その中でも特に強く感じたこと、それは、「“見知らぬ人”に対する“見知らぬ人”からの親切」のことでした。
今回はその記憶が新しいうちに、ちょっとそこらへんを書いておこうと思います。
まず、上記、前者の“見知らぬ人”というのは、この場合、“いま現在、歩いている巡礼者”を指します。
そして、後者の“見知らぬ人”というのは、下記の3つに分けられます。
1、巡礼路沿いに住んでいる人。
2、巡礼者とすれ違う人。
3、先輩巡礼者。
少々長くなりそうなので、後者のそれぞれについて、分けて書きます。
この「カミーノ・デ・サンティアゴ」と呼ばれる巡礼路は、それに関する協会や、州や県などの協力などにより、スタート地点であるフランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからスペインの端のフィステーラまで、至るところに「黄色い矢印」や「モホン(標識)」や「ホタテ貝」などが描かれており、道に迷うことはないようになっています。
特に「黄色い矢印」は道路であったり、看板であったり、クルマ用の標識の裏であったり、木であったり石であったり、いろんな場所に描かれています。
その中でも「黄色い矢印」は、“住宅の壁”にペイントされているケースも非常に多くあります。
僕ら巡礼者にとっては有難いこの矢印だが、住んでいる人にとっては何か益があるわけではない。
おそらく無償奉仕として描かせてあげているのだとは思うが、もしかしたら、上記のような関係機関から協力費みたいのが出ているのかもしれない。
それでも、もしあなたが新築の家を建てたとして、見知らぬ巡礼者のために自宅の白い壁に黄色い矢印を描くことを許可するでしょうか?
そもそも、巡礼者の中には、いろんな人がいる。多くは常識のある非常に良い方ばかりだが、世界中から人間が集まってきているので、中にはおそらくモラルやマナーに乏しい人だっているだろう。
巡礼路である以上、何十年も、毎日毎日、早朝から夜まで世界中から人が集まってくるだけでも相当なストレスのはずだが、それに加えて「黄色い矢印」のペイントまで許可するなんて、この道への理解があることの証明であり、僕はとても素晴らしいことだと思う。
⒉巡礼者とすれ違う人
巡礼路で通り過ぎる、数々の村。
そこの村人にすれ違う度に掛けてもらった「ブエンカミーノ!(良い巡礼を!)」という言葉には、常々、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
年配の方だけでなく、小学生や、それ以前の小さな子たちにまで言われた時は、これはスペインという国の教育の賜物だな…とつくづく感心してしまったほどです。
巡礼路沿いに暮らす彼らにとって、上記1に書いたように、毎日毎日やってくる巡礼者などは珍しくもなんともない。
むしろ無視していたっていいはずなのに、初めて会う巡礼者に、まるで友人や家族に対するようにニコニコと「気をつけて行っておいで!」と励ましてくれるその姿勢には、今更ながら頭が下がる思いがします。
町や村のバルならば、巡礼者がお金を落としてくれるからニコニコするのも分かる気がするが、そうではない村人も、自然に、声援という手助けをしてくれる。
広大なメセタの大地をトボトボと歩いていたとき、走っているトラックの窓から運転手が大声で僕らに「ブエンカミーノ❗️」と叫び、僕らが驚いてそちらを振り向いたときに笑顔でグッと親指を立ててくれた時には、勇気すら出た。
本当にありがたいことだ。
⒊先輩巡礼者
上記1で書いたように、道沿いには基本的に標識があります。しかし、森の中や工事現場などでは、それらが急に無くなったり見つからない時もあります。
そういう場合、巡礼者たちは「黄色い矢印」を探して右往左往し、時間と労力を浪費することになります。
特に早朝は、暗くてサインを見落としがちなので、「道が分からなくて30分ロスした」なんて話はザラです。
こうした、公によるサインが無い場所では、自分たちより先に進んでいる先輩巡礼者たちが、何らかの方法で道を教えてくれることがあります。
特に多いのは、石や木でお手製の矢印を作ってくれているもの。
巡礼者である以上、基本的に、誰もが1㎞でも早く先に進みたいはず。
それなのに、彼らは、自分の後ろに続く巡礼者が自分みたいに迷わないようにと、貴重な時間を割いてサインを残してくれているのです。
会ったこともない、名前も知らない、どこの国の誰かも知らない人に対して、親切心でやってくれている。
そして、そのサインを受け取った僕ら後輩巡礼者は、それを残してくれた人が誰か分からないので、お礼すら言えないし、そもそもサインを残してくれた人は、そんなこと望んでなんかいない。
なので、見知らぬ人からのサインを受け取った巡礼者は、その好意をまた別のかたちで他の巡礼者に渡す行動をとる。
そして、それは伝わっていく…。
10年くらい前に『ペイ・フォワード』という映画が話題になりましたが、僕は巡礼者同士のこの行為がなんだか『ペイ・フォワード』と似ている気がして、お手製の矢印を見つけるたびに気分が良くなりました。
こうした、いま上記に挙げたような、見知らぬ人から見知らぬ人への親切。
これら自体は巡礼路沿い特有のものかもしれませんが、その根底にあるものは、なにも巡礼路だけに限らず、日常生活でも大切なのではないかと思います。
家族だから親切にする。
友人だから親切にする。
近所の人だから親切にする。
社内の人だから親切にする。
そんな狭い範囲の中でだけじゃなく、自分より後にその空間を訪れる見知らぬ誰かに対して親切にできたら、そして、そういう気持ちや余裕を持って日本で生活していけたら、もっと人間として大きくなれるんではないか。
そう身をもって感じました。
なんだか、うまくまとめきれませんが、未来の自分へのメッセージとしても、ここに残しておこうと思います。
今回は長文を特にダラダラ書きましたが、お読みいただき、ありがとうございました。
さて、次回は、不思議な時間旅行の話を書きます。いつもありがとうございます!
続く。











