大恐慌は再来するか(1)/安達誠司(ドイツ証券シニアエコノミスト) | 【未来予測・世界情勢・政治・経済・金融・有事・戦争・災害・スポーツ・芸能・サイエンス等の時事情報ブログ】 http://ameblo.jp/e269/

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大恐慌は再来するか(1)/安達誠司(ドイツ証券シニアエコノミスト)


■破綻に揺れる米国経済

 9月9日から16日にかけての約1週間は、アメリカだけではなく、世界の金融史上の一大イベントとして、人びとの記憶に残るだろう。わずか1週間余りのあいだに、大手証券会社であったリーマン・ブラザーズの連邦破産法(Chapter 11)の申請・実質経営破綻、同じくメリルリンチの経営危機・買収(地銀の雄であるバンク・オブ・アメリカによる)、そして、米国保険最大手AIGの経営危機・FRBによる大量の資金供給・実質国有化が立て続けに発生した。
 なお、それに先立って、9月9日には、半官半民の住宅金融会社であるファニーメイ、フレディマックに対する公的資金投入が決定されていた。発生してすでに1年余りが経過したサブプライムローン問題に端を発する金融危機は、終息に向かって進むどころか、「大恐慌」というカタストロフィーへ向かって、事態はますます悪化しているようにも見える。
 このような状況の下、9月18日に、ポールソン米財務長官は、RTC(Resolution Trust Corp、不良債権買取機構)の創設を議会に対し提案した。この提案が議院の承認を得られれば、RTCは、政府がすべての金融機関を対象として、不良資産化した債権、証券を無条件・無制限に購入する機関になる可能性が高いが、その措置によって、今回の金融危機は克服されるのであろうか。
 本稿では、今回の金融危機がアメリカ経済を根底から揺るがす大恐慌に発展しうるのか、それとも今回のRTC創設がアメリカ経済の救世主になりうるのか、を1930年代の世界大恐慌の深化・克服のプロセスを振り返ることによって考察するものである。

1930年代大恐慌のプロセス[1]
投機マネーの抑制と株価暴落

 1929年10月24日の「暗黒の木曜日」(ニューヨークでの株価大暴落)に始まるアメリカ大恐慌は、それまでの世界経済の繁栄を根底から覆し、その後、全世界を悲惨な第2次世界大戦に導いたエポックメイキングな出来事としてあまりにも有名である。しかし、その深化のメカニズムは意外と知られていない。よって、この1930年代のアメリカ大恐慌の深化のプロセスを知ることは、今回の金融危機についての理解を深めることにもつながると思われるので、ここで、この大恐慌のプロセスについて概観しておくのも時間の無駄ではないだろう。
 アメリカ大恐慌の発端は、「暗黒の木曜日」におけるニューヨーク株式市場の大暴落だが、これは、1929年10月24日に何の前触れもなく発生したわけではなかった。
 それまでのアメリカ経済は、第1次世界大戦によるヨーロッパ経済の壊滅的な崩壊によって未曾有の好況を享受し、それによって、覇権国の座をイギリスからほぼ奪取しつつあった。ニューヨークには世界中の投資マネーが集まり、国際金融の一大拠点に上り詰めた。
 このようなアメリカ経済の繁栄は当然、アメリカの株式市場の活況につながったが、1929年になると、人びと(投資家)は、アメリカ経済の繁栄が永遠に続くものと思いはじめ、より大きな利益を狙って投機的な株式取引を急激に拡大させていった。
 その代表例が、「ブローカーズローン」といわれる一種の信用取引であった。信用取引では、少ない金額で大きな取引を行なうことが可能となる(金融の世界では「レバレッジ(梃子)」をかけるという)ため、経済の繁栄から株価の上昇が続くという見通しが多数を占めれば、信用取引によって「レバレッジ」をかけるほうがより多くのキャピタルゲイン(株価上昇による利益)を得ることが可能となる。そして、これを反映して実際の株価も急騰するケースが多い。
 しかし、当時の世界経済システムでは、忘れてはならないことがあった。それは、「金本位制」という通貨制度が採用されていたことであった。この「金本位制」とは、(1)世界各国の為替レートが金を基準としてあらかじめ決められた価格に固定され、(2)各国中央銀行・政府は、その固定為替レートを維持すべく、自国が保有している金の量に従って、マネーサプライ(国内の資金供給量)をコントロールしなければならない、という金融制度であった。
 その制度の下では、国内景気が過熱しても、国内に流通する通貨量が自国保有の金の量に制約されてしまうため、拡大するモノの需要に対しておカネの量が不足するようになり、結局、各種ビジネスは縮小を余儀なくされ、やがて、景気は鎮静化するという景気安定効果がビルトインされていると考えられ、当時、通貨制度としては最適なものだと考えられていた。
 ところが、世界最大の国際金融センターにのし上がったニューヨークには、世界各国から金が流入した。これはとりもなおさず、アメリカの金保有量の拡大を意味するため、国内景気の拡大は続き、そして、それを背景とした株価の上昇は続いた。
 このような事態は、アメリカというより、金本位制を採用している他国の金流出と金融引き締め(それによる景気悪化)を意味するものになりかねなかったので、アメリカの政策当局は株式市場を鎮静化させるために、1929年から金融引き締め政策を採用した(もちろん、当時のアメリカでは、金の流入によるマネーサプライの拡大が物価高をもたらしつつあった点も指摘できる)。しかし、度重なる金融引き締めにもかかわらず、景気過熱とニューヨークの株価上昇は一向に収まる気配がなかった。それどころか、ブローカーズローンによる投機的取引は拡大の一途を辿っていた。
 そこで、アメリカの金融当局が採った政策は、ブローカーズローンに対する直接の規制であった。すなわち、金融機関に対し、直接、ブローカーズローンの融資を抑制するように指導することによって、投機的な株式取引を鎮静化させようとしたのであった。
 これによって、ニューヨークの株価上昇は鎮静化し、この政策は功を奏したかのように見えた。しかし、信用取引を拡大させていた投機家は、株価の下落によって、取引継続のための追加証拠金の拠出を迫られる事態となった。もちろん、金融当局によるブローカーズローンには融資規制がかけられているため、追加証拠金のための新規融資は困難を極めた。そのため、追加証拠金を拠出できなくなった投機家による株式の投げ売りが相次いだ。そして、そのクライマックスが1929年10月24日の「暗黒の木曜日」の株価大暴落となったのである。