昭和の”蛇女優”を覚えて欲しい---「毛利郁子」の不幸 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

「透明人間と蠅男」

1957年8月25日公開

「大映」製作の特撮作品

大映に現れた新人女優「毛利郁子」は、戦後では最高の肉体派として異彩を放っていた。

 

体の美しさ、肌の白さでは

彼女を凌ぐ女優はいなかった。

 

1957年「透明人間と蠅男」でデビューを飾った。

肌だけではない。美貌の持ち主であった。

 

おまけに仕事熱心である。

露出だけでは勝てないと考えていた彼女は、

その白くて美しい肌に「蛇」を巻き付けた。

 

以後「蛇女優」とあだ名される。

彼女の「蛇好き」は有名で異常な愛情をもっていたそうである。

 

愛人を殺害、そして映画界を引退、平和な老後を過ごしているという。

 

現役時代、およそ100本の映画に出演、大映を牽引していた。

 

現役女優が殺人で逮捕されたのは前代未聞であった。

「毛利郁子」36歳の犯行である。

 

彼女はとにかく「男運」が悪すぎる。共演した俳優との間に子供ができたが結婚を反対された。

さらに、その男性の母親に子供は取られてしまった。

その、気持ちが落ち込んだ頃に一人の男と出会ってしまった。

 

それが殺害された愛人であった。

彼は独身だと偽っていた。

 

そして4年後、「毛利郁子」は妊娠する。

彼には中絶するようにいわれたが出産した。

 

それからは「認知する、しない」でもめ事になっていた。

その日も、兵庫県姫路市内の駐車場に停めたクルマの中で口論になっていた。

 

彼女が生んだ子供は男の子でもう2歳になるのだ。

彼女は必死で「認知」するよう迫った。

 

愛人は云った。

「---おまえが勝手に生んだ子供だ,オレは認知なんてしないぞ---」

 

この返事に彼女は激昂した。

 

用意してあった包丁を取り出し、自分の体重をかけて愛人の胸に突き立てた。

1969年(昭和44年)12月14日であった。

 

犯行当時36歳である。

大映を代表する看板女優であるが、我が身と子供の将来が不安で仕方がなかったのだ。

 

愛人を刺したあとで彼女は我に返った---殺すつもりはなかった。

どうしても「認知」してほしかった。

 

包丁はただ脅すつもりで隠し持っていたのである。

それが彼の命を奪ってしまったのだ。

 

彼女はクルマを降りて助けを求めた。

救急搬送の間に、愛人は「オレが自分で刺したんだ。彼女は関係ない!」と云い続けていた。

 

しかし病院で死亡が確認された。出血多量である。

 

法廷では、共演した俳優たちによって「減刑嘆願書」が提出された。

 

大阪高等裁判所で懲役5年が言い渡され、彼女は和歌山刑務所に服役した。

 

女優として華麗な経歴を重ねていた。

さらに30代、40代と円熟することを期待されていたのだが、如何せん「男運」が悪すぎた。

 

女優を辞めた彼女は、出所後には一般人と結婚し、平和な老後を手に入れたようだ。