以前、私にある忠告をしてくれた友人がいた。
「あなたから彼に巻きついている白蛇がみえる。もうひとつ見えるよ。元彼からあなたに巻き付いている白蛇が」
友人には、元彼から私、私から彼へと流れるエネルギーが象徴として白蛇に見えていたようだ。蛇と聞いたとき、私には「執着」という言葉が思いうかんだ。
当時、ツインソウルに向き合い始めたばかりのころだったため、強く惹かれるこの想いが強い執着になっていた。執着感は簡単にはなくなることはなく、この想いで苦しくて辛い思いをすることになる。
私が彼に恋をした・・・というのは、この執着というこのエネルギーの強さゆえだったのかもしれない。
もうどうしようもない位の想いだった。
友人は、私の彼に対する想いをどうにかやめさせようと躍起になり、その想いがどれだけ許されないことか、こんこんと私に説教をした。
彼女の言うことは確かに正論。
だが、「白蛇」と言われたこの言葉が重くのしかかり、私は追い詰められて逃げ場を失うことになる。
その時に激しい怒りがこみあげてきたのを感じた。
(わかったから!もう、放っておいて!!)
どうにも出来ない想いで苦しんでいるところへ、正論でがんじがらめにされても素直に話を聞くことはできない。彼女は、私に今直ぐ改心をすることを迫ったが、無理なものは無理だった。
彼女は、私が過ちを認め「そのとおりにします」と言うまで、諭す勢いだった。
でも、それは却って私の反発心をあおっただけだった。
私のことを責めるだけにとどまらず、彼の事まで責め立て、人格否定をした彼女とはこれ以上話をしたくもないし、聞きたくもないと思った。
彼女は、私のことを心配して口を出したのだと思う。
それはとてもありがたい事なのだが、正直、その時の私には迷惑でしかなかった
。
(私のことも、彼のことも何もわかっていない)
小さい時からのつきあいで、お互いの事を理解しあっていると思っていたため、私のありのままを受け入れてくれていると思っていた。だから、ツインソウルの彼のこともなにもかもわかってくれるとそう信じていた。だが、そうではない事実にショックを受ける。
それでも、昔馴染みの付き合い。私にとっては大事な友。
傷つきながらも彼女をなんとか受け入れようと少しの間は頑張った。
しかし、その後まもなくして彼女の方からほぼ一方的に縁を切られることになった。
縁を切られたことが悲しかったが、私を受け入れることができない彼女にとってはこれしか方法がなかったのだろうと思う。そして、多分、二人にとってこれが一番良かったのだろうと思う。そうでなければ、相手の問題に首を突っ込みすぎるあまり、自分自身の事に集中することができなかったであろう。お互いに。
相手の「問題点」を気にすることは、自分自身の「問題点」から目をそらすことにもつながる。それでは、元も子もない。
確かに、彼女には私の中に「白蛇」のエネルギーが見えたのかもしれない。しかし、それは、彼女というフィルターを通してみえた事であり、違う人が見れば、また違ったものが見えるだろう。
現に私の別の友人は、このエネルギーを「湿っぽい」と感じていた。
感覚的な人からすれば、エネルギーはこういったかたちで感じ取れるものらしい。
では、この「白蛇」や「湿っぽさ」のエネルギーは何だったのか・・・?
それは、心理学用語でいうところの共依存という状態だった。
彼を深く深く理解していくたびに、明るみに出る彼の問題点。その問題点と向き合い、考え、どうすればいいのか、どうしたらばいい方向にいくのか、ればかりを考えていた。しかし、本当に向き合うべきは自分の問題点である。なのに、彼を変えなければ、理解した私が何とかしてあげなければ・・・そんな気持ちで必死になっていた。
しかし、あるとき気が付く。
私が彼を縛り付けようとしてることに。
皮肉にもこの事をわからせてくれたのは、元彼からの同じエネルギーだった。この元彼は、私が彼を心配したように、私を心配していた。
心配の気持ちはありがたかった。
が、それは正直、強烈に私を縛るものであることを感じていた。何時間も続く元彼のお説教は、ほとんど私を責めていた。
俺は何も間違っていない、お前がすべて間違っているんだ、と言わんばかりの勢いの元彼に何を言っても無駄だった。元彼もまた、正論で私をがんじがらめにしていた。だから、私は元彼を避けるようになる。顔も見たくないし、話したくもない。お説教はウンザリだったのだ。
自分も同じ状態になり、ツインソウルの彼を縛り付けていることに気がつかされた。
その後、「心配よりも信頼を」という感覚を得ることになる。
この事がわかった瞬間、「ようやくわかってくれた!」という気持ちが伝わってきた。そして、涙があふれるように流れてきた。
(私はどれだけ、彼を苦しめてきたのだろう?)
ありのままの彼を認めず、必死になって彼の問題に首を突っ込んでいた自分を恥じた。彼の問題は彼のもの。私がどうにかしてあげられるものではない。彼の問題に手をかそうとする行為が、彼の自立を削いでしまう。私は私自身の問題に集中しなければ・・・。
ここまでくるのに、約4年の月日がながれた。
この歳月をかけて、私は自分の中に確かな柱を立てた。
そして、この柱立ては、ひとつの奇跡をうむことになる。
次回、そのことにふれてみたいと思う。