中原名人を狂わせた美人棋士---美しすぎた「林葉直子」の罪と罰 | ブロッコリーな日々

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中原名人を狂わせた美人棋士

---美しすぎた「林葉直子」の罪と罰

将棋好きな方なら、この名前を憶えているだろう。

80年代に大活躍した天才美人棋士「林葉直子」である。

 

1980年に12歳でプロデビューした天才少女、美しすぎた「林葉直子」を検証してみたい。

なんと1982年には14歳で「女流王将」のタイトルを獲得した。

 

後に将棋連盟を牛耳った米長邦雄の内弟子になったのがまだ小学生のころであった。

当時は、女流棋士の層が薄かったことも手伝い、プロデビューするや否や全国区の人気者となった。

 

将棋界にあって、女性棋士の存在は添え物ぐらいであって、男女同権とは云えない状況であった。

だからなのか、大方の悪しき想像が現実となる事態となった。

 

将棋界という狭小な閉鎖社会である。だからと云って清廉潔白とは必ずしも云えなかった。

所詮は男と女が集っている社会だ。芸能界とさして違わない。ここに登場するのが、既婚者であった名人中原誠の存在である。

当時の噂によるのだが、1992年、先にアタックしたのは、林葉直子の方であったそうな。

 

名人中原誠は、24歳になり妖艶さが増してきた林葉直子の魅力に抗えなかった。

--そして1998年、将棋界を揺るがす愛憎事件が起きるのだ。

 

林葉直子が、すべてを週刊誌にブチマケただけではなく、自宅の留守番電話に録音してあった中原名人の肉声を暴露した。

その肉声は、ストーカーそのものであった。

 

世間は驚愕した。その愛憎事件は、将棋界を飛び越えて「中原名人の突撃ストーカー事件」として大きく報道される。

不倫関係を清算しようとした林葉直子に対して「おまえなんか死んでしまえ!」などと罵るような言葉を名人は投げつけていた。

 

林葉直子は、不倫事件の末に将棋界を去った。

あふれんばかりの将棋の才能は、あまりにも早熟過ぎたとは云えるだろう。

 

そして、名人中原誠は1999年に順位戦A級から脱落する。

「棋界の太陽」と評され、長年将棋界をけん引した中原名人の輝きはなかった。

 

そして2009年に名人は、静かに現役引退した。

不倫事件は、二人の将来を葬り去ったと云えるだろう。

林葉直子、写真集を発刊

 

その後彼女は、飲み過ぎたのか、末期の肝硬変に苦しむようになる。

将棋の才能開花がもう少し遅ければ、その容貌が独り歩きし、不倫という許されない愛にうつつを抜かすことはなかった--

女性的魅力があり過ぎたばかりに、彼女は将棋界で己の席を占めることができなかった。。