祈ること、願うこと | 〜白い風の囁き・京都洛北のちょこっと田舎暮らしの日記〜

〜白い風の囁き・京都洛北のちょこっと田舎暮らしの日記〜

気がつけば
この星に生まれて半世紀以上が過ぎ、

遂にアラカンを迎えました。

日々のつれづれや
お?っというような発見や
寺社で感じたことなど

ユル~く気ままに綴っているブログです。

風に煌めく緑が眩しい

爽やかなとき

風薫る、とは、まさしく。

汗ばむくらいの陽射しに優しいかおり






桜から夏までが

年々早く感じる今日この頃。

気づきがあったので記録〜。







お百度を踏みながら

お堂の周りをグルグルしていて

50回を過ぎた頃からだろうか?

思いつくマントラをあれこれ唱え続けていると

ほぼ、感情もなく自動的に

ただ、口からその言葉を呟いているだけの時が来て






あれやこれや

頭をよぎっていたいろんなことが

もう、どうでも良くなる

というか

どっかに飛んでいってしまう






ただ、ちょっと先の足元だけを見ながら

脚と唇だけでグルグル廻り続ける






自分以外の存在のために

何かを祈るということは

その存在の為に、というよりは

コレって、結局のところ、

自分自身の為なんだな、と気づく






当然、誰かや何かに

こうあって欲しいという想いで

自分ではどうにもできない時

祈るわけだけれど







困った時の神頼み

私の場合、まさに、コレだ。

読経の声や太鼓の音を聞いていると

頭が真っ白になってきて

涙が出てきたりもする






我ながら、なぜ、涙が流れるのかわからない

どういう感情で流れている?

自分で自分の感情がわからなくなる






泣くほどのことか?と思ってしまう自分もいる

後についてマントラを上げながら

???マークでいっぱいになる爆笑爆笑爆笑






で、

あ、そういうことか?と気づいたのが

「祈る」とは、私にとって

自分の気持ち、感情を静めたり

整理したり、思い切ったり、

覚悟したり、行動する様に促してくれたり






乱暴にまとめると

自分を赦す、てことなんだな、と。

あざといというか

純粋ではないというか

いやらしいな、自分って、と。






どこかで思っているのもあるけれど

自分の感情、その他を整えたり

外れない様に保つキッカケにしている様な気がして






コレは誰かの為という体裁を借りた自分の為だな

と気がついた。

私の場合は、ですのでね、ご容赦くださいね






対して

何かを「願う」っていうのは

私にとっては

自力でまだ、なんとかできるんじゃないか?

って余地がまだ見えていて。

一縷の希望は自分が握っている、というか






捨て切れない希望が残っているレベルで

自分がやればできるかも?という

自分次第な部分がまだ大きいことに対して

後押しやサポートを望んでいる状態というか…






自分自身でまだコントロールできるというか

自分以外の何かに頼るよりも

自分自身でやるしかないこと

やるか、やらないか、だと自分でわかっている時

自己矛盾や葛藤の中にいて決断できない時






私が「祈る時」と「願う時」には

そんな感じの違いがあるな〜






お願いします

という言葉が同じであったとしても

祈る時と願う時では

求めているものは違っている







いずれにしても

どんな「願う」も「祈る」も

私にとっては自分本位のことであって

自分自身を整える、

調える、ってことなんだな、と

気がつきまして。






どこかで

何かの理由を探して避けていたことも

いつか、避けられない時も来るし






見たくない、聞きたくないことも

直視させられ、突きつけられ、

渦中に飲み込まれることだってある






けれど

生きてるって、

そういうことなんだろうから

何度でも、何度でも

乗り越え、乗り越え、山越え谷越えするしかない






できれば楽しみながら

やり過ごしていきたいもんですが爆笑






「願う」、「祈る」ことは

自分と向き合う時間を過ごすということ

巡礼、お遍路さんも、きっと同じ。

歩いている間、ずっと自分と向き合っている






そういう状況に自分で追い込んでいる

やったことないけど爆笑






ちょっとお百度踏んだぐらいでも

そんな気になるのだから






お寺さんや神社さんの境内を

ボーッと歩くのが好きな私は

フラフラ歩いている間に

要らん感情を捨てたり、浄めて戴いたり

気分転換させて戴いているのかも?と思いました。






殊更、難しいお作法を知らなくても

ご祈祷などをお願いしなくても

(私は空気感が好きなので、時折お願い致しますが)






自分なりに敬意を持って、礼を失することはせず、

その場の、持つ空気感に接すると

何かを感じたり、自分の世界に入りやすい

というのもあると思うので






風薫る季節、

ちょっとホッとしたい時など

静かな時間を過ごしに寺社さんへ、

そぞろ歩きなどお勧め致します〜




この度も有難うございました。