47都道府県の花で、リンゴを県の花にしているのは何県でしょう。 | KMプロデュースのブログ

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今週の問題

47都道府県の花で、リンゴを県の花にしているのは何県でしょう。


選択肢
・青森県
・長野県
・宮城県

・山形県

・山梨県

正解…青森県


解説

まず青森県になった経緯についてですが、南部氏の被官で弘前藩初代藩主となった津軽為信が戦国末期に独立化を進めていました。

それから1590(天正18)年に独立と、津軽・外浜の統一を果たし、7月の豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して大名の地位を公認、さらに1600年の関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方して藩の基礎を築き、以後は津軽氏が江戸時代を通じて津軽と外ヶ浜を治めることになりました。
こうして弘前藩の領地と石高は、当初陸奥国津軽領4万5,000石と関ヶ原参陣の功によって加増された上野国新田郡大舘領2,000石の計4万7,000石、1689(元禄2)年に黒石津軽家の分家が絶えて分知していた1,000石を召し上げられて4万6,000石になりますが、領内に飛び地が生じたため、それを解消すべく幕府との間で領地交換して大舘領を返上して陸奥国伊達郡秋山村を取得する形になりました。
1808(文化5)年になると、9代寧親の代の文化年間に高直しがあって10万石となったため、従四位下昇進と大広間詰めが認められて準国主大名になりました。
明治維新後の1871(明治4)年7月に廃藩置県で「弘前県」となり、9月には黒石県・七戸県・館県(北海道南西部)・斗南県・八戸県が合併することになりました。

さらに県庁が弘前町から青森町へ移転した際に、県庁所在地となった青森町の地名がそのまま県名として採用されることになったのです。

この「青森」という地名は江戸時代前期の1624(寛永元)年に弘前藩が現在の青森市の場所に港町の建設を始めた時に名付けられたものであり、青森市本町付近に海上からの目印になる「青い森」がかつてあったことに由来しているといわれています。

 

そして丁度100年が経った1971年、青森県政100年記念として昭和46年9月23日、青森県のリンゴが全国6割近くを占めるほどの生産量を誇っていたことから「リンゴ」を県の花として指定した経緯があります。

 

 

選択肢にある長野県もリンゴの生産で有名ですが、長野市の花が「リンゴ」であって、県の花は「リンドウ」になります。

宮城県はミヤギノハギ、山形県はベニバナ、山梨県がフジザクラとそれぞれ県の花として指定されています。