自分と未来は変えられる「高塚猛」元・ダイエーホークス社長 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

東京都立一橋高等学校卒業後、リクルートに入社。

リクルート時代は、22歳で福岡営業所(現・九州支社)の所長に抜擢され頭角を現し、大阪支社営業課長、関連事業準備室課長等を経て、就職情報事業部次長や住宅情報事業部次長を歴任し、29歳でリクルートが経営再建を引き受けた岩手観光ホテル(現・岩手ホテル&リゾート)の取締役総支配人に就任している。

 

1989年の福岡移転以来、パ・リーグでは上位の観客動員数を誇っていたホークスだったが、平日などは空席が目立つ状態であった。

 

多額の有利子負債を抱える3点事業の再建を託された高塚は、これまでの経営方針を一新し、全国区の企業展開という観点からこれまで親会社及び球団が消極的だった、地元福岡に密着した経営戦略に転換し、ホークスの名前を広めることがより得策であるという視点から、ロゴマークの著作権フリーという画期的手法に取組んだ。

 

さらに、松中信彦、城島健司といった九州出身のスター選手が育ち、チームの成績が上昇してきたこともあって、九州出身選手が中心となったチームを前面に打ち出したPRを展開し、福岡ドームに多くの観客を呼ぶことに成功した。

福岡ドームや隣接施設建築により生じた44億円の赤字を抱えていた3点事業を、15億円の黒字に転換することに成功したことにより、高塚の名は「平成の再建請負人」として知れ渡るようになった。

 

その他、二軍戦もビジネスになると考えた高塚は、2002年に「二軍戦を福岡ドームで行う」と宣言する。

これを大々的に宣伝し、「二軍選手を超満員の観客の中でプレーさせてあげて、皆さんの力で彼らを伸ばしてあげてください」とファンにアピールし、RKB毎日放送での中継の実施や、当時の公式発表で30,000人を超える観客を動員するなど、一定の成果をおさめた。

 

また、バラエティ番組から経済トーク番組まで至るまで、在福テレビ局の番組に積極的に姿を見せ、限られた予算の中でも多くのファンを獲得するため営業面では陣頭指揮をとった。ロゴマークのフリー使用可に絡めて、地元福岡県の飲食店などに無料でステッカーを配って、それぞれの店舗で「ホークスが勝ったらキャンペーンを行って欲しい」と懇願するなど、球団人気の向上に尽力した。

 

2004年9月に、ホークス球団を除く福岡3点事業はコロニー・キャピタル傘下となった。高塚は当初、役職に留まることになっていたが、親会社のダイエーに内緒で出版社「ダイヤモンド社」の社長に就任していたこと、ホークスタウンで高塚の書籍1万冊を「営業用消耗品」として購入させていたことなど、さまざま不祥事が発覚したためその約束は履行されず、親会社の高木邦夫社長から遺憾の意を示された。

 

さらに、ダイエー本社側に対決姿勢を示そうとした矢先の10月に、女性社員への強制わいせつが発覚して刑事訴追され、ダイエーグループから完全に退くことになった。

 

ダイエーを離れて以降は盛岡市に戻り、終生過ごす。晩年は体調を崩し、2017年8月27日、慢性腎不全のため死去した。

 

享年70歳、あくなき自己変革を続けた情熱の士であった。カリスマ経営者の惜しまれる死である。