登山をしていると、時々、こんな人達に出会う。
「百名山を登った」
全国各地にある名山と呼ばれる山々を百座登るというのは確かにすごい事だと思う。
だが、そういう自慢をする方の語りはどこか浅い。
山に登った事で何を学んだのか?
どういうルートで登り、どんな経験をしたのか?
そこから気づいた事は何なのか?
そういう百名山話なら、もっと聞きたいとも思えるのだが、だいたい、山に登りました自慢で話が終わってしまう。
以前、ある低山で知り合った女性もそうだった。
「先月、百名山に登りきったのよ」
「百座登られたのですか!すごいですね。あ、百名山なら○○山も登られましたよね?如何でした?」
「そうねぇ、頂上の眺めが良くなかったけど、まぁ、良かったわよ。」
「あぁ、頂上の眺めは確かに悪いですねぇ(^_^;) で、どのルートで登られました?」
「え・・・どこからだったかしら?」
「○○山は4つルートがあるんですよ。N県側からですか?G県側からですか?」
「さぁ?ガイドさんについて行ったから・・・」
この方もそうだが、登山をガイド任せにしている人は存外多い。それも、登山の一形態であるし私がどうこう言う事ではないのであるが・・・「自立した登山」のそれではない様な気がする。
私が登山仲間と位山を登った時、下準備から登山をするまでに、かなりの時間と熟考を要した。下界を歩くウォーキングとは違い、標高差のある山では少しの油断が命取りになる。どこの山をどのルートでどの位の行程で、気象を読み地形図を読み、下見を重ね・・・安全に遂行するには、よくよく山行計画を練らなければならないと実感した。
それを、経験の浅い私が一人でやった訳である。
たった二人の登山でも、精神的にかなり緊張を強いられた。
「山は全て自己責任」とはよく言ったものだ。
誰も助けてはくれない事を想定し、同行者がいれば、その安全も確保した上で動く。登山中の突然のトラブル・ルート変更など、場合によっては即断即決が必要になってくる。何があっても良いように、その山全体を俯瞰してみておく事も大事だろうと思う。
そういう面倒な事をガイドに任せて登る訳だ。
お金を支払いさえすれば、登る事だけに集中すればよい。
(なるほど、ガイド付きならばルートを知らなくても登れはするなぁ・・・)
もっとも、私自身も人の事は言えない。
登山を初めたばかりの頃は、人に着いていく事しか出来なかったし、自分の事ですらままならず同行者に多大な迷惑をかけていた。自己責任からは程遠い中でたくさんの失敗をし、危ない目にあい、頂上にもつけず、悔しい思いをしてきた訳なのだ。
技術も体力もない自分の登山を反省するしかなく、突き放され、自分を見つめるしかない厳しさを味わってきた。自立した登山者になるべく少しずつ舵取りができるようになった現在、この厳しさに感謝している。この経験がなかったら私の登山に「自立」の二文字はなかったかもしれないからだ。
先の百名山を登ったという女性が「自立した登山者」としての自覚があったならば、私の質問に即座に答えられたと思う。山行するならば、自分が歩くルートは当然の如く確認しているはずだからだ。
山では突然の天候の悪化や体調不良、道迷いなど危険が伴う。その際に、とっさの判断ができるか否か、その技量が一人一人に問われる。結局のところ、自己責任という事になってしまう訳だ。
私の所属する山岳会の先輩達の教えは厳しい。安易な登山をしないように、きちんとした判断がとれるように、最終的にはセルフレスキューが出来るよう教え導いてくれているのだが、先日、メンバーの一人がこんな事を言って憤慨していた。
「私は、ただ山を楽しく歩きたかっただけなのよ!絶対に道に迷わない山に行くし、絶対に天候が崩れない日を選んで山に行くわ。だから、地図読みとかロープワークとかそんなものどうだって良いのよ!!」
彼女の言いたい事はわからないでもないが、残念ながら「絶対」という事はない。山に入るというのは、危険と隣あわせでもある。これが、平地で行うウォーキングと違うところ。危険が起きた場合、人をあてになどしていられない。だから、自立が説かれる訳なのである。
彼女は「ついて行く」という事を前提に登山を考えている節がある。だから、絶対に迷わない山も、絶対に天候が崩れない日を選ぶのも、結局のところ自分以外の他人を頼る事になっているのに気がついていない。そう、低山で出会った女性と同じなのである。残念ながら、技術が足りていないため、山岳会の先輩達は一生懸命に教えようとしているのだと思っている。
誰かに頼っているうちは自立は難しい。
自立とは、自ら考え動く事が大事なのだから。
自立などしなくても良いのならば、それはそれで構わないし、私が口をはさむ事ではない。ただ、遭難の危険性が大きくなるのは否めないし、そうなった場合、他人に迷惑をかけてしまう事も忘れてはならない。
「自立した登山者」として登った百名山話しなら、是非とも聞いてみたい。
きっと、楽しい山話しになると思う。
そんな方々と、対等に登山が出来る日を目指して。
まずは、目の前の一座一座に集中するのみである。