現在,初任から二年目の大阪府警の若い警察官のエピソードである。
彼が大学を卒業する直前の二月に同級生が難病で急逝した。
亡くなった青年と兄弟のように育った私の末っ子も神奈川から葬儀に出席すべく帰省し,家も隣同士で幼い頃から顔見知りだったこともあり,私共家族も通夜と葬儀に出席して早過ぎる死を心から悼んだ。
通夜には,若い大学生の男女が大勢来ていたが,卒業式を目前に控え,それぞれが社会人になる直前だから何かと夢見がちな慌ただしい時期とはいえ,
中に数名,携帯でさも楽しそうに大声で話し,おそらくは飲みに行くのだろうウキウキとした様子を隠そうともせずに,焼香もそこそこに立ち去って行く者達がいて,
こんな場だから怒声を浴びせるわけにもいかないが,私は「おまえら,場に応じた慎みを知らんのか?友に別れを告げに来たんじゃないのか?」と,襟髪をつかんで引き止めたくなるのを必死でこらえた。本当に渾身の突きを入れて歯の二三本も折ってやりたいほど不快だったのだ。
帰宅してから,大阪府警に入った彼と二人でやや遅れて返ってきた末っ子の口から,その「場をわきまえないウキウキ組」のことを憤懣やるかたない様子で言いながら,悔し涙を彼が流していたことを聞いた。
翌日の葬儀で,出棺の際,母親がたまりかねたように青年の名を呼び,やるせない声を上げて「目を開けてよ~!」と叫んだ時は,危うく貰い泣きしそうになっておおいに弱った。
葬儀が終り,大阪府警に入る彼を自宅まで車で送ったのだが,私は車中「志を立てたわけだから,職に殉じて生を終えることもあるかもしれないけど,そういうことがなく定年を迎えられるよう心より願うよ」と真心から伝えて彼を降ろした。
彼の自宅前から幹線道路までは直線で百メートルほどある。私は末っ子に,彼に伝えた願いを繰り返しながら車を走らせ,合流の安全確認で一時停止してふとバックミラーを見た。
意外にも彼はまだ,いわゆる不動の姿勢を崩さずに立っていた。
とっくに家へ入ったと思っていた私は心底驚いてしまった。
もう一度左右を確かめた私は,バックミラーを注視しつつ車を出した。すると彼は,深々とお辞儀をして見送ってくれたのだった。
それは,いかにも御両親の躾が偲ばれる美しい風景だった。わが国の宝石とも呼ぶべき原風景のようにも思えた。
もうずいぶん前から,比較的まともではないかと感じる友人知人宅を訪問した時でさえ,辞去の挨拶を玄関で述べて踵を返した直後に響くガチャリという施錠音と,
間髪を入れずに落とされる玄関の照明に,自分が昭和一桁生まれの両親から受けた躾が消え去っていく日本を思って寂しい思いをさせられていたのだが(あれは友人知人本人ではなく,嫁達の無礼ではないかと私は睨んでいる。もっとも,夫がたしなめるとブッ飛ばされるのかもしれないが!?)
平成の御代が終ろうとする今でさえ,こうやって受け継がれる日本の礼節は確かにあるのだなと,天皇陛下万歳を叫びたいやら嬉し泣きをしたいやらの激情が突き上げたが,そこはやはり,家族の手前もあり懸命に堪えた。
また,鶴田浩二という俳優が三島由紀夫宅を訪問した際に,丁重に辞去の挨拶をして雨の中をタクシーに乗り込み,住宅地の中をまっすぐに伸びる道をひとしきり走ってから,
何気なく振り返ると,三島夫妻が傘を差したままじっと見送ってくれている小さな姿を遠目に認め,ああ,あんな日本人は時を追っていなくなってしまうとしみじみ思ったと述懐していた事も併せ思い出された。
思えば,学生時代は警官に追っかけ回されて遊び,以後も留置場に「お泊り保護」はされるは,社会運動上で尾行はされるは,参考人として何度も何度も取り調べを受けては調書を巻かれるはの私が,青年に立派な警察官人生を送るよう激励するのも「?」かもしれないが,
まあでもそれは次元の違う話だろう。
この好青年が立てた尊い志の成就を真心から願う気持ちには寸分の偽りもないのだから。
今もなお,わが国のヘタレ外交による植民地化の蔓延と,アメリカ旦那にひたすら媚びを売る醜さに辟易して脱力した時には,大阪府警で精励する好青年が自然に見せてくれた美しい立ち居振る舞いを思い出して自らに喝を入れ直す。
「いつか必ず独立する」
「日本よ 永遠なれ」と。
悪弊に染まらず まっしぐらに!



