音楽とスポーツをこよなく愛し、異文化をリスペクトするeagletのブログです -5ページ目

音楽とスポーツをこよなく愛し、異文化をリスペクトするeagletのブログです

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自分の好きなこと、印象に残ったことを備忘録のように書き連ねています。

この記事 に書いたように、一時期、人工芝を忌み嫌っていた。
でも、現実には人工芝以外のコートにはどこに行ってもお目にかかれないから、ないものねだりはもうやめて、コート事情の不満解消はあきらめようと思っていた。


ところが!
人工でも、忌わしき人工芝ではなく、人工の「クレー」があるんだって。
人工と名が付くからには、クレーでも雨への強さや耐久性が、人工芝に比肩するものらしい。
メーカーのホームページ があって、人工クレーの性能が見られるようになっている。


この際、どっちが優れているとか細かいことはもういいから、一刻も早く人工芝をつぶして、人工クレーの導入を早めてもらいたい。


人工芝がメインテナンス不要とか行っても、砂がまかれているからブラシがけさせられるし、擦り切れてつぎはぎになれば、継ぎ目に引っかかって転倒しそうだ。当てるだけのワーキャーテニスが大好きな、平日に跋扈するオバハンの声が強くてあっという間に普及した人工芝のコートは、絶対に良くない。本来ひっかかりの強い人工芝なのに、摩擦を減らして擦り切れないように耐久性を良くするために砂をまくとは、なんという矛盾した考えの産物だろう。
(ここまで人工芝が普及したのは、メインテナンスが大変で雨に悩まされるクレーが主戦場だったソフトテニスの声もあるだろうね。ソフトテニスのボールなら人工芝のバウンドは、テニスのそれほど変わりはしない)


人工でもクレーが普及することにより、諸外国のジュニアがクレーコートで、高く弾み遅いコートだからこそ続くラリー、イレギュラーバウンドへの対応、スピンとスライスのスキルが遺憾なく鍛えられる期間に、日本のジュニアが少しでもついてゆく環境が出来る。


人工芝だと全て球の勢いを殺すのだから、体格とパワーで劣る日本人は、諸外国に離される条件の揃う人工芝を選ばなくたっていいではないか。
日本人の手で、自らの努力で何とかなる環境面では、諸外国と比べて不利になる条件を速やかに排除するべきだ。


こうやって、誰も見ないブログで声を上げるだけでなく、区と都の運動施設を管理する部署に、人工クレーへの転換を持ちかける。
オバハンが人工芝は足に良いと言っているが実は砂がまかれておりそれは均一ではないから引っかかって捻挫の危険性が高いこと、人工芝が擦り切れたらとても危ないこと、全面張替えする予算がないからと「つぎはぎ」するともっと危ないこと、本来一番足に優しいクレーでは、人工ながら十分オバハンが要望する足への易しさは満たせると同時に、砂と人工芝の摩擦アンバランスがないから捻挫の危険性は減ること、何よりも、次世代を担うジュニアの育成にメリットあること、を余すことなく強調するのである。


それでも足が痛いから人工芝がいいというオバハンがいるなら、その存在をないがしろにできないから、少し人工芝の面数を残しておけばいい。

ちょうど一年前かな。
スクールの特訓的レッスンにビジターとして通うようになったのが。


そこから、攻撃的なボールを打つのに良いといわれる厚いラケットとストリングを色々と試すようになった。
今年の初めには、最新のモデルを買った。
そうして、その厚ラケの性能を引き出そうと、特訓でガンガン打っていたら、ちょっとしたスランプになり、練習をしても試合をしても、どのように打ったらいいのか分からなくなった。


テニスを現在進行形で続けていれば、常に打ち方について自問自答するのは普通だが、フォームだけではなく体力、精神面まで迷いは続いていた。半年前に買ったラケット、その時点ではコントロールが利き相性が良いと思ったのに、なぜ今こんなに迷うのか?
ストリングを替えて、張力も思い切ってゆるくした。でも、ダメだ。ボールが落ち着かない。


そんな暗中模索が続いていた最近、ふと思い立ち、大失敗と言えるほどゆる~い張力で張ったストリングが1年以上も張りっぱなしで、お払い箱状態のラケットを気分転換に引っ張り出して、打ってみた。


これが予想の他にイイ。というか、これがベストなのかもしれない、というほどしっくり来た。

最新モデルを買う前には、こりゃーストリングの選択も張力も失敗したな、もう使わないだろうとさえ、半年前には思っていたもので、5年以上も前に買ったラケットだ。


しかもストリングは1年以上前に張ったから、かなり劣化しているのが間違いないのに。


ともあれ、スランプだからこその発見があった。オマケにスイングの開眼もした。
そうか、このラケットで、この張力でいいんだ!そうだ、この振り方でいいんだ!ってな具合。


何とバカなことに、その古いラケット、今年の冬に買った最新モデルの特性とはほとんど逆な性質である。


もう一本、予備のために、旧タイプを買おうと思う。ストリングの張替えも何回か必要だ。

不要なラケットがこれでいくつかできることになった。授業料が少し高くついたが、ずーっと気になっていた自分スイングの改善すべきポイントが発見できたのだから、それは無駄ではない。


ともあれ、年を重ねる自分の筋力に適するスイング、テニスのスタイルが、スランプを通じて気付かされたわけで、この回り道が今後のテニスライフをもっと充実してくれることは間違いないであろうことは、確信できている。

会社で濃密な人間関係は、寝技を使ってでも構築するべきだし、そうしろと迫る上司に仕えたことがある。
その寝技とは、アフターファイブで飲み食いで人に取り入って人間関係を作れってことだ。


要は、この上司様は自分がはそうやってきたから、お前もそうやれってさ。コピー人間を作りたいのが見え見えだ。
そんな発言を聞いてすぐ、尊敬に値しない人だと思った。


とはいえ、俺もまたずいぶんと世の中を分かってなくて、社内の人間関係を濃く自分から作りに行くのはバカだと思っていた。
一方では、人間関係を構築するのは良いことだとも思っていることも間違いなかった。
ただ、自分から積極的にガンガン行くのが愚の骨頂だと思っていた。


いつか機が熟したら人間関係が次々にできていく段階が訪れると思っていた。それは自分から動くのではなく、他人だけが一方的に動くのでもなく、自然と環境がそうなるタイミングがあると思っていた。

自分から人に取り入ろうとしても無理があるのでぎこちなくなるからダメだとわかっていたから、絶対に人との関係が広がるタイミングが来るからそれまで待とうと思っていた。


やはりそう考えていたのは大正解。時が来れば、分け隔てなく人が声を掛けてくれるし、こちらも機が熟した分、人との関係は急速な横展開を見せている。


やはり直感って大事だ。
ものすごいスピードで事業環境が変わり、いつどうなるか分からない時代に、昔の価値観そのままで自分のコピー人間を作ることにご執心の上司の真似をしちゃいけないと。


自分なりに人間観察をしてみますと、仕事一直線ではなく良い趣味を持ち人生を楽しんでいる人は、他人にも優しくできる傾向は強いかと思う。趣味に没頭できる分、生活面ではある程度心身ともに余裕ができてくるのだろう。


夜の街を群れて飲んでいても発見はないよ。ごく親しい人か身内だけの狭い人間関係にこもりがちな人間は、人によって取る態度に差がある気がする。たとえそれが攻撃的な態度ではないにしろ。

お互い学び合えればいいのだろうけど、狭い関係にしか目が向かずオープンな視点を持とうとしない人は、放っておくのが一番良い。

ついこの間、我々のバンドもライブをやったわけだが、我がバンドに観に来てくれたお客様がオリジナルのバンドをやっていて、来てくれたお返しに、この間の土曜日、今度は俺がそのオリジナルバンドを観に行った。


イベントは、コピーにオリジナルがごちゃ混ぜ。

正直言って、曲を知らないオリジナルのバンドを観るのは苦手だ。コピーバンドの方に興味が持てる。


でも、今回は知っている人のバンドだから、神経の集中度が違うってことで観てきた感想をひとつ。


ガツンと出てきた音に、ブレイクを聞いた瞬間、「この人たちは楽器の鳴らし方を熟知しているな」と思った。


また、ライブハウスのエンジニアともうまくコミュニケーションを取れるのだろう。音量バランスも素晴らしいもので、終始音が薄くならず、ぶ厚い音の壁を形成していた。


無駄な音を鳴らさないから、引き締まった音像がクリアに聞かせるところは、本当にすごいと思う。

数々のバンドを観ていて思うのは、音量やエフェクトや音数を加えるばっかのプレイヤーやバンドが大多数であるということ。足せばいいからと易きに流れる方法を取るのである。


しかし、俺が観たバンドは、実はうまく引き算を駆使してタイトな音作りをしていた。しかし、音が薄っぺらくなっていないのは、確かな演奏技術の裏付けがあるからだ。


人間と一緒で、ガチャガチャと小うるせえ奴の凄みは感じないってところかな。(笑)

今年の夏も、気温は高いんだそうな。
90年代も半ば頃からか、実感として、すさまじく暑い夏の気温を報道されてもさほど驚かなくなった。

震災を境として節電への意識に拍車がかかる中、クールビズで着るものにさらに涼しさを与えようと、シャツやアンダーウェアの開発に各メーカーは余念がないことだと思う。


その中で最近おかしな光景をオフィス街で見る。
Yシャツの下に着ているアンダーウェアが、黒やグレーなど、薄くはない色つきなのだ。

それらのアンダーウェアは、おそらく、綿ではなく合成繊維でさらっとした着心地の清涼感のある生地でできているのだと思う。


メーカーは、白地あるいはそれに近い薄い色のシャツを着るサラリーマンだけを対象にしてそれら清涼感のある素材の製品を販売するわけではないから、黒なりグレーのアンダーウェアをも販売することは仕方のないことだと思う。


それにしても色つきのアンダーウェアを選ぶサラリーマンの見識を疑う。
大体、いい大人が薄い色のYシャツから黒やグレーが透けて見える半袖のアンダーシャツを着ているのって、とても恥ずかしい。
いまどきの中学生でもそんなことしないと思う。


それに、せっかくのシャツの色合いが、下に濃い色つきのアンダーウェアを着ることで台無しになる。
メーカーが色や風合いを考えたであろうデザインのアイデアを無にするものだ。
ちょっと大げさなようだけど、もし私がシャツのデザイナーならば、アンダーウェアに半袖の黒のシャツを着られたせいで、自分のデザインしたシャツが変な色合いに見えていたら、すごく複雑な気分になると思う。


そんなことを言っていると、Yシャツの下にアンダーウェアを着ること事態、それはどうよ、という意見もあるだろう。


スーツ発祥の英国や欧州では、シャツ自体がアンダーウェア扱いであるからで、ネクタイを締めたシャツの下には何も着ないのが普通である。
ネクタイを締めたその下に、日本の大体の人がそうであるように無地で白のTシャツ着るのは下着を2枚重ねているようでNGなのだと、彼の国々からは日本の服装の感覚に疑問を持たれても不思議ではない。

確かに欧州に行くと、スーツ姿の人は、素肌にシャツでネクタイを締めていることに気がつく。
夏でも涼しい欧州では上着を脱がないこと前提とされるから、シャツはアンダーウェアの扱いであったのだろう。アンダーウェアである以上、良質で肌触りの優れたシャツが供給されていたのは想像に難くない。


わが国は、似合いもしないのにオフィスで働くものは全員スーツでなければならないと言いたげな集団圧力があるのかどうかはさておき、アンダーウェアを下に着なくてもよいような肌触りの良質なシャツは高価でなかなか買えない。


なるべく低価格なシャツを買うわけだがそれは肌触りがいまいちだからアンダーウェアを着たくなる、というのが理由の一つになり得ようが、最大の理由は蒸し暑い気候だろう。

上着を脱がないのが前提の欧州の気候とは異なり、暑いし湿気の多い日本では、汗を吸い取るアンダーウェアが必須である。


この気候のためアンダーウェアを着用するのは日本では合理的であり、それだからファッションセンスがどうたらと外国人に言われたくない気持ちはある。

しかし、アンダーウェアに色つきのものを着てシャツから透けて見えておかしな色彩にしているのは、やはり、変なセンスであると言わざるを得ない。