「男は敷居をまたげば七人の敵あり」という故事をご存知だろうか。
男性が社会で活動するときは、いつも多くの競争相手や敵がいて、いろいろと苦労があるというたとえ。 故事ことわざ辞典より
この故事どおり、一家を支える役目がある男性には、女性よりも厳しさと責任感が常に求められるような気がする。そんな緊張の連続が続く男性が、外から帰ってほっと出来る場所。それが本来の家庭というものであろうと思う。
そこには、あたたかい食事、居心地の良い部屋、父をまつのびのびとした子供の笑顔、それらを守る健気な妻が自分の帰りを待っていてくれる。どれだけ、心が休まることであろう。ここで得た休息を糧に、再び七人の敵の待つ戦場へたちむかっていく・・・それが本来の男性の姿なのである。
しかし、もしも。
憩いの場であるはずの家庭が、ほっと出来ない場所であったならどうであろうか。彼らはずっと緊張し続けたままになるであろう。そんな緊張を抱えたまま、それでも家族のためにと必死で頑張って頑張って頑張って・・・
疲労困憊した心身は憩いを求めるのが人の常。
憩いの場が家庭にないとき、彼らはどうするだろうか?
そこ以外に逃げ場をつくるのである。
自分がリラックスできる場を求めてさまよう。
それは、いわゆる浮気かもしれないし、賭け事かもしれない、もしくは趣味に没頭する事かもしれない。
父親がこの状態ならば、その背中を見て育つ息子もそうなること必死。そんな息子が惹かれるのは、母親のように強い女性。娘も同様。父親を見下し、強さあふれる母の背中を見て育ち、不甲斐ない父親を毛嫌いする娘が惹かれるのは不思議なことに、父親とよく似た弱い男性。
たとえ、惹かれあって結婚したカップルでも、結婚はあくまでもスタート地点。そこから、ふたりで協力して家庭を築いて行く作業は、色恋云々だけではとてもではないがやっていけない。お互いを労わりあい、尊敬しあい、理解し合っていくためには、それ相応の覚悟が必要なのである。
家庭という場所は、素の自分にかえる場所でもあるため、相手のいやな部分も自然とみえてくる。そこで嫌気がさしてしまうこともままあるだろう。
自信のない男性をみて情けない父親を思い出し、自分を見下す女性をみて威圧的な母親を思い出す。それの繰り返しで、いつしかお互いに不平不満の声が出てくる。不平不満をぶつけるということは、相手を労われない状態。心に余裕がなくなる。
・・・結果、家庭の外に逃げ場を求めてしまう。
現在の家庭崩壊の影には、こういった家庭間の負の連鎖があったりする。
それをすべて受け入れられるだけの覚悟をもって、相手と結婚ができていればなにも問題はないのであるが・・・覚悟がないまま結婚にふみきるカップルが多いように思うのである。
これでは、悪循環である。
日本という国は、いつの頃からか男女の役割が逆転してしまった・・・
男性・女性それぞれの役割が果たされてこそ、家族はまわっていく。
そう、陰陽のとおりに循環していくのである。
数年前、鹿児島は知覧にある「神風特攻隊記念館」へ足を運んだ。
そこには、兵士の写真や遺品とともに、出撃をする前に書き残した遺書が閲覧できるようになっている。
私はこの数々の遺書を見て心底驚いた。
若干20歳そこそこ位の青年達のなんと言う志の高さ、精神性の高さ。
昔の日本男児というのは、ここまで家族のため、日本のためにと心を砕いていたのか・・・涙しつつ、食い入るように遺書を読み続けながら、この精神性の高さに武士道を重ね合わせていた。
英霊を祀る護国神社に行かれたことはあるだろうか?
そこには、神紋として菊と桜があしらわれている。
菊と一緒に、何故に桜が?と疑問に思っていた。
「武士は桜のように、美しく散りゆくことこそ本来の姿と云われ、
護国の英霊をこれに例えたため」
戦前の方々は、武士道精神を受け継いだ教育を受けてきていたのではないか。だから、精神性の高い方が多かったのではないかと私は思っている。
これは、あるサイトで知ったのだが、
「日本人弱体化計画」というものがGHQによって極秘裡に実行されていたらしい。
隠された真実
http://www.kousyoku.net/topics/?cate=1&id=20130326170050
それは、かなり巧妙なもので国民が気がつかないうちに進められていたようだ。
太平洋戦争というのは、日本人の強靭な精神を崩すために行われた戦争だった・・・とどこかで聞いたことがあったが、このサイトを読んでなるほどと思った。
以前に、精神科の明橋大二先生の講演会で、家庭のあり方が崩れてきたのが、戦後からだったとお聞きしたことがある。
戦争を起こすことで男性を骨抜きにし、ウーマンリブという思想を植え付け女性を強くする。
なるほど、これなら男女が思い切り逆転することは間違いない。そう、お雛様のように。
そう考えるとお雛様の配置が変わったのも、実は作為があったからなのではないかと思えてくる。国際儀礼に則って、近代天皇が男女の並びを変えられた時からすでに男女逆転は静かに、しかし確実に始まっていたのではないだろうか。
本当のところはわからないのであるが。
それでも、男女の役割が逆転したままでは、物事がスムーズにいかないのは確かなこと。
ぶつかりあい、いがみあい、絆は壊れるばかり。
強い絆をつくるためには、男女それぞれが本来の役割を思い出す必要があるように思う。
現在の「日本」という国は、「砂上の楼閣」のように、脆弱な基盤の上になりたっているように感じる。
脆弱な基盤をなんとかしないと、日本の国そのものが崩壊してしまう。
だからこそ、男女の強い絆が必要と私は考える。
それが国の礎を固めると思うからだ。
国を造っていくのは、国民ひとりひとりの意識が必要である。
しっかりとした意識をもって本物の絆を築き上げる。
それこそが、私達ができる国造りにほかならないのではと私は思うのである。