若い頃、カラオケが大の苦手だった。楽器で音楽を演奏することは平気なのだが、何故か人前で歌を歌うということに、苦手意識を強く感じていた私だった。
カラオケが得意な人というのは、苦手意識をもつ人の気持ちがわからないのであろうか、「早く歌え」「早く選べ」と強要することが多い。なかなか選曲できずに、必死で迷っていると、
「○○は?××は?△△は?これなら、知ってるでしょ??」
お節介のあげく、しまいには、さして歌いたくない歌を入れられたりする。歌いたくない歌はまず上手く歌えない。その場が、一気に引くのがわかる。
歌えない人には、歌えない人なりの事情というものがある。たとえ、歌わないにしても、選ぶのがとてつもなく遅いにしても、それは本人の自由。本当ならば、そっとしておいてあげるのが一番いい。「ノリが悪い」という事から、こうやって、無理にでもペースにのせようとするのは、彼らにとっては良い迷惑なのである。みんなが同じテンションでのれれば、それはそれで面白いし楽しいだろうが、無理なものは無理。その場にいるだけで精一杯という気持ちもわかってあげて欲しいと思う。
そんな訳で、私は無理強いをされるカラオケというものが本当に苦手だった。
私が歌えなかった最大の原因。
それは、自分の高すぎるプライドだったと思う。
流行りの歌がよくわからない・・・
上手く歌えないのは、恥ずかしい・・・
惨めな自分を人前でさらしたくない・・・
私は、「ありのままの自分」をさらけ出すことに恐怖心があった。私なんて下手だし・・・と自分自身を卑下していた。上手く歌えない自分を見るのが嫌だったのだ。自分で自分を責めていた私は、必死で自分の理性にしがみついていた。それが、その場のノリを悪くしていることに気がつかないまま(^^;
そんな高いプライドにしがみついていた私だったが、今ではプライドという名の鎧を脱ぎ捨てることに恐怖を感じなくなってきている。
ツインソウルの彼の影響である。
彼の存在が、私の硬く、どこまでも高いプライドをものの見事に突き崩してくれた。理性で全てを乗り越えようとしていたそれまでの私に、全く違う方向性、ものの見方を指し示してくれたのが彼だった。
ありのままの私は、こんななの。上手くないかもしれないけど、歌詞間違うかもしれないけど、私は私の歌を歌うわ♪こんなで良ければ、聴いてよね♪あ、別に聴いてくれなくてもイイけどね(笑)
こんな感じで、自分のペースをみつけることが出来るようになったのだ。そうしたならば、どうであろう。
あんな歌も歌いたい、あ、こんなのもあったよね、こっちの歌も歌ってみようかな♪早く順番まわってこないかな~((o(´∀`)o))ワクワク
あんなに苦手だったカラオケの場が、嘘のように楽しいと感じる。面白いとさえ思えるようになってきた。
上手く歌えなくても、ちっともかわまないんだなぁと思えるようになってきた。ええカッコしいだった、昔の自分ではこんな風にリラックスして楽しめなかったから、この感覚は新鮮だ。
「ありのまま」をさらけ出すことが、こんなにも恐怖だったのか・・・
今では、こうやって笑い話で話せているが、当時の私には最大級の苦しみだった。
恐怖はどこまでも恐怖だからだ。それは、怖くて怖くて逃げ出したいと思うほどのものだ。
今更ながらに、大きな恐怖を抱えて不器用に生きていたんだなぁと思う。そんな恐怖に一生懸命打ち勝とうと葛藤していた私だった。必死で頑張って、何度も失敗。そして、また打ち勝とうと向かっていく。その繰り返しだったが、それは失敗して当然だった。なぜならば、「打ち勝つ」のではなく「諦める」ことが大事だったのだから(笑)それでも、そんな恐怖との戦いに、逃げ出すことなく生きぬいてきた自分が誇らしい。そんな経験ができてこその今があるのだから。
最大限の葛藤の末に、諦めることの大事さをツインソウルの彼によって教えてもらえた。こんなにありがたい事はないと思う。