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音楽とスポーツをこよなく愛し、異文化をリスペクトするeagletのブログです

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自分の好きなこと、印象に残ったことを備忘録のように書き連ねています。

楽天の優勝で幕を閉じた今年のプロ野球。


実際の中継では見てなくてネットの記事で知ったのは、「田中からホームランを打ったロペスは、マウンド上の田中投手に向かって大声で挑発した」こと。


ことの発端は、田中投手が三振を奪って派手な(ようにロペスには見えたのだろう)ガッツポーズしたらしい。

それに対するお返しで、ホームランを打ちベースを回りながら大声を発したのだ。


そして後の談話で、「メジャーに行くならああいうことはするな」とコメントを残した。


日本人が海を渡り、先駆者として野茂投手が活躍をするようになって20年以上か。
メジャーリーガーの不文律もずいぶんと日本で知られるようになった。

アメリカの流儀として、ベースボールでのガッツポーズは好まれない。


同じくネット記事で読んだが、今年の日米野球でも日本チームのガッツポーズに対しアメリカの選手から同じような行為があった。


ガッツポーズは侮辱に通じるんだそうな。


まだ、メジャーリーグの暗黙のルールなんて誰も知らない30年以上前になるだろうか。
近鉄でアニマル投手がいた。
三振を取ると、侮辱するにもほどがあるというほど、ふざけたパフォーマンスをする投手だ。
ところが、パ・リーグだから、投手がバッターボックスに立つことがない。アニマル投手が、デッドボールを喰らうような報復行為は無縁だった。乱闘だってない。三振したバッターはマウンド上でアニマルがパフォーマンスしてもクレームすらつけない。
(俺はひとりブラウン管を前にしてムカついていたけど)


それどころか、日本の球界では、シーズン終了後ファンサービスの一環で、どれだけアニマルに似せたパフォーマンスが出来るかファンのコンテストをやるくらいだ。


人が良いのか、馬鹿なのか、情報不足なだけだったのか、世間知らずなのか、メジャーの不文律がその頃は無かったのか、アニマルに向かっていく勇気が無かったのか、分からないけど。

あのアニマルの三振を取った後のパフォーマンスは、俺は好かなかった。


いや、むしろ、あれを面白がって報道するマスコミの方にこそ、日本人はバカにされていることの真意を汲み取ってないようで(汲み取っていたとしても面白ければ良いと黙殺したか)、俺はムカついたものだ。

今までなんとなく感じていたことを、ある文献に刺激を受けて、文にまとめるようにトライしてみた。漠然と思うことを、つたないながらも言語化することができた。
時代や仕事環境などの背景に左右されるなどして例外はあろうが、以下は概ね正しいと思っている。


* * *


利己主義者は、周囲から排除されるのを防ぐため、表面を取り繕う行動に出る。
誰それの力を利用できる、と計算した相手の前では、愛想よく振る舞い、自分はいい人だとアピール。
逆に自分にとって利益がないと判断した相手にはぞんざいで冷やかな態度を取る。損得計算に基づく態度を使い分け、見せかけの利他性にて世の中を渡る。


結局、自分では利己主義であることを気がついていない者には真の友人やビジネスパートナーができないままなのだろう。
利己主義同士でつながっている例はあるとしても、それは「関係」である。強い縁にはなりえない。
利己主義者は、自分のことばかりを考え互いに相手を利用できればいいという考えが根底にあるから、自分の利益になるかぎりは協力関係を築くものの、風向きが変わればあっさり関係が切れるからだ。
だから、それは縁ではない。

言い換えれば、利他主義同士では、風向きが変わったくらいでは信頼関係は切れない。(信頼関係が構築されていることが前提であって、利他主義であればなんでも縁が強固であるとは盲信してはいないが)


利己主義者にも利他主義者にも、いろんな人が寄ってくる。考え方の似た人で仕事を進められた方が快適だ。
とあるチームメンバーがっちりとチームワークを組んで上手くやっているとうぞぶくが、実は、自分の利益に目ざとい者同士が共通の分け前を得ようと既得権を行使して勢いに乗る一時的な現象を語っているに過ぎないケースを目の当たりにして、「似たもの同士、閉じた環境で頑張って。分け前でもめないように。俺とは関係のない世界」と思ったことがある。


世の中には、人のことなんか考えないで利己的な人ほどチャンスつかんで、どんどん発展していく環境や例が無いとは思っている。ぶっちゃけ、時代や会社、組織次第である。
利己主義者にも利他主義者にも共通に、「返報性の法則」が働くのだと思う。
でも、それが、一時の関係で終わるか、縁をずっと保てるかは、利己主義的であるが利他主義的であるかの違いなのではないかと思う。


周りを見て思うのは、利己的な傾向の人のほうが、幸福感が低そうだということ。

そりゃそうさ、人を出し抜いたり、あれこれ悪口をいい、利己的に振舞ってるのだから、あらゆることに不満か否定がベースになっているのだろう。幸せを感じている暇がなさそうだ。


見返りを期待しないで無償の愛を振りまく(というと大げさかもしれないがそう見える)環境にいる我が師匠や、友。

自分の配慮する範囲を広げどんな関係の人々にも思いを向けられるから、この人との縁を大事にしたいと思うのである。その結果、多くの人から大事な人と認められ人望は集る。

彼らは皆、幸福度が高そうだ。

iPhone5Sのゴールド64Gを、9月21日当日、ソフトバンクのオンラインで予約しました。
8時に受け付け開始と同時にアクセスしたら、つながらない状態。
やっぱりな、と何回かトライしてみたものの、全然ダメ。


20数分後に、ようやくつながりまして、予約したのは、64Gのゴールド。
色調はキンキラキンしてないから、せっかくならゴールドにしようと、待つのを覚悟で申し込みました。


その後の報道を見るにつけ、20数分後の受け付けじゃあ、かなり待たされるだろうなと思っていたのだが、なんと約一週間後の9月29日に、入荷したとの連絡が。

4Sを使っていたのだけど、iOS7にアップデートしたら動きがもっさりしてバッテリーの減りが早くなってしまったので、早く5Sを入手したかったのだ。
一か月は待つかなと思っていただけに、これは嬉しい誤算。


店員さん、ゴールドの64Gは、年内は入らないらしいですよ、ラッキーですね、と語っていたのだが、本当だろうか?

それはあまりにも大げさすぎるのではないかな?
オンライン開始後20分後の予約にしては入手は早かったなというのが個人的な感想だ。

実際には、ゴールドの64Gは市場にはどんどん入ってきてるのではないか?
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しっかりしたつくりのポリカーボネート製の黄色のバンパーが映えますね。

人と関わろうとする意志が強いか弱いかについて思ったことである。タイトルは、コミュニケーション能力という言葉を避けた表現にした。
コミュニケーション能力とひとくちに言ったが、コミュニケーション能力が有る人だと周りが思っていても、他人が思うほど本人は人付き合いとは簡単ではないと苦労している例も多いだろう。


人生、平均年齢の半分を過ぎると、青少年期の過ごし方が下記に述べる風だと、青年期以降の社会人生活でも露見されるのかなと、傾向がなんとなくわかるようになった気がする。


会社の中での振る舞いが、人に見られていることの意識がないというか、家庭でやるようなことを会社でやっちゃう人。
例えば、机で爪を切ったり思いっきり匂いの強い食べ物、カレーやカップ麺を食べたり、サンダル履きでペッタラ歩く等々。悪気はないことは承知しているのだが、何かずれてんだよなと思わざるを得ない。
これで切れ者ならばよいが、実際はそうではなく、一緒の仕事をすれば取引先の部署名を忘れたとか、書類を忘れたとかで、締まりが無く、真剣さが足りないのだ。


どうやら、幼少期に甘やかされたようで、外部との接触が乏しかったようだ。青年期にかけては、勉強やスポーツでは、高みを目指して限界まで頑張った経験が無いらしい。


甘やかされれば、一緒にいてラクな家族と共有した同じ価値観は強烈だろうから、裏を返せば、他人の価値観は認められないということにつながる。子どもの頃から友だちづきあいが苦手でうわべだけしかできなかったことだろう。


甘やかされた時代は、自分中心に世界が回っていただろう。人の反応をみる経験にも乏しかったに違いないから、他人の話は噂から入るたくなるのか。そして、他人の価値観やスタイルも受け入れられないから、自分本位の野暮な突っ込みで周りをイラッとさせるわけか。


社会人としての振る舞いのセンスが欠けているというには口が過ぎるかも知れないが、そんなの気にしていたらストレスになるだけだから、諦めるのが一番自分の精神衛生上良いのだ。更正させようと思ってはいけないと気付いたのは、何歳の頃だっけな?だいぶ前なんだけど、久しぶりにそんな前のことを思い出さざるを得ない出来事に遭遇した昨今。

文化的背景で、日本人の長所は、相手と同化したいという気持ちがあることなのかなと思う。
いいことだと思うけど、これが行き過ぎると周りへの同調圧力と化すのだろう。


会社や仕事の組織では、昭和丸出しの人種が上層部を占めていることは大きな組織であれば珍しくない。こういった昭和丸出しの特徴は、相手と意見が違うと精神的に不安定になるようだ。
仕事において、違和感を覚えたことを活字にするならば、「相手と意見が違うと精神的に不安定になる人」の存在だったのだ。


だから、こんな人が権限を持っていると、仕事での成果や会社の利益よりも、保身的に精神的な安定感を得ることが優先になる。

アフターファイブに限らず、群れて行動。ゴルフ場で人事を決めるとか、喫煙所に真の情報があるとか。

これがすべてとは言わないが、日本企業の凋落の原因のひとつと考えるのは行き過ぎ?


ものづくりで競合が他国におらず、自国内に集中していた頃、相手と意見が違って精神的に不安になる上層部が社内にいたところで、日本製品の良さが受け入れられ、成長できていた。Japan As No.1の頃ね。

しかし、新興国の台頭で、価格と性能でかなわなければ抜本的なビジネスモデルを変える必要だってある。

日本には本当の経営者が少ないとも言われる。上層部は、精神的に不快感を起こさせないように勤め上げた内部昇格組だから、経営の意思決定が精神の安定性の上に成り立っているならば、新興国に遅れを取るケースが出てくることだって想像に難くない。


考えが違ったりすることで、精神が不安にならないようにするって、一朝一夕に行かないことはわかるけど、なんとかならんか。
自分が正しいと信じられることがあれば、主張すべきところはきちんと主張して、その行為が尊敬されるのが珍しくない価値観になるまで、か。


グローバル化ってしきりに喧伝されてるけど、それって端的に言うと、多様性を重視するってことで、相手と意見が違うと不安定になる精神性がよろしくないから、グローバル化を推進する遠因になっているんじゃないの?