最終の町、フィステーラの岬に2人で行ってみた。
町中から岬までの最後の3㎞の道のりは、もうバックパックを担ぐ必要はない。
他の巡礼者たちも大半は、宿に荷物を預けるなどして、身軽な格好で岬に向かっている。
しかし僕らは、またしても、というか、まだ、バックパックを担いで登っていた。
預けられる場所が無かっただけなのだが、結果的にはそれで良かった。
左手に海を見ながら気持ちよく歩いて行くと、昔の巡礼者の銅像が立っており、観光客としてこの町に来ているような人たちはそこで写真を撮ったりしている。
彼らを横目にしばらく進むと、とうとう、灯台と共に最後のモホン(標識)が立っていた。
ここには数値的にも最終ゴールを示されている。
このモホンや、矢印や、ホタテ貝のマークを追って、ここまでやって来た。
しかしもう、それをする必要は無く、それらも行き先を示してはくれない。ここが最終であり、この先の矢印は自分で作っていかねばならないのだ。
僕らは最終モホンにバックパックをもたせかけ、写真を撮った。
岬では、目の前に広がる海と頬を撫でる風が気持ち良く、他の巡礼者たちも一様に無言で海の先を見つめていた。騒いでいるのは、ただの観光客だけだ。
なんという名前の楽器か知らないが、民族楽器の奏者が上の方でずーっと楽器を奏でていた。
僕はこの音楽が大好きで、この巡礼路でたまに耳にするたび、立ち止まって聴き入ってしまったものだ。
それが、この最後の最後に聴くことができるなんて。最高とはこのことだ。
僕らは中世からの慣わしに従い、この巡礼路で着てきた服を岬の岩陰で焼いた。
同じタイミングでやっている巡礼者は居なかったが、あちこちに何かを焼いた跡があった。
パチパチと炭になっていく、僕と妻のTシャツ。ただ火を付けただけで油などを使っていないので、30分ほどかかってしまった。
この44日間をぼんやりと思い返しながら、そのさまを見守った。
フィステーラの町中に戻り、バスでサンティアゴに帰る50分前、なんと港でコーケーに会った。
スペイン人のコーケーは、エル・アセボの宿で最初に出会って以来、トリアカステーラやオ・セブレイロなどあちこちで会い、その都度、お互い励まし合ってきた。そう言えばいつか、僕らが作った晩飯をご馳走した日もあった。
彼女はサンティアゴに到着したときにクタクタで、もうこのフィステーラに行くのは諦めていたらしいが、一晩寝て起きたら「私はまだ続けられる!」とここまで来たらしい。
最後に写真を撮ろうと誘われ、「きっとまた会えるから、さよならは言わないよ」と彼女は言った。いつも慈愛に満ちた表情をしている人だった。
数日ぶりのサンティアゴ・デ・コンポステーラへ着き、宿を探すも、なかなか見つからない。結局、オブラドイロ広場やパラドールの裏手に当たる、前回泊まったアルベルゲ(巡礼者用の宿)にまた行く事にした。勝手知ったる宿は気がラクだ。
晩飯を食べに、再度外へ。
昼間、フィステーラの灯台で、これまた偶然に再会した飯田さんに教わったタパス屋を探す。
タパスと言えばシーフード。サンティアゴはシーフードが美味いらしい。ならばこれは行かねばならぬ!
昼間、飯田さんにそのタパスバルの店名を聞いたが、忘れちまった、行けば分かるよ、とのこと。
実際、来ても分からなかったのだが、その名もまさしく『タパスバル』という名の店があった。ここだろうか?美味そうなタパスバルはあちこちにあるが。
適当に自分のセンサーを信じて入ったその『タパスバル』は幸運にも人気店のようで、入れ替わりお客が入ってくる。
人気のバルというのは、本当に忙しそうだ。
カウンターの中のスタッフは相当要領よくこなさないと仕事が回らないので、全体的にユルい雰囲気の漂うスペインにおいて、こうした人気のバルの店員さんだけは非常にテキパキと動き、見ていて惚れ惚れする。日本でも滅多にお目にかかれない俊敏な動きだ。
この店のタパスはシーフードだけでなくどれも美味しく、どのスタッフも気が利き、空間に良いオーラが漂っていた。
会計時、特に面倒を見てくれたスタッフが「おれ、日本語ひとつ知ってるよ」と言うので、聴いてみた。
返ってきたのはコレ。
「カイゾクオウ ニ、オレハ、ナル!」
ひとつ知ってる日本語がそれかよ!
次回は、この巡礼で感じたこと、そしてその次に、不思議な時間旅行の話を報告します。
続く。