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一歩、世界に近づくブログ

どんな国へも、まずは興味から!

言葉や食べ物やその他の文化など、
自分が直接触れた「面白い!」と思った
”外国に関わること”を、力を抜いて書いていきます。

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前回は「レストラン」について書きましたが、では、カフェ、カフェ、と我々が呼ぶ「カフェ」という場所と、「カフェテリア」は違うものなんだろうか?

「カフェテリア」が正式名称で、省略形が「カフェ」なんだろうか?

「カフェテリア」という言葉はあまり日本では使わない気がするし、そしてそこがどういう場所かと問われても、上手く説明できない気がする。


まず分かっていることを。
コーヒーのことをカフェと呼ぶ。

そして、ここスペインを歩いていると、扱う商品に「~テリア」が付くと「~屋さん」という意味になるようなのだ。

確かに、このブログでも何度か書いた、あの美味しいタコ屋をプルペリア(プルポ+テリア)と言うし、喫茶店をテテリア(テ+テリア)、チーズ屋をケセリア(ケソ+テリア)、薬局をファルマシア、海鮮屋をマリスケリア、パン屋をパナデリア、魚屋をペスカデリア、花屋をフロリステリア、肉屋をカルニセリア、本屋をリブレリア、ケーキ屋をパステレリア…と店先に掲げてある。

この流れからすると、コーヒーを飲める場所またはコーヒー豆屋をカフェテリアと呼ぶのが自然ではないかと思うのだが、念のため、少し調べてみることにした。

すると、カフェテリアとは、「セルフサービスの食堂」という意味らしい。やはりスペイン語から来ているようだが、なぜかコーヒーの要素が消え、セルフサービスの要素が入っている。

なぜなんだろう。
言葉が広まるうちに微妙に変化していったというところだろうか。


結論としては、「カフェ」はコーヒーや軽食を出す店、「カフェテリア」はセルフサービスの食堂、という意味ということになりました。


ちょっと面白いと思ったので書きました。
いつもありがとうございます。

次回は「トイレ」についてです。

続く。

初めて中学校で英語を習ったとき、「レストラン」のスペルはrestauranteだと教わった。このように書いてレストラン、と読み、レスタウランテと読むのではないと。

レストラン、と発音するのに何故レスタウランテと書くのだろう、とまだローマ字しか知らなかった僕は不思議に思ったが、決まりなんだから仕方がないという理由で、首をかしげながら頭にたたきこんだものだった。

そして今回スペインに来て、この国のレストランの看板にも英語と同じくrestauranteと書いてあるのに気がついた。しかし、なんと発音はレスタウランテが正しいという。
同じものを指して同じスペルなのに、発音が異なるということだ。なんということだ。

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↑ピカソの生家に建つレストラン、もといレスタウランテ。


言語学に詳しいわけではないので完全に推測だが、英語がアメリカ話されているアメリカは、コロンブスを初めとするスペインに発見され、入植が行われた。

今でこそアメリカでは英語が話されてはいるが、当時はスペイン語の影響が非常に強かったはずで、その頃から存在したレストランやバーなんかも、スペルはもちろん発音も、スペイン式にレスタウランテやバルと言っていたのではないかと思う。

しかし、言葉というのは変わっていくものなので、いつしか、スペルだけがそのまま残り、発音の方だけが彼ら(アメリカ人)が言いやすいように変わっていったのではないだろうか。

もしこの憶測が正しいのであれば、中学生だった当時の僕に上記の話をしに行ってあげたい。

そうしたら、もしかしたら英語と並行してスペイン語にも興味を持ち、今ごろペラペラになっていたかも…なんて考えてしまいました。
妄想するのは楽しいですね。

誰か正しい答えを知ってたら教えてください。


次回は「カフェ」に関して書きます。
寝ぼけていた訳ではないのに、夜中の3時に目が覚めて、もう一度寝て起きたら、まだ夜中の3時だった…

こういう事ってあると思いますか?
もちろん、丸一日寝ていたって事じゃありません。

しかし僕は偶然にもコレを体験したのです。

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朝起きてから、順を追って書いていきます。

ほんの数日前、スペインのサンティアゴの宿でのことです。


朝、6時に起きると、何故か腕時計が1時間
ほど進んでおり、7時を指していた。

宿の部屋に掛け時計は無く、僕は腕時計が1時間進んでいることにしばらく気がつかなかったので、結果的に実際の時間より1時間早く起き、顔を洗ったりしていた。

そして、腕時計の針が1時間進んでいることに気がついたのは、その後、ケータイに表示された時間を見た時だ。
「あれ?ケータイと腕時計、1時間ほど違ってるな…?」

まぁ、ここしばらく、腕時計をしたまま寝ているので、寝ながらうっかり腕時計のボタンを触ってしまったのだろうと思った。


そして、腕時計とケータイの時間のズレの原因を深く考えず、起きてから1時間早く行動していた結果、良い事があった。

実は、パラドールという五つ星ホテルの「まかない朝食」が、8時から並んだ先着10名だけタダで食べられるのだが、それにありつけることが出来たのだ。


規則通り、8時直前にパラドール前に並びに行くも、誰もいない。並ぶ場所が合っているのになぜ誰も居ないんだろうと思ったが、どうやらあまり知られていない情報なのだと判断。

スペイン人の若いカップルも並びだす。彼氏の方に「場所はココでいいんだよね?」と聞かれる。これで3人になった。

妻を呼びに行くため、一度宿に戻る。チェックアウトを済ませ、再度2人で並びなおす。ほぼ同時に新しく来たおばちゃんも並ぶ。これで計5人。

ホテルスタッフが人数を確認しに来る。
朝食はこの5人のみ。

5人でホテルのエントランスから入り、巡礼者用の朝食室で例の無料のまかない食を食べる。
パン3種とチュロス、コーヒー、ミルク。
正直若干もの足りないが、無料なので文句は言えない。パンが美味かった。

食事を終え、気が付いたら中で1時間半も過ごしていた。
たしかに楽しく過ごしたが、はて、そんなに経ったかな?

11:00
その後、修道院横のホテルでトイレを借りた際、ちゃっかりケータイの充電もさせてもらう。


…そして、このケータイの充電のタイミングで、ようやく、朝から感じていた、この時間の違和感の謎が解けた…


実は、今日の午前3時(夜中の3時)にたまたまスペインの「サマータイム」の期間が終わり、その瞬間、“時間が1時間戻った”のだ。
※「サマータイム」…3月の最終日曜 午前2時から、10月の最終日曜 午前3時の期間だけ、時計を1時間進めること。

夜中に僕が目を覚ましたとき、腕時計で3時過ぎを確認し、もう一度寝て起きたとき、ケータイで時間を確認したらまた3時過ぎだったのは、こういうことだったのだ。
(アナログな腕時計は自分でサマータイム調整をする必要があるが、ケータイに表示される時間はGPSで自動調整してくれるため)

分かりやすくいえば、今日だけは、他の日よりも1時間だけ1日が長いのだ。

このカラクリ、分かれば納得できるのだが、サマータイムという仕組みが日本には無いので、イマイチ実感が湧かない。

トクしたような、キツネにつままれたような、不思議な感覚に囚われてしまった。


しかも、今日は偶然にも、時間旅行はまだこれだけで終わらなかった。


サンティアゴの街からバスに乗り、隣国ポルトガルを目指した。

すると、いつの間にか、国境の町トゥイを越え、今度はスペインとポルトガルの時差が1時間生じ、さらに1時間だけ時計の針が戻ることになった。(ポルトガルはスペインより1時間遅い)

このまま今日の残りをポルトガルで生活すると、自分自身の体感としては24+1+1の26時間を今日として過ごすことになる。


今日はサマータイム終了で1時間戻り、更に時差で1時間戻り、計2時間も時計の針が戻るという珍しい経験をした。
この2つを同じ日に経験できるなんて。


ポルトガル第2の都市、ポルトに到着したのは、すでに外が暗くなったあとだった。

たまたま今日はこの街の学生たちの祭りの日のようで、黒い服の上に黒いマントに身を包んだ学生たちが、闇の中を闊歩していた。

そのさまはまるでハリー・ポッターの映画のようで、美しく、そして今もまだ自分が不思議な世界の中にいるような感覚を覚えた。


とにかく、いろんな意味で面白い1日でした。
この長い長い巡礼路を歩きながら、いろんなことを感じたり考えたりしてきました。

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その中でも特に強く感じたこと、それは、「“見知らぬ人”に対する“見知らぬ人”からの親切」のことでした。

今回はその記憶が新しいうちに、ちょっとそこらへんを書いておこうと思います。


まず、上記、前者の“見知らぬ人”というのは、この場合、“いま現在、歩いている巡礼者”を指します。

そして、後者の“見知らぬ人”というのは、下記の3つに分けられます。

1、巡礼路沿いに住んでいる人。
2、巡礼者とすれ違う人。
3、先輩巡礼者。


少々長くなりそうなので、後者のそれぞれについて、分けて書きます。

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⒈巡礼路沿いに住んでいる人

この「カミーノ・デ・サンティアゴ」と呼ばれる巡礼路は、それに関する協会や、州や県などの協力などにより、スタート地点であるフランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからスペインの端のフィステーラまで、至るところに「黄色い矢印」や「モホン(標識)」や「ホタテ貝」などが描かれており、道に迷うことはないようになっています。

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特に「黄色い矢印」は道路であったり、看板であったり、クルマ用の標識の裏であったり、木であったり石であったり、いろんな場所に描かれています。
その中でも「黄色い矢印」は、“住宅の壁”にペイントされているケースも非常に多くあります。

僕ら巡礼者にとっては有難いこの矢印だが、住んでいる人にとっては何か益があるわけではない。

おそらく無償奉仕として描かせてあげているのだとは思うが、もしかしたら、上記のような関係機関から協力費みたいのが出ているのかもしれない。

それでも、もしあなたが新築の家を建てたとして、見知らぬ巡礼者のために自宅の白い壁に黄色い矢印を描くことを許可するでしょうか?

そもそも、巡礼者の中には、いろんな人がいる。多くは常識のある非常に良い方ばかりだが、世界中から人間が集まってきているので、中にはおそらくモラルやマナーに乏しい人だっているだろう。

巡礼路である以上、何十年も、毎日毎日、早朝から夜まで世界中から人が集まってくるだけでも相当なストレスのはずだが、それに加えて「黄色い矢印」のペイントまで許可するなんて、この道への理解があることの証明であり、僕はとても素晴らしいことだと思う。

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⒉巡礼者とすれ違う人

巡礼路で通り過ぎる、数々の村。
そこの村人にすれ違う度に掛けてもらった「ブエンカミーノ!(良い巡礼を!)」という言葉には、常々、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

年配の方だけでなく、小学生や、それ以前の小さな子たちにまで言われた時は、これはスペインという国の教育の賜物だな…とつくづく感心してしまったほどです。

巡礼路沿いに暮らす彼らにとって、上記1に書いたように、毎日毎日やってくる巡礼者などは珍しくもなんともない。

むしろ無視していたっていいはずなのに、初めて会う巡礼者に、まるで友人や家族に対するようにニコニコと「気をつけて行っておいで!」と励ましてくれるその姿勢には、今更ながら頭が下がる思いがします。

町や村のバルならば、巡礼者がお金を落としてくれるからニコニコするのも分かる気がするが、そうではない村人も、自然に、声援という手助けをしてくれる。

広大なメセタの大地をトボトボと歩いていたとき、走っているトラックの窓から運転手が大声で僕らに「ブエンカミーノ❗️」と叫び、僕らが驚いてそちらを振り向いたときに笑顔でグッと親指を立ててくれた時には、勇気すら出た。
本当にありがたいことだ。

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⒊先輩巡礼者

上記1で書いたように、道沿いには基本的に標識があります。しかし、森の中や工事現場などでは、それらが急に無くなったり見つからない時もあります。

そういう場合、巡礼者たちは「黄色い矢印」を探して右往左往し、時間と労力を浪費することになります。
特に早朝は、暗くてサインを見落としがちなので、「道が分からなくて30分ロスした」なんて話はザラです。

こうした、公によるサインが無い場所では、自分たちより先に進んでいる先輩巡礼者たちが、何らかの方法で道を教えてくれることがあります。

特に多いのは、石や木でお手製の矢印を作ってくれているもの。

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巡礼者である以上、基本的に、誰もが1㎞でも早く先に進みたいはず。
それなのに、彼らは、自分の後ろに続く巡礼者が自分みたいに迷わないようにと、貴重な時間を割いてサインを残してくれているのです。

会ったこともない、名前も知らない、どこの国の誰かも知らない人に対して、親切心でやってくれている。

そして、そのサインを受け取った僕ら後輩巡礼者は、それを残してくれた人が誰か分からないので、お礼すら言えないし、そもそもサインを残してくれた人は、そんなこと望んでなんかいない。

なので、見知らぬ人からのサインを受け取った巡礼者は、その好意をまた別のかたちで他の巡礼者に渡す行動をとる。
そして、それは伝わっていく…。

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10年くらい前に『ペイ・フォワード』という映画が話題になりましたが、僕は巡礼者同士のこの行為がなんだか『ペイ・フォワード』と似ている気がして、お手製の矢印を見つけるたびに気分が良くなりました。


こうした、いま上記に挙げたような、見知らぬ人から見知らぬ人への親切。
これら自体は巡礼路沿い特有のものかもしれませんが、その根底にあるものは、なにも巡礼路だけに限らず、日常生活でも大切なのではないかと思います。

家族だから親切にする。
友人だから親切にする。
近所の人だから親切にする。
社内の人だから親切にする。

そんな狭い範囲の中でだけじゃなく、自分より後にその空間を訪れる見知らぬ誰かに対して親切にできたら、そして、そういう気持ちや余裕を持って日本で生活していけたら、もっと人間として大きくなれるんではないか。
そう身をもって感じました。


なんだか、うまくまとめきれませんが、未来の自分へのメッセージとしても、ここに残しておこうと思います。

今回は長文を特にダラダラ書きましたが、お読みいただき、ありがとうございました。

さて、次回は、不思議な時間旅行の話を書きます。いつもありがとうございます!

続く。
最終の町、フィステーラの岬に2人で行ってみた。
町中から岬までの最後の3㎞の道のりは、もうバックパックを担ぐ必要はない。

他の巡礼者たちも大半は、宿に荷物を預けるなどして、身軽な格好で岬に向かっている。

しかし僕らは、またしても、というか、まだ、バックパックを担いで登っていた。
預けられる場所が無かっただけなのだが、結果的にはそれで良かった。

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左手に海を見ながら気持ちよく歩いて行くと、昔の巡礼者の銅像が立っており、観光客としてこの町に来ているような人たちはそこで写真を撮ったりしている。

彼らを横目にしばらく進むと、とうとう、灯台と共に最後のモホン(標識)が立っていた。
ここには数値的にも最終ゴールを示されている。

このモホンや、矢印や、ホタテ貝のマークを追って、ここまでやって来た。

しかしもう、それをする必要は無く、それらも行き先を示してはくれない。ここが最終であり、この先の矢印は自分で作っていかねばならないのだ。

僕らは最終モホンにバックパックをもたせかけ、写真を撮った。
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岬では、目の前に広がる海と頬を撫でる風が気持ち良く、他の巡礼者たちも一様に無言で海の先を見つめていた。騒いでいるのは、ただの観光客だけだ。

なんという名前の楽器か知らないが、民族楽器の奏者が上の方でずーっと楽器を奏でていた。
僕はこの音楽が大好きで、この巡礼路でたまに耳にするたび、立ち止まって聴き入ってしまったものだ。
それが、この最後の最後に聴くことができるなんて。最高とはこのことだ。

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僕らは中世からの慣わしに従い、この巡礼路で着てきた服を岬の岩陰で焼いた。
同じタイミングでやっている巡礼者は居なかったが、あちこちに何かを焼いた跡があった。

パチパチと炭になっていく、僕と妻のTシャツ。ただ火を付けただけで油などを使っていないので、30分ほどかかってしまった。
この44日間をぼんやりと思い返しながら、そのさまを見守った。


フィステーラの町中に戻り、バスでサンティアゴに帰る50分前、なんと港でコーケーに会った。

スペイン人のコーケーは、エル・アセボの宿で最初に出会って以来、トリアカステーラやオ・セブレイロなどあちこちで会い、その都度、お互い励まし合ってきた。そう言えばいつか、僕らが作った晩飯をご馳走した日もあった。

彼女はサンティアゴに到着したときにクタクタで、もうこのフィステーラに行くのは諦めていたらしいが、一晩寝て起きたら「私はまだ続けられる!」とここまで来たらしい。

最後に写真を撮ろうと誘われ、「きっとまた会えるから、さよならは言わないよ」と彼女は言った。いつも慈愛に満ちた表情をしている人だった。


数日ぶりのサンティアゴ・デ・コンポステーラへ着き、宿を探すも、なかなか見つからない。結局、オブラドイロ広場やパラドールの裏手に当たる、前回泊まったアルベルゲ(巡礼者用の宿)にまた行く事にした。勝手知ったる宿は気がラクだ。

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晩飯を食べに、再度外へ。
昼間、フィステーラの灯台で、これまた偶然に再会した飯田さんに教わったタパス屋を探す。
タパスと言えばシーフード。サンティアゴはシーフードが美味いらしい。ならばこれは行かねばならぬ!

昼間、飯田さんにそのタパスバルの店名を聞いたが、忘れちまった、行けば分かるよ、とのこと。
実際、来ても分からなかったのだが、その名もまさしく『タパスバル』という名の店があった。ここだろうか?美味そうなタパスバルはあちこちにあるが。

適当に自分のセンサーを信じて入ったその『タパスバル』は幸運にも人気店のようで、入れ替わりお客が入ってくる。

人気のバルというのは、本当に忙しそうだ。

カウンターの中のスタッフは相当要領よくこなさないと仕事が回らないので、全体的にユルい雰囲気の漂うスペインにおいて、こうした人気のバルの店員さんだけは非常にテキパキと動き、見ていて惚れ惚れする。日本でも滅多にお目にかかれない俊敏な動きだ。

この店のタパスはシーフードだけでなくどれも美味しく、どのスタッフも気が利き、空間に良いオーラが漂っていた。

会計時、特に面倒を見てくれたスタッフが「おれ、日本語ひとつ知ってるよ」と言うので、聴いてみた。
返ってきたのはコレ。

「カイゾクオウ ニ、オレハ、ナル!」

ひとつ知ってる日本語がそれかよ!



次回は、この巡礼で感じたこと、そしてその次に、不思議な時間旅行の話を報告します。

続く。
今日は、約40日間の巡礼最終日にして、僕ら2人にとって、辛い日でもあった。(理由は後ほど書きます)

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昨夜泊まったオルベイロアの牛小屋のとなりから出発し、穏やかな道、長い下り坂、海辺の道、密林の道、急な上り坂を過ぎ、いよいよフィステーラの町へ近づく。

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↑左に行けばフィステーラ。右に行けばもうひとつのゴール、ムシア。

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↑ドネーション制のカフェにもお世話になった。

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↑急な下り坂の右手にあるマリア像。


改めて感じたのだが、ブルゴス~レオンのメセタの数カ所と、フィステーラの道の数カ所は歩くスペースが結構狭い上、そばを大型トラックがバンバン通るので結構ヒヤヒヤする。
(これから歩く予定がある方は気を付けてください)

フィステーラの道は巡礼者がグッと減って情報交換をしにくくなる上、道としての難易度も上がる。

しかし、この3日目はもう、すぐそばが最終ゴールであるフィステーラであるという労いの意味からか、バスの運転手や、バルで飲んでいる地元のおじさんたちまで道を教えてくれる。

とうとう、ここまで来たんだな…という感慨を覚えながら、写真を撮るためにケータイを取り出した瞬間、なんとケータイが手から滑り、液晶面からコンクリートの上に落下…!!

最終日にしてケータイの液晶がバリバリに割れ、ガラス部分の下にある機械部分がモロに見えているという、痛々しい有様だ。 

僕はしばし下を向いて茫然としていたが、茫然としたところで直るわけでもなし、むしろ割れたのが巡礼最終日で良かったとプラスに考えることにした。
とはいえ、むやみに触ることと、水気は厳禁だ。防水ケースに入れるため、写真は撮りにくくなったが仕方がない。

気を取り直して歩き出す。

最後の3㎞ほどは海辺というか、海岸というか、ビーチが巡礼路になっていた。

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↑ビーチの入り口。しばらく海を眺めた。


今日もかなりの道を歩いてきた。
昨日ほどではないにしろ、33㎞だ。 

比較的体力がある妻も、クタクタどころか、ついに体力が底をついたようで、生気がないまま歩く「ゾンビモード」に突入した。

妻の「ゾンビモード」は初日のピレネー越え以来だ。奇しくも、初日と最終日が一番つらい状態になっているようだ。

つらいだろうがあと少しだ、がんばれ。

僕は笑わせて気分を軽くすることや、背中を押してあげるくらいしか出来ないが、最後の締め括りだ、もうひと踏ん張り!


ビーチは延々と続いているように感じた。
いろんな種類の貝殻が落ちているビーチで、歩くたびに貝が割れる。

思えば、世界でも有数の山岳地帯からスタートしたこの道が、母なる海でゴールを迎えるとは、なんとうまく出来ているのだろう。

聞こえるのは、波の音とカモメの鳴き声だけ。
この数日間を振り返るのにぴったりだ。

ビーチが尽き、市街地に上がり、最後の宿をとった。妻はバタリとベッドに倒れて眠り始め、僕は夕陽を見に再度海へ行った。
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↑間も無く日が暮れる。岬は明日。

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まだ歩ける。歩きたい。
それが今の正直な感想だ。
しかし、もう道はない。

明日、この町の端にある岬まで行ってしまえば、これまで我々を導いてくれた黄色い矢印も、ホタテ貝も、モホン(標識)も、完全に無くなる。

「地の果て」と呼ばれる町の端にある岬にて、いったい何を思うのか。
明日が待ち遠しいような、待ち遠しくないような。

続く。
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「君、寝袋は持ってるか?…いや、実はな、昨日、誰かがサンティアゴからこのネグレイラまでの道の途中で、寝袋を落としたんだと。で、いま隣の部屋でまだ寝てる背の高いヤツがたまたまそれを拾ったらしく、彼が預かっているみたいなんだ。
実は俺も今かぶってるこのニット帽をこないだ落としてな、別の巡礼者が『これ君のじゃないか?』って渡してくれた事があって…その間10㎞も離れてたんだぜ?だからなんとか、その寝袋の持ち主を見つけてやりたいんだが…」

朝、アルベルゲでコーヒーを飲んでいたら、そう聞かれた。
僕はこの話が、この巡礼路っぽい話だなと感じた。受けた恩を、また誰かに返す。別に巡礼路でなくても、当たり前の話なのかもしれないが、この道では特によくあるような、そんな気がする。

それにしても、寝袋を落とすとは気の毒な。
寝袋無しで寝る方法なんてあるのだろうか。
宿に泊まったとしてもベッドに寝袋を敷くのが決まりだし、それを無視したところで虫に食われる可能性も高いらしい。
見つかることを祈る。


ところで、フィステーラへの道2日目の今日、ネグレイラ~オルベイロア間の道を歩いた感想は…

きつい!
個人的には初日のピレネー越えよりもしんどいのではないかと思った。

ひたすら長々と続く道は中盤のメセタを思い出させましたが、あのあたりは、まだちょいちょい小さな村などがあり、ひと息入れることが出来た。

しかし今日の道は違う。
地図も情報もなく、自分がどこにいるのかよく分からないまま、約35㎞の道を、ひたすら足を前に運ぶ。
この間、コーヒー休憩ができそうな村は二ヶ所のみ、それを逃すと水飲み場も無い。

難易度を独断で星を付けると…

ピレネー山脈越え     難易度★★★★★
広大なメセタ越え     難易度★★★★
セブレイロ峠越え     難易度★★★
フィステーラ2日目   難易度★★★★★★

というような実感です。

牛の大群や…
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見たことのない昆虫…
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巨大なダム…
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小さな教会などを見つつ、いったいいつ着くんだ…道は合ってるのか…?と不安になるころにゴールします。


そして、ようやく着いたオルベイロアの村。
私営アルベルゲは12ユーロ、公営アルベルゲは6ユーロだが、後者は牛小屋の隣の倉庫を改装した宿のようで、中は暗く、うすら寒い。
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↑公営アルベルゲ内から見た村

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↑男子シャワー室にはガラスも網戸も無く外むき出しでした。


ガリシアのアルベルゲには珍しく、何故かアルベルゲにWi-Fiはあるが、近くのバルにはWi-Fiは無い(これまでと逆のパターン)。
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公営アルベルゲそばのバルからはあまりヤル気が感じられなかったので、私営アルベルゲの隣にある食堂でカルド・ガジェゴ(ガリシア風スープ)を食べて晩飯としました。

明日はいよいよ地の果て、フィステーラ到着予定だ。巡礼路で初めて海が見れるらしい。
気が引き締まる。

続く。

晩飯は、できるだけ自炊したい。
バルのペレグリーノ(巡礼者)メニューを頼むよりも節約になるし、正直、自炊のほうが我々の口にあったものが作れるからだ。

しかし、毎日変わる公営アルベルゲに調理設備がどれだけあるか、はっきり言って不明だ。
そこで、今日は僕の希望でカップラーメンを購入。妻は不服そうだったが、食材を買っても調理できないと仕方がない。

スペインのスーパーマーケットには、日清と、味の素と、中国系のカップ麺がよく置いてあるが、なぜかどれも1ユーロ(約140円)以上するくせに具材が全然入っていない。

海外のスーパーマーケットに行ったことのある方ならお分かりになると思うが、上記のような日本のメーカーの商品でも、中身は日本国内のものと全く異なることが多い。

日本国内のカップ麺には、なんとなく具材らしきものが入っているのに、なんにも無いとは、スペイン人をナメているのだろうか?
かやく分のコスト削減だとは思うが、麺とスープだけのカップ麺に、あなたは140円払うだろうか?

と、腹がたっても腹が膨れるわけじゃないので、僕は味の素のガンバス(海老)味カップ麺、妻はクノールのチーズ味パスタを購入。

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懐かしきカップ麺の味、具材は無くともやはりすこし安心する自分がいる。


また少し話を戻すが、公営アルベルゲは、ガリシア州に入ってから途端に力を抜き出した(ように感じる)。ガリシアまでの標準から、ガクッとレベルが下がっているのだ。

おそらく、この州から歩き出す巡礼者が多いため、多少設備を落としてもお客が来るからであろう。

最初は驚いていたシャワー室のドアは無いのが当たり前になり、オスピタレイロ(宿の世話人)は6時かそこらで帰ってしまう。
キッチンはあっても、皿や鍋やカトラリーが無かったりする(自前の鍋を持ち歩いている巡礼者がどれくらいいるだろうか?)。
Wi-Fiも飛んでない。

この不便さに、ガリシア以降は急に私営アルベルゲに行きだす人も多いが、その分、私営は高いので(公営6ユーロ、私営10ユーロくらい)、各自の考え方次第だ。

しかし、今晩の公営アルベルゲには素晴らしい点がひとつあった。
それは、なんと、ベッドが一段なのだ❗️

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二段ベッドが当たり前のアルベルゲ(ビジャフランカ・デル・ビエルソには三段ベッドすらあった)、一段ベッドとはまた贅沢な空間使い!

みんなニコニコゆったり寝袋を敷き、安眠できましたとさ。

明日はフィステーラの道、2日目に入ります。
巡礼路中、最長に感じるこの道、我々はどうなってしまうのか…?

続く。

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昨日はカテドラルを観て、預けていた荷物を回収したところで、この数日間一緒に歩いていたトモ君と別れた。

彼は後半こそ僕ら夫婦といたが、中盤はイタリア人グループと2週間ほど歩いていた。
そのイタリア人グループがサンティアゴ・デ・コンポステーラより更に先、地の果てを意味するフィステーラから帰ってきたため、再会するのだという。彼らは皆、同年代なので良いことだと思う。この数日間、お世話になった。

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イタリア人グループだけではない。
僕ら夫婦も、今日からフィステーラに歩き出すことに決めていた。サンティアゴからフィステーラへの道は「フィステーラの道」と呼ばれ、これまでの「フランス人の道」とは分けられる。

巡礼者はグッと減るし、僕らが持っている情報もかなり少なくなるが、この40日間の総仕上げとして、まぁ経験でサクッと進めると判断した。
(これが実は甘い判断だったのですが…)

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サンティアゴの観光もほとんどしていないので、歩き出す前にカテドラル前に埋められたプレートだけを見に行くと、なんとそこに、マリオがいた!

妻は大喜び。マリオとマリアのイタリア人の夫婦は英語こそ話せないものの、いつもニコニコと接してくれて、妻はこの2人に会いたいと常々言っていたのだ。

「マリアはカテドラルにいるから、一緒に向こうまで行こう」とジェスチャーを交えながら言われて向かい、マリアとも再会。

彼らはイタリア語しか話せず、僕らはイタリア語が全然分からないが、「コーヒーでも飲みに行こうか」と誘ってくれ、近くのホテル内のカフェへ。マリオが奢ってくれたカフェ・コン・レチェはとても美味しかった。

彼らもフィステーラまで行って、ちょうどサンティアゴに帰ってきたところだったようだ。
「向こうは風が強いから気をつけて」とマリア。
そう言えば、マリオは足の調子が良くなかったはず。よくフィステーラまで行けたね、と伝えると、見てろよ、とやったあとに、その場でジャンプして見せてくれた。回復したんだね!


楽しい気分で歩き始めた。
フィステーラの道、計3日間。
あっという間に都会を抜け、ほのぼのとした道を進む。

今日の目的地はネグレイラ、その少し前のポンテ・マセイラなどは橋に雰囲気があって良かった。
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ネグレイラに入ってすぐ、宿を見つける前にバルへ。パブっぽいバルで、ここの店員が非常に親切。荷物を倉庫に置いてくれたり、チップスやピーナッツまでサービスで出してくれた。
「疲れてるだろ。ゆっくり休んでくれ」と、こちらが戸惑うほどだった。

カウンターでは、アイルランドとドイツからの巡礼者2人が飲んでいた。ドイツ人は「カミーノで日本人に会うのは初めてだ!」と言い、アイルランド人は、「マジ?ハネムーンでカミーノに来てるのか?写真一枚いいか?」と興奮していた。

さて、問題は晩飯だ。
宿に自炊道具がどれだけあるのか、皆目わからない。

続く。

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サンティアゴデコンポステーラのカテドラルは、ボタフメイロや祭壇だけが素晴らしい訳ではありません。
何枚か写真をアップしますので、ご覧いただけると幸いです。

まず1枚目、上の写真ですが、左上と壁にホタテ貝の絵が見えます。
巡礼路中ずっと僕らを導いてくれたホタテ貝、それが重要なモチーフになっているのです。

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↑拡大したのがコレ。


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↑床にも大きなホタテ貝。


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ハートを逆さにしたような柵の柄は、ガリシア州に入ってからよく目にするようになりました。
教会でも、民家でも。

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柵があって近づけない部屋と、自由に中に入れる部屋。その境界線って、どこなんだろうか?
このカテドラルはすべてに柵があった気がします。

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美しいステンドグラスも。ステンドグラスを観ると、ブルゴスやレオン、オビエドの教会を思い出す。

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地下には聖ヤコブの弟子が2名眠っているとか。
つまりキリストの孫弟子にあたるのでしょうか?

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祭壇の聖ヤコブ像には、背後から抱きつくことができます。巡礼の無事を感謝します。

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裏から祭壇をみた光景です。800キロの道のりが報われた瞬間です。


到着の感動も束の間、明日から、また更に歩き出します。このスペインを完全横断するのです。

続く。