(2からのつつづき)
けれども、何故だろう。
好きな季節の春や秋ではなく、どうしてだか夏が、夏こそが、その去りゆくに惜しいと思う。
「夏の終り」というのは、いったいいつの時を言うのだろうか。
それは「秋の始まり」とはまた別のものなのだ。
まだ秋は始まらず、けれども確実に夏が終ると感じる季節。
そしてきっと、その特別な短い季節は、それぞれの年によって、また、人それぞれによっても違うのかもしれない。
ある朝目覚めて、夜半に蹴飛ばしてしまったタオルケットを手繰り寄せるとき。
新学期に出す絵日記を、急いで描かなければと焦り出したとき。
通学途中で見る青紫の朝顔の花が風に吹かれ、その花びらが妙に薄く感じられたとき。
昼間のうちには焼け付くように熱く光っていたアスファルトが、夕方にはうら寂しい灰色に見えたとき。
夜道を歩きながら、気の早い秋の虫たちの音に気づかされたとき。
私だけじゃない。
きっと、この国に住む多くの人が、自分なりの「夏の終り」を感じているのだろう。
それは、八月の終りや九月の初め。
ある日、ある時、突然に。
あるいは、知らぬうちにしのびよっていたそれに、ゆっくりと振り向かされるように…。
何故かうら寂しく、どこかもの悲しく、今年もまた、この季節の終りが来たのだと知らされる。
(4へつづく)