという。
なるほどなと思った。
いわゆる、胡散臭いと感じる霊能力者の多くにこれが当てはまるのであろう。
実はであるが、私が丹田を深く掘り下げていく中で、意識する事になったある部位があるのだが、どこかおわかりであろうか?
それは、松果体。脳幹の内奥にあるといわれている部位である。
丹田と松果体については、神秘哲学を勉強していた若かりし頃から認知していたし、どちらも霊的に非常に興味深いと感じていた。しかし、これらの部位の働きを本質的に理解できておらず、また両部位のつながりも理解できていなかった。それぞれ単体で、知識として知っていたにすぎない。
それが、身体的な問題から丹田を深く意識するようになって、脳との繋がりから松果体を強く意識する事になったのだ。両部位が繋がっていて、その働きが人間の霊的覚醒においてとても重要なのだと深く納得することになる。
多くのオカルティストやスピリチュアリストにとって、神秘世界と自分を繋げる松果体に強く惹かれるものがあると思う。昔の私もそうだった。だから、手っ取り早くそこを活性化するための方法を追い求めてしまうのも無理からぬ事だと感じている。しかし、松果体だけを活性化させる事の危険性を、どれくらいの方々が認識しているのだろうか。
おそらく、高次の存在と繋がる事を望んでいるのだろうが、それよりむしろ低級の存在と繋がってしまう危険性を秘めている。低級の存在からのメッセージを勘違いし、それを霊能力だと言って活躍している宗教家や霊能力者と呼ばれる存在は案外多いのだ。
そうならないために必要なのが、丹田なのである。しっかりと地に足をつけた生き方ができているかどうか、危機意識を働かせる事ができるかどうか、現実的に物事を受け止めることができるかどうか、さらに両極のバランスをとれる意識がもてるかどうか・・・
霊的覚醒には準備が必要なのだ。
師や様々な方々から、安易な覚醒の危険性をとうとうと教えられ、実際におかしな事になっている人たちの事例をたくさん見聞きしていた事もあり、松果体に興味は持てど意図的な霊的覚醒は考えないようにしていた。必要ならば、必要な時に覚醒はするだろう。物事にはタイミングというものがあるのだ。
ブログ主さんがおっしるように、繋がるべきはまず自分の守護霊であり、自分自身であると私も思う。それが出来てこそ、本来の自分自身として生きていける。それを、自分の外に追い求めてはならない。他人軸ではない、自分軸で動く必要があるのだ。地に足がついた生き方が出来ていなかった以前の私が非常に恥ずかしい。
様々な導きがあり、現在、かなり地に足がついた生き方が出来るようになってきた。しかし、あと少し【欠けた何か】があるのを感じている。欠けている何かとは【恐れ】に関する事なのだ。
これは、自分自身の身体能力が教えてくれている。私が求めている【丹田を信頼して、そこに身体を全てまかせられるようになる】という状態になるためには、自分自身が感じる身体的な【恐れ】を克服する必要があるのだ。これは意識ともリンクしているとも感じている。
欠けているのは、恐れを手放す勇気であり、私自身への信頼ではないだろうかと思う。私は、完全に自分を信じて愛する事が出来ていないのである。自分自身への信頼が欠けているからこそ、直感が心もとなくなってしまうのだろう。
「立てるのに立とうとしない」
これは、切り立った大岩の上で恐怖で立てないでいる私に知り合いが言った言葉である。恐怖を感じて腰がひける状態になるのを感じた事がないだろうか?この状態では、大きく姿勢が崩れるので、山の中では特に危険になる。私はまさしく、恐怖で腰がひけてしまっていた。そのため、大岩の上で姿勢を崩し、足がガクガクブルブルと大変な事になっていたのである。知人につかまっていなければ滑落していた事だろう。
しかし、なのである。
普通の地面で立てるならば、大岩の上であっても理論的には立てるはずだ。だから、立とうとしないと知人は言ったのである。厳しいが正論だと思った。
恐れがなくなれば、私はすっくと立つ事ができるはずなのだ。
そうなったとき、私は自分が欲している心身の状態を手にする事ができる。
そこを、ずっと目指しているのだが、恐怖がなかなか手放せない。日常動作でも感じるのだが、特に登山でこれを感じるため、現在、スポーツトレーナーの指導を受けている状態だ。効率的な身体の使い方をマスターするため、身体の使い方を土台から直さなければならず、かなり苦戦している。初めの頃に比べるとだいぶ修正されてきてはいるが、本質的なところの修正がまだなので治療と指導は続行中である。
しかし、最近になって、ある情報が私に飛び込んできた。
それをもたらしてくれたのが、例のブログ主さんである。
これが本当ならば、身体的なアプローチだけでは根本的な修正は難しいかもしれない。
現段階で確認中なので、はっきりとした事が言えないのであるが、かなり信ぴょう性が高いと感じているところ。これについては、長くなるのでまたの機会にゆずるとする。
まずは、ここまで。
守護霊の導きに感謝する次第である。