夏に会ったひと(4) | 重ねの夢 重ねの世界 ~いつか、どこかのあなたと~

重ねの夢 重ねの世界 ~いつか、どこかのあなたと~

あなたの夢とわたしの夢が重なる時…もうひとつの「重ねの世界」の扉が開く


    マイケル・ナイマン"Gattaca"
2010年9月「夏に会ったひと」(3)からのつづき)
            マルク・シャガール
      

前回を書いてのち、四年半の歳月が過ぎてしまった。
前置きばかりを書いておきながら、肝心の「夏に会ったひと」の事をまだ何一つ書いていなかった。
忘れていたわけではない。むしろ放置していたせいでこの事が忘れられず、夏休みの宿題を提出しそびれている気分でずっといた。
けれども、あの時、どうしても続きが書けなかったのは、たぶん、あの夏を振り返るにはまだ早過ぎたからなのだろう。

一年に四季があるように、人生にも四季があるように思う。
それは、一生を大きく四分割するのではなく(そういう捉え方もあるが)、地球に四季が繰り返されるように、人の一生もまた、繰り返しに四季が巡っているではないかと私は思うのだ。

たとえば、恋をした時……


2007年の夏。
私は、或る舞台に恋をしていた。
舞台に流れる音楽と、そこに生きる人、何よりも、あの舞台が作り出した「時」に恋をしていたのだろうと思う。
観劇の楽しみを覚えた客の中には、「リピーター」と呼ばれる者達がいる。
同じ舞台を観るために、何度も劇場に足を運ぶ人達のことだ。
俳優は、幕が上がると同時に舞台の世界に生まれ、幕が閉じればその命は幻のように消えていく。
それは舞台の上の事だけではないのだ。
リピーター達は、その幻が消え去る寂しさに耐えられず、高いチケット代を払ってでも、出来うる限り何度でも劇場に足を運ぶ。
そして、とうとう千秋楽を迎え、もう二度とその幻の世界に戻れなくなった時、まるで失恋をしたかのような喪失感を覚え、何時までもその想いを引きずる者がいたりする。
心に残る舞台に出会った時の、私がそうだ。

ああ、だけれども、私はその舞台の事を書きたいのではない。
感想ならば、とうの昔に書き散らかした。
私はあの夏、永遠の愛を描いた舞台「エレンディラ」をきっかけに出会った、ひとりの女性……それも役者でも何者でもなく、私と同じ、ただの観客にすきないごく平凡な女性について書きたいのだ。


(5へつづく)