嫉妬という感情 | かのんのお部屋

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嫉妬という感情がある。



これは、相手が自分にないものをもっている事による「悔しさ」の反応だと私は思う。



それは、物だったり、容姿だったり、知能だったり、ありとあらゆるものに該当しうる。



「いいなぁ」という気持ちは人間ならば誰にでもあるだろう。

それが「悔しさ」にまで、発展するのは多分、そうなりたくてもなれないもどかしさを感じているからなのだと思う。もどかしさを感じて努力をすれば、出来なくてもいつかは出来るものもある。出来た時の達成感は自分の自信になる。それは素晴らしいことだと思うし、努力を諦めないで欲しいと思う。



だがなのだ。

完璧な人などどこにもいない。

努力してもだめなものはだめな場合がある。



やっても無理・・・と知った時、心の奥底の悲しみは絶大なものになる。そこで、この悲しみの感情を吐き出すために、相手の悪口や批判をする。エスカレートすれば、嫌がらせにまで発展するだろう。



正直なところ、相手の素晴らしいところを認めたくないのだ。



出来ないでいる自分が悲しくなるから。

相手を認めると、自分の価値がなくなるような気がするからだ。



嫌がらせをあからさまにする人もいれば、わからないように影でする人もいる。どちらも、嫌がらせには変わりなく迷惑千万なのだが、一番たちが悪いのはわからないように影でする嫌がらせだと思う。



いっそあからさまに出してしまえる人の方が、まだ可愛いというものだ。
腹黒い心の闇を押し隠して、良い人面をするのは大変だと思う。



嫌がらせをするほど悲しいのはなぜなのか?



それは、完璧な自分でいようとするために自分を責めているからだろう。完璧で凄い人と周りから認められたい欲求が、出来ない自分を責める。それが、僻みやっかみになり、過度な嫉妬をうむのだと思う。




嫉妬をする人は、自分自身の長所を見ないで、短所ばかり見ているのかもしれない。自分自身が好きではないのだ。等身大の自分自身がわかっていないのだろう。




等身大の自分自身を知っていれば、完璧なんて土台無理と諦められる。そういう心情にならないと、どこまでも嫉妬は続く。




足るを知るという感覚をもたないと、相手も認められないし自分も認められない。



負けたくないという気持ちで、自分自身を追い込んでいないだろうか?



負けることを極端に怖がらなくてもいいと思う。

勝てば気持ちいいだろうが、負けたからと言って誰が責めるというのか。



肩の荷をおろしてみてはいかがだろうか?



それは、自分自身をいたわることであり、愛することであると思う。

まずは、自分自身を丸ごと認めてあげて欲しい。どんな自分であっても、完璧な自分でなくても認めてあげて欲しい。


そのうえで、相手を認めてみて欲しい。

そうした時に、自分も認められているのを知るのだと思う。




それが、心の平安をもたらすと思うのだがいかがだろうか?