国境を越えた新劇女優---「岡田嘉子」波乱の一生 | ブロッコリーな日々

ブロッコリーな日々

アイドルマート下花店店長の落書き

新劇女優・岡田嘉子は

演出家・杉本良吉とソ連に亡命した。

 

女優の名前は、「岡田嘉子」である。

明治5年広島市で生まれた。

類まれな美貌であった。

祖母はオランダ人の血を引く女性であったので、その影響である。

岡田の父親は、放浪癖のある新聞記者であったため小学校を7度も転校している。

彼女は長く舞台女優として活躍した。

そして、共産主義者の舞台演出家「杉本良吉」と激しい恋におちた。

 

杉本には病身の妻がいた。

彼は、逮捕を恐れソビエト亡命を決意する。

1937年(昭和12年暮れ)のことであった。

 

岡田嘉子もこれに従ったのである。

二人は樺太を伝ってソビエト領に入った。

 

「女優と演出家の駆け落ち事件」として連日報道され、日本中が大騒ぎになった。

 

無事に越境した二人であったが、不法入国者にソビエトは厳しく、

当局はスパイ容疑で二人を逮捕した。

 

そして別々の独房に入れられた。

入国して3日目であった。

その後二人が会うことは永久になかったのである。

 

1939年、モスクワで二人の裁判が行われ、杉本には銃殺刑が言い渡された。

杉本は「スパイとして入国した」と自白していた。

自白せざるを得ないほどに取り調べは過酷なものであったという。

 

一方の岡田嘉子であるが、「10年間の自由はく奪」が言い渡されたのである。

岡田嘉子は、釈放後も帰国せず、モスクワでアナウンサーとして暮らしていた。

 

その後太平洋戦争がはじまり、岡田嘉子は、すっかり日本人から忘れ去られてしまった。

 

再び日本人が驚くのは、1967年(昭和42年4月)である。

 

日本のテレ番組でモスクワから出演したのであった。

その後帰国を果たし「男はつらいよ」にも出演している。

 

彼女は再びモスクワに帰り1992年当地の病院で死去した。

 

岡田嘉子。日本の女優。

愛する人とソビエトに亡命、投獄された経歴を持つ、波乱に満ちた89年の生涯であった。