音楽とスポーツをこよなく愛し、異文化をリスペクトするeagletのブログです -3ページ目

音楽とスポーツをこよなく愛し、異文化をリスペクトするeagletのブログです

ご訪問ありがとうございます!
自分の好きなこと、印象に残ったことを備忘録のように書き連ねています。

前記事で、事業環境の変化で、自分の身にも意に沿わない配置があったと書いた。
そこから、5年、見てくれている方は、見てくれているものである。

もちろん、実績も上げたけどそれだけではない。

その方の目の付け所は、経歴、実績、研修の出来等、所謂、定量的な能力を問題にしない。
「勉強を始めるに遅い早いはない。だから、必要な時に始めればよろしい。いくら勉強するなり本を読んだところで実地で会得するのが本物の学習。経験してナンボのものだ」と、至って涼しいお顔。

先ほど、事業環境の変化と書いたが、こんな不確実な現代においては、定量的能力は後回しだとおっしゃる。
そして、コミュニケーション能力のように、経験しながら身に付けていく定性的能力が大きな武器になると信じて疑わず、それが国際間で鎬を削るサバイバルの力だと説く。
(これは感銘できる。将来を担う一員のわが子の教育の礎としよう)

その方のポリシーと自分の感性が合致したのであれば喜ばしいことだが、これからもめまぐるしく変わるであろう環境に備え、導き出した心構えは、言語能力(これは定量的だな)を鍛え、異文化に適応する強い意識を持つこと。
自分にはその潜在力があると信じよう、この際!

仕事に必要な知見、価値観は上記によって得て、新興国や途上国市場でのカオスに対してはこれから構築するネットワークを活用して切り抜けられるサバイバル力を養うのが年初の目標。

ああ、言い切っちまった。年初だから、まあいいか。

年が明けて、今年初めての記事になる。


24歳、36歳、48歳、還暦??
今年は何歳になるのか、お読みの方の想像に委ねるが、ともあれ無事に、今年も新年を迎えたことを喜びたい。


心の中では新年を迎えて氏神様やご先祖に感謝したい気持ちは大いにあるのだが、新年の挨拶って、個人的に煩わしくて面倒であまり好きではない。


SNSを主に、あけおめ、ことよろ、だとかヘンテコな言葉を目にすると新年のすがすがしい気分が萎えそうになるので、ツイッターはあまり見ないようにしている。


さて余計なことはさておき、今年は、環境が変わりそうである。


20年ほど前になるか、最初の職場を辞したことがあった。
勤務中は、堪えがたいほどのものすごく不快な思いをすることもそう少なくなかった。
いざ辞めた後で募ってくる思いはその職場への恨みというより、未熟で世間知らずだった自身への忸怩たる思いだった。ただし、在職中は人間的には成長できたし、この業界に対する浅はかな認識しかなかった自分を省みることができた。

そこから思い切って環境を変えたのは自分の意志だったが、職場環境はそれなりに良くなった。


今年の環境変化は、自分の意思表示がまたも反映されることになってのものだ。
それまでの5年間は逆に、事業の急激な変化で意に沿わない異動や配置があったこともあり、今になっていよいよ屈んでいた体を伸ばしてジャンプする時が来たようだ。
午年の年男、跳ね馬の如く駆け上がる時か。


思えば、2002年の年男について、以前、こんな記事 書いてたなあ。

自分は、超のつくほどの体育会系で鍛えられました。
くだらない指導法もあったけど、その経験は百害あって一利なしとまでは行かず、社会に出てからは、会社やビジネスで起こる不条理で理不尽な出来事にも、少しは受け流せるほどの度量が付いた、、、と勝手に思っている。でも、それは体育会系の影響は軽微であり、社会人で培ったキャリアでの鍛錬が圧倒的に効いている。


さて、忘年会シーズンとなり、俺も、メディアに載っていて誰でも知っていることくらいしか口に出来ない程度の会社のくだらない奴とならば、酒を飲むなんてことは嫌いなわけだ。


会社の福利厚生費から大部分の負担があるらしいから、もはや仕事の一部だと考えて出る方が精神衛生上よろしいので、割り切って出ているようにしている。


会社の忘年会だとかにうんざりする俺の思いに賛同する人は世間に少なくないはずだが、その要因は、おそらく、飲み会自体ではなく、職場の飲み会の有用性を押し付けがましく説く暑苦しい人たちの存在である。(言い換えれば、飲み会に来る人が教養豊かで下品で暑苦しくなければ、会社の人であろうと無かろうと大歓迎なのである)


タイプ的には、自分たちもそうやって来たんだから飲み会で親睦が必要なんだよ!とのたまうジジイと、体育会系の人である。
イヤ、体育会系というと、本当の体育会系の人に失礼かも。俺も根っこは体育会系だし。
一番始末に終えないのは、体育会系で体を張れるほどの根性も運動能力も、忍耐力もないくせに、こういうときに体育会系を偽装して熱血ぶる不届き者である。


このような人たちは、酒を酌み交わして、ホンネで語り合うことで親睦が深まるんだ、寝技(アンタ柔道やってないじゃん)使えだとか珍妙な論理を披露して、飲み会の重要性を強調する。
実際は自分が酒の場の相伴に預かりたい卑しい根性が根底にあることが殆どである。


その競技が好きで志を持って入部してきた狭い世界である体育会系と、年齢も肩書きも職制もモチベーションも様々な会社組織で、体育会系と同じような飲みニケーションを求めること自体、無理があると思わないのだろうか。
(中には年齢層やモチベーションの差など気にしたことないし関係のないという素晴らしい雰囲気の部署があると思う。そういう組織はどうかそのまま皆さん良い関係を維持してくださいと申し上げたい)


疑問を呈したいけど、忘年会ごときで本当に親睦が深まるか?酒飲んだくらいで、誰とでも親睦が深まるはずがないじゃん。

そこまで言うなら、下に例を挙げて書く。


つい先週にもこんな出来事があった。
忘年会にて、上座に引っ張り出して固まってしまった新人に、「何か言えや」、「一発芸やれ」、「固まってんじゃねえよ、こえーよ」などと、これ何かのテストか訝しく思うほど意味の無い晒し方をしていた。(しかも別の部署であって、あんたの部下じゃないよ)


こんなんでは、会社にはバカな上役がいるなあ、としか見られないわけである。また、「下の者には強く出てるな」という嫌な感情を他人にも更に強く植えつける結果にしかならないわけだ。


酒に酔っ払ってこんなことが繰り返し起こるとするとさ、飲み会やるたびに酔ってマイナスの感情を増幅しているのだから、まともな親睦なぞできるはずないじゃん。

俺、こんな類の飲み方をして嫌いになった年上の人、少なくとも五人はいるぞ。


親睦だという割には、酒によって暴発した人の受け入れられない部分ができて、飲みの翌日の土曜日には、嫌~な気分になってもっとその人のことに嫌な感情が残ったことが繰り返しある。


酒が入った会合でも、品性の無い人はそのままで、それどころか更に悪くなるし、仮に品性があっても苦手だなと思う人を好きになることはない。


だから、もうきれいごと言うのはやめて、若手を出席させるには、年に数回のサービス残業だと割り切らせてさ、「仕事だ」と出席してもらう。仕事だかなんだか分からないようなのが今までの雰囲気だから来る方は嫌なわけで、最初から、忘年会や飲み会は仕事場を離れた例外的な仕事だ、年に1~2回なんだからと説得する方がよっぽど公明正大だと思う。
その際には、「オフでも役に立つよう酒席の振る舞いを学んでおくのも良い機会だ。頭で分かっていたつもりでも出来ないことだってある。体で覚えてさっと動けるとプライベートや地域社会(だって会社が嫌なんだろ?地域社会に役に立ってもらいたい)でも粋に振舞って役に立つことがあるよ」とでも諭すしかないのだろう。


「仕事」を強調してどうしてもダメなら、職場有志での集いにするんだな。これなら、私的に近い感覚でいられるんで。

結構なビートルズファンの俺。
でも、今までポールマッカートニーが来日してるのだが、行ったことがなかった。

2002年の来日では、行きたい気持ちはあったが、仕事が忙しかったこと、長子が生まれたばっかりだったこと、その頃は今ほどビートルズを聴いてなかったことを理由に、何か2002年の来日公演は行く気にならなかった。どーせビートルズの曲はあまりやらんでしょ、俺Wingsは良く知らないし、とばかりにネガティブな理由を並べて合理化していた。

2002年を見逃して、ポールマッカートニーの来日が11年ぶりに決まったという。
今こそ、中学生以来のビートルズ熱が復活しているときだ、オオッと色めき立ち行こうかなと思ったが、チケットはものすごい争奪戦らしく抽選になると聞いて、それでまたまた萎えてしまった。
16,500円という価格もそうだし、前月にはKISSも行くことにしていたから。
(KISSは行くけどポールには行かんのかいっ?)

しかし、KISSの後、ポールのライブ間際になって行きたくなってしまった。

本物が来る10日ほど前、友人とビートルズのコピーバンドを観ていたら、やはりこれはポール本人を観なきゃダメだろうと思い立ったのだ。勢いでネットだけで販売していた注釈つき(機材で見えにくい可能性のある席)のS席を2枚ゲット。

いよいよ、東京ドームにて本物を観ることが出来る。最初で最後の機会になるのだろうなあと、観る前から感慨深い思いにふける。

ライブの評だけど、あらゆるメディアやブログに書かれてあるから、ここでは細かいことは書かない。
思ったより、声の伸びが良かったので安心して聴いていられた日だった。

行こうと決めて本当に良かった。
チケットの高さだとか、抽選だとか、注釈付きの席だとか、どうでも良くなった。

貫禄、規模もスケールも桁外れだった。
ただただ、良かった。感動しっぱなしだったよ。

当日病気になるとか、いきなり出張になるとかしてドタキャンになった人もいるかもしれない。
行きたくてたまらないのに、最初からいけない境遇の人だっているだろう。
自分は、来年からは後者の環境になるのだと思うと、今ポールを見ることができる自分の幸せをかみしめた。
だから、ポールは余計に良く思えて感激したのだろうね。

以前記事 にした利己・利他主義で思ったこと。


会社から必要としない意思表示をされて、ブチ切れて自ら辞めていった人がいた。
直接俺とは関係なかったが、この人とは一緒に仕事をしなくて、本当によかったと思っている。


この人が、送別会の挨拶で、最後に言い放ったこと。
「俺は、会社のために仕事をするってのはきれいごとだと思っている。皆さん、自分のために仕事をしてください。俺は会社のために仕事をするって言う奴を信用しない」


自分のため、あるいは、会社のためって、どちらかに極端に偏って仕事をするのは健全な気はしないが、俺はこういう人と同じ場所の空気を吸って一緒に仕事をすることがなくなったと思うと、本当に安堵した。


「俺は会社のために仕事をするって言う奴を信用しない」って考えを持つのは勝手である。自分のために仕事をする奴を信用するのなら、そういう者同士が吸い寄せられるように徒党を組むのだろう。(自分の周りを見る限りそうだ)


しかし、結局は、会社から捨てられたじゃないですか。

極端に利他に偏らなくても良いが、利己主義でいて利他の考えがないから、最後に上層部や部下の両方からも支えてもらえないで、弾き出されたのだから、自業自得である。


この人は、仕事熱心だという評判であった。しかし、仕事熱心であれば良いというものではない。
世の中は全て自分中心のように振舞っていた。真のパートナーはいなかったのでる。


一件、従っていた部下も、面従腹背だったわけで、「返報性の法則」が働かなかったのである。

確かに、日常、あんなに怒り狂っていれば、幸福を感じていなさそうだ。