バスのテープガイド④&街道をゆく~愛蘭土紀行2&ソー・マッチ・イン・ラヴ(再) | 祝福神~ご縁に感謝♪

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4人の両親を看取って、なんだか淋しい日々です。これからは小林正観さんの言葉「祝福神」(7つの言葉)…「うれしい、楽しい、しあわせ、愛してる、ありがとう、ツイテル、大好き」の言葉を言いながら明るく年を重ねていきたいです。みなさんとのご縁に感謝です。

 正観さんによると…。(旅じょうず入門…昭和57年)

 

●バスのテープガイド④

 

 テープは、終わりのころに、レコードになった生保内節と、正調として謡いつがれている生保内節とを流してくれた。

「ちがいがおわかりになりましたでしょうか」とテープはいう。

 民謡の微妙なちがいは私にはわからない。しかし、尺八や笛をバックにしての歌は、これもテープならではであった。バスの中に尺八や笛の人を連れてくるわけにはいかないのだ。

 臨場感、表現力、奥行き、テーマの幅広い選択など、ガイドさんが喋る場合よりも、テープはずっと大きな可能性を秘めている。人間味に関してはガイドさんのお喋りにまさるものはないが、表現に関してはテープが何十倍もまさる。

 バス会社の人が、マイクと録音機を持って吹雪の音をとり、春のせせらぎや鳥の声を録音している姿を思った。

 今度はどんなテープに出会うだろうか。その土地の音をたくさん聴きたいものである。

 

 

 

 

 

👣街道をゆく~52 愛蘭土紀行2 ~ 文学の国アイルランド(ダブリン) 司馬遼太郎 朝日ビジュアルシリーズ👣

 

(クロンマックノイズ)

 

その1 「アイルランドは、文学においてはとほうもない大国である」

 

 アイルランドは三百数十万という人口の国ながら、才能―とくに文学においてはー途方もない大国である。

 18世紀、聖職者でありながら『ガリヴァ―旅行記』というきわどすぎる人間批判を書いた厭世家ジョナサン・スウィフトを連峰の最初の峰とすれば、くだって19世紀末に『ドリアン・グレイの肖像』において毒煙のようなきざっぽさを処世と芸術観にしたオスカー・ワイルド(1854~1900)がこれにつづく。……。(日本の能に注目したW・B・イエイツ、「海へ騎りゆく人々」などの世界の演劇界に影響を与えたJ・M・シング、「ユリシーズ」などのジェイムズ・ジョイス、サミュエル・ベケット…)

 

 

 

(タラの丘)

 

その2 「タラがえらばれたのは、この地が、アイルランド人にとって伝説の地だったからである」

 

 ダブリンで法律家として活動していたオコンネルは、むろんイギリスとアイルランドの併合に反対だった。ただ彼は暴力的手段をきらい、あくまでも〝併合法を撤回せよ”とさけんだ。

「Repeal(撤回)!」

というのを合言葉にし、リピール協会という運動団体までつくった。といってアイルランド独立を企るのではなく、現状のままカトリックを差別から解放するという運動だった。決して独立を叫ぶことがないこの協会が血の気の多いアイルランド人たちから圧倒的な支持をうけたのは、この段階にあってはこの程度の民衆運動でも刺激的だったのであろう。むろん、英国はこの運動に極度に神経質になった。

 1843年8月15日、オコンネルは、

「タラの丘へ!」

と叫んで、ひとびとをその田園の丘陵の上にあつめた。歴史的な大集会だった。

 タラが選ばれたのは、この地が、アイルランド人にとって伝説の地だからである。

 じつをいうと、アイルランド人は古代に統一国家をもたなかった。しかし、〝タラにはアイルランドを統べる大きな王がいた”という神話が、実証以上の実在感をもって信じられており、

「タラ」

といえば聖地だった。日本神話でいえば、高千穂の峰とか、高天が原にあたる。

 タラは、ダブリン北西36キロの地にある小農村で、そこにはラースとよばれる4,5世紀ごろの土の砦がのこっているのである。民族が大きく結束するとき、共有する神話が高々と掲げられるのは、アイルランドにかぎらない。

 

 

 

(テンプル・バー)

 

その3 「ジョイスは、神話の天地である地中海世界を、ダブリンの町に見たてた」

 

 ジェイムズ・ジョイスはわざわざいうまでもなく、あのやっかいな長編小説『ユリシーズ」を書いた人物である。かれこそ、ダブリンそのものではあるまいか。

 ギリシア神話のなかのユリシーズは、部隊や船団をひきいる勇敢な戦士である。22,3歳の時、若い妻とうまれたばかりの一人息子をのこして戦場にかり出される。かれは、木馬をつかったトロイ戦争に参加した。

 十年も戦いのなかにいて、やっと国に帰ろうとしたとき、漂流し、地中海世界をさらに十年もさまよう。

 ジョイスは、神話の天地である地中海世界を、卑小なーとパリ帰りのかれは思っているーダブリンの町に見たてたのである。

 

 

(グレンダロッホ)

 

その4 「アイルランド人の集中力というのは、修道僧にむいているのか」

 

 やがて樹林の密度が濃くなり、日本の渓谷に似たような場所に入りこんだ。小橋をわたると、丘の上に多くの修道院廃墟がある。

 鉄さび色に黒ずんだ石積みの壁、死者の歯のような板状の墓碑、それにアイルランド特有のエンピツ型の円塔、それ物思いげに傾いで立っていた。

「このあたり全体が修道院だった」

と、ジョン・ライリー氏がさし示した石積みの家は、小人の家のように小さい。大人がかがんでやっと入れるが、家の中で立つということは不可能に近く、すわるか寝るか以外の動作を許さない規模のものである。

 こういう家(僧坊)が、このあたりのあちこちに散財しており、帰路に見た僧坊の跡などは、畳ならやっと2畳半といったような広さである。聖ケヴィンの師の聖ぺトロクが川の畔に個室をつくって住んだというが、それはこういう家をさしているのにちがいない。

 アイルランド人の集中力というのは、修道僧にむいているのか、聖ケヴィンが生きた6世紀のころ、この場所に多くの修道士があつまった。その評判をきいて、大陸からここに修行に来る人も多かったという。

 風がしきりに吹いた。やがて山雨があらあらしい勢いでやってきた。丘の下では渓流が音をとどろかせている。

 

 

 

その5 ガリヴァ―旅行記

 

 ケルト的霊性は、ジョナサン・スウィフト(1667~1745)も不朽の傑作『ガリヴァ―旅行記』において極度に濃密である。

 船員ガリヴァ―が難破漂流して小人国へゆき、巨人国へゆく第一部と第二部は、あるいはその空想という醸造の種子の中にケルトのアイルランドにおける妖精の〝生態”が入っているかもしれないが、第四部における人間への絶望というくだりになると、空想は風刺の刃にかわり、人間嫌いへのケルト的傾斜がその極に達する。人間はきたならしい畜獣ヤフーにころがりおちる一方、馬ファイナムが高貴で理性的な生物として登場するのである。

 

 

⚾プロ野球 8月24日(水)楽天生命パーク⚾

 

ソフトバンク 4-3 楽天

 

11回に決勝の犠飛を放ち、チームに勝利を呼び込んだ。

連日の大活躍の谷川原選手ですね♪

なんと愛知県豊橋市出身でした。甲子園に行っていませんが、ちゃんとドラフトで指名されています。本職の捕手以外にも投手以外の内外野の全てのポジションをこなせるユーナリティプレイヤーだそうです。25歳、師匠は柳田!!がんばってね♪これからの選手ですね。

 

って喜んでいても27日には、日本ハムのポンセにノーノー達成されちゃった!!

おみごと!!日ハムずっと連敗中だったものね。

今年は史上最多タイの年間5人目!すごい年だな。

ロッテの佐々木、ソフトバンクの東浜、DeNAの今永、オリックスの山本。そしてポンセ。

おめでとうございます。ソフトバンクは悔しいけれどね。

 

 

 

 

♪私の好きな歌♪

 

〇「ソー・マッチ・イン・ラヴ」(再)…ヒューイルイス&ザニュース

 

ヒューイルイス&ザニュースというと、映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ですが、この「ソー・マッチ・イン・ラヴ」のアカペラもあたたかみがあって、いいですね~♪

 

今日も見ていただいてありがとうございます。

今年の24時間TVは、久しぶりに時々見ていました。

朝市のおばあちゃんの姿はわかんなかったですが、

劇団ひとりさんの脚本の「無言館」のドラマもよかったし、

すぎやまこういち先生のドラマもぐっときました。

ランナーの兼近さんの笑顔もさわやかでしたね。

加山雄三さんの最後の「サライ」も感動しました。

子供のころからあるTVが今も続いているというのは、やはりうれしいものですね。

テーマは「会いたい」でしたね。

みなさん会いたい人にいつか会えるといいですね。私もね♪

次回は、水曜日にお会いしましょう。

ごきげんよう!またね…。